第320話 葛藤の先にあったもの後編(カバジェロ)

 パンツ一枚を残して、着ていた服も、杖や義足も取り上げられてしまった。

 あの日の襲撃で、複数の騎士が命を落としたと聞いているから、扱いが手荒なのも当然だろう。


 身ぐるみ剥がれたのも危険物を隠し持っていないか調べるためだろうし、途中で何度も殴られ、蹴られたのも、同僚を殺した者への腹いせなのだろう。


 身体検査をされた後は、長時間に渡る尋問が行われた。

 襲撃の後に捕えられて脱走するまでの間にも尋問を受けたが、その時はまともな返事もしなかったが、今日は答えられる質問には全て素直に答えた。


 捕まった当時は仲間を売るような真似は出来ないと思っていたし、まだ仲間も残っていたが、今はもう俺一人だ。

 尋問では、反貴族派に属するようになった経緯から始まり、襲撃の様子、脱走してから今日までの事を細々と聞かれた。


 更に尋問する人間が変わって、また最初から同じ質問をされた。

 少々面倒だと思ったが、何かの意味があるのだろうと思って答え続けたが、内容に食い違いがあると何度も確認された。


 二度の尋問が終わったのは、真夜中と思われる時間で、押し込められた地下牢には硬い黒パンとミルクだけの夕食が差し入れられた。

 地下牢は、床も壁も天井も石造りで、廊下に面した部分だけが鉄格子になっている。


 空気はジトっとしていたが、地上に比べると涼しい。

 牢の内部は、木製の狭い寝台が置かれているだけで、後は部屋の隅に汚物を流すための穴があるだけだ。


 鉄格子の下から差し入れられた夕食を床に座り込んで食べる。

 杖も義足も取り上げられてしまったので、寝台の上まで運ぼうとすると引っくり返しそうな気がしたからだ。


「硬っ、こんなに硬いパンは久しぶり……って、いつの間にか良い生活が当り前になっていたんだな」


 黒パンを齧り、ミルクを啜る。

 思い返してみると、開拓村にいた頃には、この程度の食事でも御馳走だった。


「食う物が無くて草食ってたからな……もう、あんな生活には戻りたくないな」


 俺の尋問を行った騎士は、二人とも最初は語気荒く質問を投げかけて来たが、終わりの方では俺に同情的な態度を見せていた。

 貴族の家の騎士だからといって貴族とは限らないし、『巣立ちの儀』の時にスカウトされるのは殆どが平民だ。


 平民出身の騎士達にとっても、開拓村の生活やダグトゥーレに使い捨てにされた仲間達は悲惨に思えたのだろう。

 夕食を食べ終え、硬い寝台に横たわって見上げると、天井の際に鉄格子の嵌った通風孔があり、夜空が見えた。


「俺はどうなるんだろう。王都に送られるのか……それとも、ここで処刑されるんだろうか……」


 目を閉じると、ルアーナの顔が脳裏に浮かぶ。

 笑顔のルアーナを思い出したいのに、別れた時の泣き顔が目に焼き付いて消えない。


 俺の命に代えても守りたいと思っていたのに、最後の最後に泣かせてしまった。


「ごめん……ごめん……」


 瞼に浮かぶルアーナに謝り続けているうちに、いつしか眠りに落ちていた。

 翌朝も、硬い黒パンとミルクだけの朝食が出され、食べ終えた後、やる事もなく寝台に寝転んでいたら、昨晩尋問を行った騎士が現れた。


「出ろ……妙な真似はするなよ」


 騎士は、俺に杖を手渡しながら釘を刺した。

 元より、抵抗する気は更々無い。


 連れて行かれたのは、綺麗に整えられた芝生の中庭だった。

 五段ほどの石段を上がったテラスには、風格漂うピューマ人の男性が椅子に腰かけていた。


 中庭を囲むように、十人近い騎士が立っている。

 石段の下にも二人、男性の背後にも二人の騎士が控えている。


 石段の下に跪かされ、ピューマ人の男性に見下ろされた。

 目線の位置や体格の問題ではなく、身にまとっている空気のようなものが違うのだ。


「フレデリック・ラガートだ。処分を決める前に話を聞かせてもらう」


 やはり目の前の男性が、ラガート子爵家の当主だった。


「申し訳ありませんでした」

「それは何に対する謝罪なんだ?」


 質問を受ける前に、深々と頭を下げて謝罪すると、その意味を問われた。


「俺は、無知だったからダグトゥーレの言う事を信じ込んでしまい、真偽を確かめようともせずに襲撃に加担してしまった。仲間の攻撃によって、ラガート家の騎士の命を奪ってしまった。本当に申し訳ありませんでした」

