第644話 みなしご

「うにゃ、く、苦しい……眠い……」


 大公家の夕食でお腹パンパンになったのに、眠らず自力で拠点を目指している辺り、俺も成長したものだ。

 兄貴なんて、いまだにクーナやガドに背負われて帰宅してるからな。


 空属性魔法で作ったソファーに座り、大公家から空中移動で拠点に向かう。

 ダンジョンの大崩落からの復興は進んでいるけど、崩落した部分は真っ暗なままだ。


「ここは、埋めないのかな?」


 崩落の跡は、深さが三十メートル以上、面積は百メートル四方ぐらいある。

 崖面は土属性魔法での硬化を終えているようだが、内部が崩れれば再度崩落する危険性が残されている。


 そのため、崩落現場の周囲は、今でも立ち入り禁止区域となっている。


「にゃ? 明かり?」


 立ち入り禁止となっているはずの場所で、小さな明かりが動くのが見えた気がした。

 ゆっくりと高度を下げて近づいていくと、ガサゴソと物音も聞こえてきた。


「兄ちゃん、何も残ってないよ」

「ちっ、やっぱり駄目か……」


 聞こえてきたのは、大人ではなく子供の声だった。

 闇を透かして見ると、犬人か狼人か分からないが、薄汚れた男の子と女の子の姿があった。


「もう少し先まで進んでみよう」

「兄ちゃん、この花瓶……底が無いか」


 どうやら、金目の物を漁っているらしい。

 どこかのスラムで暮らす子供なのだろうか。


 ダンジョンの大崩落が起こってから、もうかなりの時間が経過している。

 避難や立ち退きが行われてからも、随分と時間が経っているはずだ。


 この子供達と同じ様に、ちょっとでもお金になる物を探して、これまでにも少なからぬ人が入り込んでいるだろう。

 今頃になって探しまわっても、目ぼしい物は持っていかれた後だろう。


「うーん、どうしたものかにゃぁ……」


 ここが危ない場所だなんて、この二人は理解しているだろう。

 危ないから止めなさいといっても、そんなの分かっていると言われるだけだろう。


 たぶん、旧王都の暗がりには、この子らと同じような子供がまだいるはずだ。

 手を差し伸べていたら、たぶんキリが無くなるだろうし、ストリートチルドレンの保護は領主である大公殿下の役目だ。


 俺が勝手に保護し続ければ、それは大公殿下の統治能力に問題があると言っている事になる。

 つまり、この場合は見なかった事にするのが無難なのだろう。


「でもにゃぁ、見て見ぬ振りは出来ないだろう」


 片や、大公殿下の屋敷で厳選された材料で作られた夕食を腹一杯食って、後はフカフカな布団で眠るだけの冒険者。

 片や、立ち入り禁止区域の空き家で、金目の物を物色する薄汚れた服装の兄妹。


 お金だけが幸せの基準ではないが、どちらが幸せそうかと問われれば、後者を選ぶ人は少

ないだろう。

 いきなり声を掛けると、逃げ出そうとして転んで怪我しそうなので、先に空属性魔法で柔らかい壁を作って二人を囲んだ。


「うわっ、何だこれっ……」

「一緒に来るなら、夕食を食べさせてあげるけど、どうする?」


 空属性魔法で明かりの魔道具を作って空中に浮かべると、二人はポカーンと口を開けて俺を見上げた。


「逃げるぞ、チッタ……くそっ、こっちもか!」

「お兄ちゃん、出られないよ」

「くそっ、俺達をどうする気だ!」


 年上の男の子は、俺を威嚇するように睨みつけてくる。


「えっ、お腹空いてないの?」

「空いてる!」

「馬鹿、知らない奴に気を許すな!」


 どう見ても栄養失調にしか見えない二人だが、兄の方は俺への警戒を解こうとしない。

 話している内容からして、あまり良い環境で育っていないのだろう。


「俺達をどうする気だ!」

「夕食を食べさせる気だけど……」

「嘘つけ! 俺達を騎士団に突き出して金をもらう気だろう!」

「えっ、君らを突き出すとお金になるの?」

