第356話 港町の騒動
「ニャンゴ、馬車の囲いを解いてみろ」
ライオスに言われて冷房のための壁を外してみると、外の熱気と共に潮の香りが吹き抜けていった。
御者台の後ろへと駆け寄って前方に目を向けると、なだらかな下り坂の向こうに陽光に照らされた海が広がってる。
「にゃ、海だ……」
「ちょ、ちょっと、あたしにも見せて」
俺を押しのけるようにして出て来たミリアムは、海の方角を見詰めて目を丸くした。
「う、嘘っ……あれ全部水なの?」
ガドの横に座っていた兄貴も、御者台に立ち上がって前を見詰めている。
俺は前世では海を見たことも、泳いだこともあるけれど、こちらの世界で見るのは初めてだ。
ましてや兄貴やミリアムは、内陸育ちだから海を見るのも初めてだ。
「どこまで続いてるんだろう?」
「遠い遠い、遥か果ての大陸まで続いておるぞ。向こうの大陸までは、三月以上も掛かるらしい。真っ直ぐには渡っていけぬから、ぐるっと陸地沿いに進むそうじゃ」
ガドの説明を聞きながらも、兄貴は海から目を離せずにいる。
それほどまでに初めて見る海は、俺達を惹きつけてやまないものがあるのだ。
うん、早く美味しい魚が食べたい。
到着するのはお昼ぐらいになるそうだから、早速美味しい魚を堪能したい。
王都から南に延びる街道を真っ直ぐ進み、海に突き当たったところがマハターテの街だ。
街道を挟んで西側が漁港があるエリアで、東側が砂浜が広がるリゾートエリアになるそうだ。
「ガド、港の方に行ってくれ」
「ちょっと待った! せっかくマハターテまで来たんだし、道中護衛や何やかやで稼いで来たんだから浜の方にしようぜ」
セルージョが待ったを掛けたが、ライオスは渋い表情で応じた。
「浜の方は無駄に宿代が高いぞ」
「ダンジョンに挑む前の息抜きだぜ」
「別に浜にはこっちからでも行けるだろう」
「分かってねぇな……海に沈む夕日を眺めながら、美味い酒をクイっと……」
酒とか夕日よりも、セルージョは水着姿のお姉ちゃんの近くに行きたいのだろう。
だが、宿代は西と東じゃ倍近くも違うらしいし、漁港の近くには漁師相手の食堂とかもあるそうだ。
「それじゃあ、ニャンゴに決めてもらおう、どっちが良い?」
「えっ、俺? 俺は……安くて美味しい方!」
「決まりだ、ガド」
「あいよ!」
馬車は街の西側へと進み、魚介の買い付けなどをする商人向けのちょっと良い宿へと入った。
ゴテゴテとした飾り付けは無いけれど、綺麗に掃除された良い宿に見える。
「まったく、ニャンゴは欲望に忠実だからな」
いや、それをセルージョには言われたくないんだけど……。
それに、リゾート側の宿に泊まったところで、チャリオットのメンバーと相部屋になるし、仮に個室だったとしても一人寂しく寝るだけでしょ。
宿に馬車と荷物を預けて、早速港の近くにある食堂へ昼食を食べに出掛けた。
お昼のメニューは白身魚のムニエルとブイヤベースに似たスープ、それにバゲットだ。
「うんみゃぁ! スープ、うんみゃぁ! エビ、貝、魚の出汁が渾然となって、うんみゃぁ!」
「おーおー、今日は一段とやかましいなぁ……でも確かに、このスープは絶品だ」
セルージョの言葉に、他のメンバーも頷いている。
店の女将さんに教えてもらって、バゲットをスープに浸して食べると、もう、もう……
「うみゃい……うみゃすぎる……もう、ここに住む」
「おいおい、これからダンジョンを攻略するんだろうが」
「うにゅぅぅぅ……仕方ないから冒険者を引退したらマハターテに住む。ここでお魚釣って暮らすんだ」
「お前は食うことばっかりだな」
ゼオルさんは、引退後にノンビリするためにアツーカ村に来たみたいだけど、俺はマハターテで美味しい魚介類をうみゃうみゃしながら老後を過ごすと決めた。
白身魚のムニエルも絶品で、イブーロの学校で食べたマルールのムニエルも美味しかったけど、やっぱり海の魚は味に深みがある。
お腹がパンパンになるまで堪能して、美味しさの余韻に浸っていたら、なんだか店の外が騒がしくなった。
「また出やがったぞ! 今日は二隻やられた!」
「おい、浜に知らせろ!」
「鐘だ、鐘鳴らせ!」
怒鳴り合う声が聞こえた後で、カーン、カーン、カーンっと甲高い鐘の音が響き渡った。
「あぁ、なんてこったい。また戻って来やがったのかい?」
店の女将さんが、額に手を当てて顔を顰めた。
「女将、何があったんだ?」
「見たことも無いようなデッカイ鮫さ。ここ一週間ぐらいは姿を見せなくて、てっきり居なくなったと思っていたのに、また漁に出られなくなっちまうよ」
ライオスの問い掛けに、女将はこれまでの経緯を話してくれた。
その巨大な鮫が姿を見せたのは、三週間ほど前だったらしい。
外洋を行く船よりも大きく、漁に出ている船の底を噛み砕いて、海に投げ出された漁師を襲って食らうらしい。
リゾート客が訪れる浜にも現れて、ボート遊びをしていた観光客が襲われたそうだ。
海に生活を依存しているマハターテにとって、漁が出来ない、観光シーズンに海水浴が出来ないでは、死活問題だ。