「ふむ……」


 もう一度頭を下げると、子爵は俺の心の中まで見透かそうとするようにジッと視線を向けた後で、一つの質問をぶつけてきた。


「昨晩、尋問を行った騎士は王都まで同行した者で、襲撃後に君の尋問も行っている。その二人が揃って口にしていた……別人かと思ったと。毛色が変わり、片腕片足を失い、人相も変わっている。自ら名乗り出なければ、捕まる事もなかったのではないのか? なぜ名乗り出ようと思ったのだ?」


 確かに、尋問を担当した騎士からは、本当にカバジェロなのかと念を押されたほどだ。

 子爵の言う通り、名乗り出なければ今でもルアーナの隣にいられたはずだ。


「昨日、訓練施設を見学させてもらいました。革細工や木工の訓練場で、猫人達が丁寧に教えられながら活き活きと作業に取り組んでいる様を見て、子爵様の取り組みが正しいと……あの時の自分が本当に間違っていたのだと思い知らされました」

「それで名乗り出ようと思ったのか」

「それだけじゃなくて……脱走した後に色んな人と知り合い、生まれて初めて好きな女ができたんです。ルアーナは本当に真っすぐな良い子で、俺の命に代えても大切にしたいと本気で思っていました」

「だったら、名乗り出ない方が良かったのではないのか?」

「いいえ、それじゃ駄目なんです……ルアーナが大切だからこそ、罪を償わないままでは隣にいられない。今の俺は、ルアーナには相応しくない。ルアーナの隣で胸を張っているためには、けじめをつける必要があるんです」


 子爵は俺の言葉を聞き終えると、納得したように二度頷いてから、おもむろに口を開いた。


「貴族に危害を加えた者は、死罪だと定められているのは知っているか?」

「脱走前の尋問で聞かされましたし、死罪と知ったから脱走しました」

「それなのに戻って来たのか? 二度と恋人の元に帰れないのに……」

「自分の罪と向き合わず、コソコソ逃げ隠れする男では、ルアーナの隣に立つ資格はありません。たとえ死罪になるとしても、俺はルアーナに相応しい男でありたい」

「死んだら、彼女を守れなくなるぞ」

「自分でもメチャクチャな事をしている自覚はあります。それでも、今のままではルアーナの隣にはいられないし、処刑されて生まれ変われるならば、次こそはルアーナの隣で胸を張れる男になってみせます」


 そうだ、たとえ生まれ変わっても、ルアーナへの気持ちは変わらない。

 きっともう一度巡り会えるはずだし、その時こそは俺の全てを懸けてルアーナを守ってみせる。


 再び頷いてみせた子爵は、違う話題を口にした。


「カバジェロ、グロブラス領が今どんな状況か知っているか?」

「えっ? いいえ、ギルドで登録をした後、キルマヤに移り住んでからは一度も帰っていませんし、話も聞いていません」

「反貴族派が活動を活発化させて、粉砕の魔道具を使った襲撃などを行っている」

「そんな……でも、俺の仲間はみんな死んでしまって……」

「ダグトゥーレとかいう男が手を伸ばしていたのは、君らの所だけではなかったのだろう」

「また……また猫人が騙されて、粉砕の魔道具を持たされて、殺されているんですか?」

「そうした話も聞いている。私やエルメール卿は、てっきり君がやったものだと思っていたよ」


 あの日、俺よりも先に粉砕の魔道具を使った、茶トラのラロスを思い出して胸が苦しくなった。


「何とか……何とかならないんでしょうか?」

「貴族は他家の内情に口出ししない……というのが、この国の不文律だ。手を下せるのは王家だけだが、それとても領主が応諾しなければ難しい。それに、私にはラガート領でやるべき事がまだまだある。他家を気遣うだけの余裕は無い」


