第314話 ナコートの休日(カバジェロ)
「馬の世話が終わったら、夕食までは自由にして構わんぞ。明日は、ここを発って新しく出来た訓練施設を見学に行くそうだ。イブーロに着けばまた忙しくなるし、街でも見物して羽を伸ばしてこい」
ナコート滞在四日目、俺とルアーナは半日ほどの休暇をもらった。
グラーツ商会のオイゲンさん達は、これまでに見学した工房で確かめたり、実際に仕入れてきた品物について検討を重ねて、取引するか否かを話し合うそうだ。
この後、イブーロという街でも、同様の検討を行うので、ナコートを発つ前に大筋を決めておきたいらしい。
話し合いの間は宿から出る予定が無いので、俺達が自由に行動しても問題無いそうだ。
「ジェロ、手伝って。さっさと終わらせて街を見に行こう!」
「お、おぅ……」
ルアーナは張り切って馬の世話を始めたが、俺は正直そんなに街の見学がしたいとは思っていない。
何しろ、ここはラガート子爵領だから、俺の正体を知る人物と出くわさないとも限らないのだ。
それに、連日昼間は日差しが照りつけるようになっていて、出来れば涼しい場所でノンビリしていたい。
でも、こんなに外出を楽しみにしているルアーナを見てしまったら、出掛けないなんて言えないよな。
馬の世話を終えたルアーナは、水浴びをして着替えたら、俺を抱えて飛び出しそうだった。
「待て、待て、待ってくれ。そんなに慌てなくったってナコートの街は無くならないよ」
「だって、折角の休みだし、他の街を見て歩けるなんて初めてだから……」
「まだ走り回れるほど義足に慣れていないんだ、もっとゆっくりしてくれ」
「あっ……ごめん」
「それに、俺はルアーナさえ一緒にいてくれれば、ナコートだろうと、ルガシマだろうと、キルマヤだろうと、それこそ地の果てだって構わないんだ」
「ジェロ……うん、私もジェロと一緒なら、どこにいたって幸せ」
「まずは、街の中心部へ行ってみよう」
「うん!」
ルアーナは左手で俺の右手を握り、ゆっくりと歩き出した。
ナコートは牧畜の街だ。
ブーレ山の麓に広がる草地で、牛や馬、豚、羊などの家畜を放牧している。
中でも、馬の飼育で有名らしい。
そのためだろうか、街中には馬具を扱う店を数多く見掛ける。
こうした馬具の店の中にも、グラーツ商会と取引を行っている店があるそうだ。
貴族の間では、移動の手段として魔導車が一般的になってきているそうだが、一般人の移動や荷物の運搬は今でも馬車が主流だ。
重たい荷を引いてもへこたれない丈夫な馬は、高値で取引されるそうだ。
グラーツ商会の馬車を引いている馬も、ここナコートで仕入れたものらしい。
「こっちは鞍か……そっちは長靴……むこうは鞭か……」
「あたし、鞭を買って練習しようかなぁ。ジェロ、練習に付き合ってくれる?」
「にゃっ! にゃ、にゃにするつもりだ……」
「それは勿論……」
「よ、よせ、俺はそんな趣味は無いぞ……」
「ふふっ、それじゃあ、あたしが教えて、あ、げ、る……」
「こ、断る、断固拒否するぞ!」
勿論、冗談で言ってると分かっているが、 鞭で叩かれるなんて御免だ。
てか、冗談だよな?
鞭を扱っている店に入ろうとするルアーナを全力で引き止めて、他の店へと引っ張っていく。
「ルアーナ、昼食はどうする?」
「んー……それよりも、鞭を……」
「いや、いいから、もう鞭はいいから昼食!」
「もう、しょうがないなぁ、ジェロの食べたい物でいいよ」
「お、俺の食べたい物……?」
食べたい物と聞かれて、返事に困ってしまった。
反貴族派のアジトを後にして、冒険者ギルドで登録を終えて以来、口にした物はみんな美味かった。
どれもこれも、開拓村にいた頃には食べた事がない美味さだから、特にこれが食べたいという物はないのだ。
「じゃあ、街の人にナコートの名物を聞いて、それを食べようよ」
「ナコート名物か、いいな。そうしよう」
話が決まると、ルアーナは街角で立ち話をしている三人組の中年の女性達に歩み寄っていった。
「こんにちは、あたしたちエスカランテ領から来たんですけど、ナコート名物の美味しい物って何ですかね?」
「ナコート名物ねぇ……」
「やっぱりラムチョップじゃない?」
「そうね、この時期ならまだミルクラムが食べられるでしょ」
「ミルクラム……って羊の種類なんですか?」
「そうじゃないわ、まだ授乳期の子羊のことよ」
「肉が柔らかくて、臭みも無くて美味しいわよ」
「ちょっとお高めだけど、目玉が飛び出るほどの金額じゃないわよ」
「それって、どこで食べられますか?」
「そうねぇ……」
中年の女性三人に混じってルアーナまで、鳥が囀りを交わすように引っ切りなしに喋り始めた。
俺が口を挟む隙など全く無くて、よくもまぁ、あんなに口が回るものだと感心してしまう。
「ありがとうございました……ジェロ、行こう!」
「お、おぅ……」
結局、俺は会釈しただけで、ルアーナの斜め後ろで立っていただけだったが、手頃な価格の美味しい店まで紹介してもらったようだ。