巨大な鮫は二週間ほど近海に居座った後、ふいっと姿を消し、ようやく漁や海水浴が再開された矢先だったらしい。
女将に話を聞いていると、漁師らしい男達がゾロゾロと店に入ってきた。
「女将、酒だ、酒! また漁に出られねぇよ!」
「本当に戻って来やがったのかい?」
「あぁ、タドロスとマスケラが食われちまったらしい」
「嘘だろう、マスケラのところは子供が生まれたばかりじゃないのかい」
「あぁ、そうだ、そうだった……クソが!」
これは、呑気にうみゃうみゃしていられるような雰囲気じゃなくなってきた。
「あのぉ……その鮫って退治できないんですか?」
「できる訳ねぇだろうが!」
「にゃっ……す、すみません……」
ちょっと聞いてみただけなのに、思いっ切り怒鳴られてしまった。
「退治できるなら、とっくの昔にやってらぁ!」
「この店よりもデカいんだぞ、どうやって退治しろってんだ!」
「まったく、陸の冒険者が何も知らねぇくせに余計なこと言ってんじゃねぇ!」
そりゃあ仲間がやられて気が立っているのは分かるけど、ここまでボロクソに言われる必要は無いだろうと、ムカついて言い返そうかと思ったらライオスに手で制せられた。
「悪かったな、なにせ今日初めて海を見たぐらいだ。そんなデカい魚がいるなんて思ってもみなかったんだ、勘弁してやってくれ」
イカツイ見た目のライオスが席を立つと、漁師たちもギョっとした表情で黙り込んだ。
「い、いや……俺達も気が立って言い過ぎたかもしれん、悪かったな」
「女将、詫びの印に、みんなに一杯飲ませてやってくれ」
「そんなに気を使わなくったっていいんだよ」
「いや、少し話も聞かせてもらいたいからな」
ライオスは女将に酒を頼むと、セルージョに何やら耳打ちをした後で、ガドと一緒に漁師達と飲み始めた。
兄貴は満腹になったせいか、ガドの膝の上でうつらうつらと船を漕いでいる。
俺はセルージョに手招きされて、レイラ、シューレ、ミリアムと一緒に店を出た。
「ニャンゴとレイラは、マハターテのギルドに行って話を聞いて来てくれ。俺はシューレ達と一緒に浜の方で話を集めてくる」
「えっ、どういうこと?」
「その馬鹿デカい鮫ってのは、浜の方にも現れるんだろう? あっちは水深が浅い。ニャンゴが凶悪な魔法をぶち込んでやれば……」
「倒せる!」
「そして、金になる。どうせ倒すなら、がっちり稼ぐのが冒険者ってもんだぞ」
「そのための情報収集って訳だね?」
「そういうことだ」
レイラと一緒に向かった冒険者ギルドは、さぞや大騒ぎになっているかと思いきや閑散としていた。
ギルドの規模も、イブーロのギルドよりも小さいぐらいで、あまり活気が感じられない。
私に任せてというレイラに聞き込みを任せて、おれは足の裏が汚れない程度のステップで普通に歩いているように装ってついて行く。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ、御用を承ります」
「港の方で、鮫が戻って来たって聞いたんだけど、これまでの情報とか教えてくださる?」
「はい、それは構いませんが、うちを経由した依頼とかは出されていないので、一般的な情報しかありませんけど、よろしいですか?」
「冒険者は鮫退治とかに参加していないの?」
「はい。というか、ベテランの漁師さんでもお手上げでして、外洋を行く船も出航を見合わせていたぐらいです」
そもそも、冒険者は海の上での活動は限定されてしまうので、たまに船の積み荷の護衛の依頼が来る程度らしい。
マハターテのギルドの依頼の多くは、魚介や外国からの交易品を買い付けに来たり、王都に売り込みに行く業者の護衛と、近隣の山での魔物の討伐らしい。
「では、今回も冒険者ギルドはノータッチなの?」
「そうですね。漁業関係、あるいは観光関係の協会から依頼が来れば話は別ですが、うちに所属している冒険者の中に巨大な鮫を退治出来るような人材もいませんので……」
「なるほどね。仮に、そうした協会から依頼を受けたとして、ギルドに間に入ってもらうことは可能かしら?」
「はい、依頼の仲介はいたしますけど……そんな方がいらっしゃるのですか?」
「さぁ……どうかしらね」
レイラと話をしている受付嬢は、足元にいる俺の存在には気付いていないようだ。
話を切り上げたレイラが、ひょいっと俺を抱え上げると、どこに居たのと言わんばかりに驚いていたから、ニッコリ笑って会釈しておいた。
そのまま、レイラに抱えられてギルドを後にする。
「なるほど、ライオス達が漁協から、セルージョ達が観光協会から依頼を取ってくるんだね?」
「ええ、でも今日じゃないと思うわよ」
「そうなの?」
「たぶん、今日は情報を仕入れてくる所までで、宿に戻っていくらで受注するか相談して、明日話を持ち掛けに行くはず」
「なるほど……がっちり儲けるんだね?」
「そうよ、それが冒険者だからね」
弾むような足取りのレイラに抱えられ、道行く人の注目を浴びながら宿へと戻った。
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