 襲撃当時の俺ならば、子爵に役立たずと食って掛かっていたかもしれないが、今なら理解できる。

 グロブラス領も、エスカランテ領も、ラガート領も、それぞれが違う領地であり、領地によって雰囲気がガラっと変わると知ったからだ。


「では、どうにもならないんですか……」

「カバジェロ、君はなぜ道を誤った?」

「それは、貧しくて生きるのが精一杯で、世の中を知る余裕が無かったから騙され、信じ込まされ、過ちを犯しました」

「その生活から、ずっと抜け出せないと思っていなかったか?」

「思っていました、ずっと這いつくばって暮らしていくと思っていたから、世の中が変わるというダグトゥーレの話を信じたいと思ってしまった」

「ダグトゥーレという男が希望だった?」

「そうです。たぶん、今グロブラス領で反貴族派として活動している連中も同じだと思います。毎日の暮らしに絶望し、希望を与えてくれる人を深く考える余裕もなく信じてしまっているのだと……」


 子爵は、大きく頷いた後で急に話題を変えた。


「エルメール卿はダンジョンを攻略するために旧王都へ向かった。ラガート領にとっては、有能な冒険者が居なくなってしまうのだから大きな痛手だが、私は快く送り出したよ。なぜだと思う?」

「それは……ラガート領の宣伝のためですか?」

「そうではない。エルメール卿にはシュレンドル王国全体を照らす希望となってもらいたいからだ」

「あっ……」

「ダグトゥーレのような偽者じゃない、本物の希望だ」


 訓練施設で見た、エルメール卿の乗った魔導車をいつまでも見送っていた猫人達の顔を思い出した。


「ラガート領にいたのでは、どれほど活躍しても国の端々までは伝わっていかない。だが、ダンジョンならば、旧王都での活躍ならば噂は広がっていく。きっと彼は我々の想像を越えるような活躍をするだろう。それは必ずや猫人や虐げられてきた人々の希望となるはずだ」


 ダグトゥーレに出会う前に、エルメール卿の活躍を知っていたらどうだっただろう。

 その頃はまだエルメール卿ではなかったし、それだけで状況が大きく変わったとは思えないが、考える基準の一つにはなっていたと思う。


 俺はどこで道を間違えたのだろう、どこで踏みとどまれば間違えずに済んだろう。

 悔やんでも悔やみきれない思いに沈むと、中庭は暫しの静寂に包まれた。


 静寂を破ったのは、ラガート子爵の厳かな声だった。


「では……そろそろ処分を伝えるとしよう」


 ガシャ……シュー……ジャキッ!


 中庭を囲んでいる騎士達が、一斉に剣を抜き、体の前で垂直に立てて構えた。


「反貴族派の活動家カバジェロには、死罪を言い渡す」

「はい……」


 覚悟は出来ている、こんな綺麗な芝生の上で死ねるなら、俺の人生の最後としては上出来だろう。

 最後に、もう一度ルアーナに会いたかったけど、こんな姿は見せたくない。


 俺みたいな男ではなく、ルアーナに相応しい真っすぐな男と幸せになってくれ。

 騎士の一人が、剣を構えたまま歩み寄ってきた。


「手を地面について、首を突き出すように頭を下げろ」


 言われるままに、手をついて頭を下げた。

 俺が頭を下げると同時に、子爵の声が響いた。


「執行!」


 騎士の長剣が唸りをあげ……俺の耳の先をかすめて芝生に食い込んだ。


「……えっ?」


 何が起きたのか理解出来ない俺に、子爵が重々しく宣言を下した。


「ラガート家の魔導車を襲撃した反貴族派の活動家カバジェロは処刑した。今からは、キルマヤの冒険者ジェロとして、彼女の隣で胸を張れる男になれ」


 子爵が目を向けた方向へ視線を転じると、中庭に面した建物の扉が開き、一番会いたかった人が飛び出して来た。


「ジェロ、ジェロ、ジェロ!」

「ルアーナ!」


 残された左足で、よろめきながら立ち上がった俺を駆け寄ったルアーナが抱きしめる。


「離さない、もう絶対に離さないんだから……うぅぅ……」

「俺もだ、俺も絶対にルアーナを離さないぞ」

「ジェロ……」


 ぐしゃぐしゃに泣きじゃくるルアーナを抱きしめて、俺も止めどなく涙を流し続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る