第343話 ある道中の一日

「にゃ……にゃ、にゃ……にゃ、にゃ、にゃ!」


 素早いジャブから、ワン、ツー、スリーまで連打を繋げる。


「軽打は肩を動かさない、連打はもっと体重を乗せて」

「にゃ……にゃ、にゃ、にゃ!」


 兄貴がムルエッダとの手合せに勝利したのに触発されて、俺も自分のスキルを上げるために、レイラから打撃を教わり始めた。

 勿論、ゼオルさん直伝の棒術は続けているが、棒術と己の肉体を使った打撃では体の使い方も違うし、当然使う筋肉も違ってくる。


 自分が練習を積むことで、拳を振るってくる相手の動きを読めるようにもなるだろうし、俺には別の目的もあるのだ。


「でも、どうしてニャンゴが打撃なの?」


 一通りの練習を終えて、今更のようにレイラが訊ねてきた。


「なにか変?」

「だって、言いたくはないけど、ニャンゴのリーチでは普通の人を相手にするには不利よ」

「まぁ、普通の猫人ならね」

「その口ぶりだと、また何か考えているのね?」

「まぁね……」

「なぁに……教えなさい!」

「みゃっ! 脇は……あっ、あっ、耳らめぇ……」


 レイラに抱え込まれて、耳を甘噛みされ、喉をコチョコチョされて、白状させられてしまった。

 俺が打撃の練習をするのは、空属性魔法で作った拳や武器の操作を滑らかにするためでもある。


 普通の人ならば、自分の手の届く範囲しか攻撃も届かないが、俺の場合は空属性魔法で腕を伸ばしたり、あるいは拳単体を作って動かすことも可能だ。


「じゃあ、手の届かない相手も殴るつもりなの?」

「まぁ、こんな感じでね……」


 ファイティングポーズを取ってジャブを繰り出すと、十メートルほど先の雑草が千切れて飛んだ。


「なるほど、それはニャンゴならではね」

「まぁ、猫人は体重が軽いから、元々体を使った打撃は向いていないし、空属性魔法を使ってもそれは変わらないんだけどね。それでも、敵と対峙した時には牽制に使えると思うんだ」