「とぼけるな! 報奨金ってのが目当てなんだろ!」

「いいや、報奨金なんて貰わなくても、俺は生活に困ってないよ」

「俺達だって困ってねぇ!」

「でも、お腹空いてるんだよね?」

「す、空いてねぇ!」

「君が断ると、妹も食べられないけど……いいの?」

「そ、そんなの……」

「お兄ちゃん、お腹空いた……」


 妹にすがり付かれて、男の子の目が葛藤で揺れている。


「意地張ってないで付いておいで、うちの拠点に来るのが嫌なら、どこかの出店で食べるものを買ってあげるよ」


 空属性魔法で作った壁を消し、新たに作った明かりの魔道具を並べて道まで二人を誘導する。

 空き家から出て来た二人を連れて、拠点の方へと向かおうとしたら、明かりに気付いた大公家の騎士が駆けつけて来た。


「貴様ら、そこで何をしてる!」


 騎士の姿を見て逃げ出そうとする二人を再度空属性魔法で作った壁で閉じ込めた。


「畜生! 騙しやがったな!」


 喚き散らす男の子にニンマリと笑いかけた後で、騎士へと向き直り、ステップを使って宙に浮いてみせた。

 宙に浮いた俺を見て、駆け寄ってきた騎士は急停止すると、慌てた様子で敬礼してみせた。


「し、失礼いたしました、エルメール卿」

「警戒、ご苦労様です。子供を二人保護したんだけど、旧王都には孤児院とかあるのかな?」

「はい、ございます。ご存じの通りダンジョンで栄えた街ですし、冒険者の親を亡くした子供を保護するために孤児院があります」


 旧王都の孤児院は、大公家とギルド、それにファティマ教の支援によって営まれているそうだ。

 孤児院の場所を尋ね、明日にでも連れていくかもしれないと伝え、騎士には持ち場に戻ってもらった。


 俺に向けてビシっと敬礼してから去っていく騎士を、男の子はポカーンと口を開けて見送っていた。


「お、お前、何者だよ……」

「俺かい? 俺はニャンゴ・エルメール、Aランク冒険者にして、シュレンドル王国名誉子爵だよ」

「き、貴族様……ご、ご、ごめんなさい、殺さないで……」

「これから食事をさせようとする相手を殺す訳ないだろう」

「ほ、本当か……ですか」

「心配しないで付いておいで」


 何か貴族に対するトラウマでもあるのだろうか、俺が貴族と分かった途端、男の子は怯えるような様子を見せた。

 二人を連れ帰ったチャリオットの拠点には、ガドと兄貴が帰っていた。


 ライオス達は、護衛の依頼を受託して新王都へ出掛けている。


「ニャンゴ、その子供はどうしたんじゃ?」

「ダンジョンが崩落した立ち入り禁止区域で拾ってきた」

「ほぅ、孤児か?」

「たぶん……」


 縦にも横にもゴツいガドに見下ろされて、二人は石化したように動きを止めている。


「ニャンゴ、何か食べさせる前に洗ったらどうだ?」

「そうだね、兄貴手伝って」

「いいぞ」


 食事の前に、二人を風呂場に押し込んで丸洗いした。

 男の子は嫌がって暴れようとしたが、ガドに手伝ってもらうかと言うと諦めて大人しくなった。


 二人とも酷く汚れていて、カピカピになっていた髪の毛には、シラミやノミ、ダニが巣くっていた。

 石鹸を使って二度洗いして、ようやく垢を全部洗い流せた。


 あちこち虫に刺されたり、爛れたりしていて痛々しい。

 着ていた服は、もう服とは呼べないほどボロボロだったので、男の子には俺の普段着と下着、女の子にはミリアムのワンピースと下着を拝借して、少し詰めて着せた。


 男の子の名前はナバレロ、女の子はチターリアというそうだ。

 ナバレロは犬人で、チターリアは狼人、二人は実の兄弟ではないらしい。


 詳しい話を聞こうと思ったのだが、ガドが作ってくれたパン粥を食べたら、二人ともスイッチを切ったように眠りに落ちてしまった。

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