「デザートに、チーズを使ったケーキのお店とミルクアイスのお店も紹介してもらっちゃった。どうしよう、全部食べたら太っちゃうかも」
「大丈夫だ、ルアーナはちっとも太ってなんかいないよ」
「ホントに? でも、ジェロに幻滅されないように、ケーキとアイスは半分こして食べようか?」
「そうだな、俺とルアーナで分け合おう」
「うん!」
何を食べるかなんて、俺にとっては二の次で、ルアーナと一緒だったら何を食べても美味いと思うだろう。
ラムチョップの店に着いてからも、ルアーナは社交性を遺憾なく発揮した。
「こんにちは、私達エスカランテ領から来て、街の人に聞いたらここが一番おいしいお店だって紹介されて来ました」
「おぉ、そうかい、そうかい、それじゃあ腕に縒りをかけて調理しないとだな、ふははは……」
開店したばかりのタイミングも良かったのか、自ら注文を聞いた店主は上機嫌で調理を作り始めた。
そして、運ばれてきたラムチョップのステーキは絶品だった。
「うわっ、柔らか~い……」
「にゃ、にゃんだ、この肉! こんな美味い肉、初めてだ!」
「焼き加減? 塩加減? もう最高……」
「うみゃいな……噛みしめるほどに、うみゃい……」
俺達が食べてる様子を見ていたのか、周りのテーブルから次々とラムチョップの追加オーダーが入り始めた。
夢中で食べ続けて、最後に骨までしゃぶろうかと悩んでいたら、またラムチョップのステーキが運ばれて来た。
「こちら、店長からです……」
「い、いいのか……?」
どうやら、俺達の食べっぷりが気に入った店長がサービスしてくれたらしい。
他の人に内緒で……と手振りをした店員に頷いて、ルアーナと追加のラムチョップにかぶりついた。
「脂が甘い……もっとラムって臭みが強いと思ってた」
「肉なんて殆ど食べた事が無かったから違いは分からないかと思ったが、これは美味い、美味すぎだにゃ」
心ゆくまでラムチョップを堪能し、お金を払って店を出ると、外には行列が出来ていた。
「タイミングが良かったな、もうちょっと遅かったら並ぶところだった」
「意外と、あたしとジェロの食べっぷりが宣伝になったのかもよ」
「いや、さすがに店の外にまでは届かないだろう」
「あぁ、美味しかった……でも、サービスしてもらっちゃったから、お腹一杯でデザートが入らないよ」
「少し散歩すれば大丈夫だろう」
「それもそうね」
とは言ったものの、日が一番高く昇り、気温も上がっているので歩き回るには向いていない。
「ジェロ……教会に行かない?」
「みゃっ? にゃんで教会?」
「礼拝堂って天井が高いし、日が差さないから涼しいんだよ」
「そうなのか、じゃあ行ってみよう」
街の中心にある聖堂の中は、ルアーナの言う通り涼しかった。
大きな聖堂の内部には、正面に女神ファティマの像が飾られ、窓は色ガラスで装飾が施されている。
全部で二百人以上が座れるであろう椅子のあちこちで、街の人が思い思いに祈りを捧げていた。
ルアーナに手を引かれて、聖堂中程の椅子に腰を下ろす。
街とはドア一枚しか隔てられていないはずなのに、聖堂の内部は静かな空気に包まれていた。
椅子に腰を下ろすと、ルアーナは両手を組んで静かに祈りを捧げ始めた。
俺は、正直ファティマ教には興味がなく、つながりを持ったのも『巣立ちの儀』の時だけだ。
そもそも神様なんてもの存在しているのならば、なんでこんなに世の中が不平等なのかが分からない。
貧しい者は更に貧しく、裕福な者は更に裕福になる世の中は理不尽そのものだ。
反貴族派に属していた頃の怒りが、また胸の中で燃え広がろうとしたが、冒険者として街に出て、タールベルクに拾われてからの生活で見知ったことが火に水を注いだ。
裕福な者でも、ただ何の努力もせずに裕福だとは限らない。
グラーツ商会のオイゲンさんのように、事業を更に発展させて、商会に働く者たちがもっと良い暮らしが出来るように努力を続けている人もいる。
逆に、かつての自分は貧しさを嘆くだけで、そこから抜け出す努力を何もしていなかった。
勿論、生きていくのに精一杯で、貧しさから抜け出そうとする余裕すら無かったのだが、それでも今になると、もう少し何か出来たような気がする。
気が付くと、俺は女神ファティマの像をジッと見詰め、その俺をルアーナが見詰めていた。
「ジェロは、お祈りしないの?」
「んー……今の俺は祈るよりも、やらなきゃいけない事の方が沢山あるような気がする。祈るのは、自分が出来る事をやり尽くして、それでもどうにもならない時にとっておくよ」
「ジェロは強いね……あたしはファティマ様に頼っちゃうよ」
「良いんじゃないか、それがルアーナのやり方なら……でも、俺ももっと頼られる男になるよ」
「ジェロ……」
ルアーナと体を寄せ合いながら、暫し午後のまどろみを楽しんだ。
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