 それに、空属性魔法を使えば、攻撃の幅は無限と言って良いほど広がる。

 例えば、ジャブを繰り出す格好をして、空属性魔法で作った拳はボディーフックを打つとかすれば、見えない拳は更にガードしにくいだろう。


 空属性魔法で作った拳自体は軽いけど、雷の魔法陣や粉砕の魔法陣を仕込めば威力はいくらでも増やせる。

 雷をまとったジャブ、爆発するパンチとか、凶悪だな……楽しいにゃ。


 俺、兄貴、ミリアムに講師役のシューレ、レイラ、それにマリス達三人も加わって朝の鍛錬を行っていると、セルージョが大欠伸をしながら起きてくる。

 なんだか、日増しに駄目なオッサン度合いが上がっているのは気のせいだろうか。


「おーおー、朝から元気だなぁ……」

「セルージョ、それじゃ爺さんだよ」

「馬鹿言うな、爺ぃは早起きって決まってんだろう。こうやって朝に弱いのが若い証拠だ」

「てか、最近腹が出てきてない?」

「うぇ? そ、そんなことはねぇ……事もなくはねぇかなぁ……」

「折角、念願のダンジョン攻略に挑むのに、体が鈍ってたら思い通りに動けなくなるよ」

「だ、大丈夫だ。心配ねぇよ……心配ねぇ……」


 心配ねぇと繰り返しながら去っていくセルージョの後姿は、以前よりも丸くなっている気がする。

 鍛錬を終えたら、簡単な朝食を済ませて出発の準備に取り掛かる。


「ねぇ、兄貴……」

「なんだ、ニャンゴ」

「カリサ婆ちゃんのお焼きが食べたくなったから、ちょっとアツーカ村まで帰って来ていいかな?」

「はぁぁ? お前は馬鹿か?」


 ちょっと聞いてみただけなのに、兄貴は心底呆れたような顔をしてみせた。


「うわっ、兄貴に馬鹿って言われちゃったよ」

「あのなぁ……お前は名誉騎士様で、チャリオットの主力メンバーなんだぞ、ちょっとは自覚を持て」

「いやぁ、でも、ちょっと行って帰って来るだけだしさ……」

「駄目だ、駄目、駄目に決まってんだろう」

「あっ、そうか!」

「なんだ? また何かとんでもない事を思い付いたんじゃないだろうな……」

「婆ちゃんにお土産買ってないから駄目だ」


 兄貴が、ガクっとずっこけた。


「どうした、兄貴」

「どうしたじゃないよ……土産にするなら、ダンジョンで功績を上げてからじゃないのか?」

「あっ、そうか……それもそうか。うーん……婆ちゃんのお焼きが食べたいんだけどなぁ……」

「馬鹿なことを言ってないで、さっさと出発の準備をしろ。置いていくぞ」

「しょうがないなぁ……分かったよ」


 ムルエッダに手合せで勝ったからだろうか、兄貴がすっかり冒険者っぽくなっている気がする。

 それは良いとしても、村にいた頃みたいに口うるさくならないと良いのだが……。


 はぁ……お焼き食べたい。

 婆ちゃん、元気でいるかなぁ……イネスは面倒かけて……いるに決まってるよね。


 頼むぞキンブル、イネスの暴走を押さえるのは君の役目なんだからな。

 なんなら、嫁に貰ってやってくれ。


 今日もチャリオットの馬車は、順調に旅を続けている。

 レトバーネス公爵領に入って以来、反貴族派の姿は見えないし、盗賊や魔物も現れない。


「レトバーネス領には魔物はいないのかな?」

「そんな事はありませんよ、エルメール卿。レトバーネス領でもゴブリンやコボルト、オークなどの魔物は現れます。ただ、街道近くは騎士団が巡回して駆除を行っているので、殆ど現れないと思いますよ」


 ディムが言う通り、盗賊や魔物が現れない代わりに、巡回する騎士の姿を頻繁に見掛ける。

 街道の安全が保たれているからこそ、人や物の移動が容易になり、結果として領地が栄えるという事らしい。


 領主であるアーレンス・レトバーネス公爵は、いかにも王族の血を引いていそうな風格を感じさせる獅子人だったが、民衆にもしっかりと目を向けているようだ。

 ラガート子爵が物差しという訳でもないが、懇意にしているレトバーネス領は栄え、余り仲が良いとは思えなかったグロブラス領は危機的な状況にある。


 類は友呼ぶというように、良い領主は良い領主と惹かれあうものなのだろう。

 ダンジョンがある旧王都は、大公の領地だと聞いている。


 どんな人物で、どんな領地なのだろうか。

 ダンジョンで活動するならば、挨拶に出向いた方が良いのだろうか。


 チャリオットの馬車は、昼過ぎにクラージェの街に着いた。 

 クラージェは、街道とルドナ川が交わる交通の要衝で、賑わっている大きな街だ。


 ここで、食糧などの補充を行う予定だ。

 この先、立ち寄る予定の王都でも物資は手に入るが、クラージェに比べると物価は一割から二割ほど高くなるらしい。


 クラージェの市場近くに馬車を停め、ガドとシューレ、ミリアムが留守番、その他のメンバーで買い出しに出掛ける。

 兄貴も残ると言ったのだが、ガドから知らない街を見るのも勉強になると言われて、買い出しチームに加わることにしたようだ。


 兄貴が迷子にならないように、小さなシールドを服に張り付けておいた。

 これで、何処に行ってしまっても探知が可能だ。


 念のために、買い出しメンバーの周囲にも探知ビットを撒いておく。

 たぶん大丈夫だとは思うけど、対応が後手に回るのは避けたい。


「どうしたの、ニャンゴ。何だかピリピリしてるわね」

「うん、多分もう居ないと思うけど、ここで反貴族派の一人が脱走したんだ」


 レトバーネス公爵の屋敷で顔を合わせた、カバジェロという反貴族派の黒猫人の憎しみが籠った視線が頭に浮かぶ。

 護送中に脱走したカバジェロは、あの後どうしただろうか。


「まだ潜伏しているかもしれないの?」

「どうだろう、俺と同じ黒猫人だったから、知り合いのいない土地では生活していくのも難しいんじゃないかな」

「ニャンゴって、意外と心配性よね」

「そうかもしれない」

「折角、私とデートなのに、それじゃ楽しめないわよ」

「にゃ? デート……?」

「あら、違うの?」

「ううん、違わない……そうだ、お米を買わないと、もう無くなりそうなんだ」

「ニャンゴの美味しい料理には欠かせないものね」

「そうそう、ほかほかご飯は欠かせないからね」


 こちらの世界に転生してから最初に米を見たのも、このクラージェの街をナバックと歩いていた時だった。

 今は季節が夏だから、あまり良い米は残っていないだろうから、あまり大量に仕入れないようにしよう。


「おーい、行くぞニャンゴ!」

「今、行く!」


 ライオスに急かされて歩き出すと、すかさずレイラに抱え上げられてしまった。


「ニャンゴが迷子にならないようにね」

「いや、俺よりも兄貴が……」

「大丈夫じゃない」


 迷子の心配をしていた兄貴は、ムルエッダに肩車をされていた。

 手合せをして以後、ガドを交えた三人で良く話をしている姿をみるようになった。


 互いを認め合うような冒険者が兄貴にも出来たのは、ちょっと嬉しい。

 でも、三角関係になったりしないだろうね……ちょっと心配。

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