第309話 挨拶回り
兄貴が戻って来て、チャリオットは本格的にダンジョンへ向けて出発する準備に取り掛かった。
とは言っても、俺と兄貴は着替えと布団ぐらいしか持って行く物が無いので、荷物は小さなタンスに詰めて終わりだ。
ライオス達は、武器に防具に生活用品と、結構な荷物になるようだ。
それでも、ベッドなどの家具は置いていくので、前世日本の引っ越しのように大掛かりではないようだ。
ただし、全員分の荷物を載せて行くには、これまで使っていた馬車では少々厳しいようで、今の馬車を下取りに出して中古の大型の馬車と交換するらしい。
馬も一頭追加して、二頭立てになるようだ。
基本的に、道中は馬車を使った野営で、はぐれオークなどに遭遇した場合には、サクっと討伐して次の街のギルドで売却して路銀の一部に充てるそうだ。
出発までの間に、学校に挨拶に向かった。
植物学のルチアーナ先生には事情を説明したのだが、レンボルト先生にはダンジョン行きを話していないのだ。
授業終わりの時間に合わせて、研究棟の入り口で待っていると、レンボルト先生はいつものように髪の毛ボサボサ状態で現れた。
「いやぁ、お待たせしちゃいましたか、エルメール卿」
「いえ、今さっき来たばかりです」
「相変わらず散らかっているけど、私の部屋で構いませんか?」
「えぇ、結構ですよ」
階段を上ってレンボルト先生の部屋に行くと、相変わらずどころか散らかり方に拍車が掛かっている気がする。
「今日は、どういった要件でしょう?」
「実は、お別れの挨拶に伺いました」
「はっ? 今、なんと……?」
「所属しているパーティー、チャリオットのみんなとダンジョン攻略に挑むために、拠点をイブーロから旧王都へと移して活動することになりました。今の俺があるのも、レンボルト先生から数々の魔法陣を教えていただいたからです。本当にありがとうございました」
「えぇぇぇぇ……そんなぁ……」
考えてきた挨拶を口にすると、レンボルト先生はボサボサ頭を両手で抱えて固まってしまった。
「あの……レンボルト先生?」
「ショックです……非常にショックですが、エルメール卿の選択は冒険者としては正しいのでしょうね」
「研究に協力できなくなってしまって、申し訳ないです」
「とんでもない! これまでエルメール卿からもらったアイデアで、どれだけ魔法陣の研究が進んだことか。停滞していた進化が一気に十年以上は進んだのですよ。中でも魔法陣を中空構造で作り、重ね合わせて使うという発想は本当に素晴らしいものなんです」
レンボルト先生は、中空の魔法陣を用いた新しい形の魔道具に関する論文をまとめて、既に王都の学院に送ったそうだ。
まだ、返事は届いていないそうだが、論文の価値が認められれば、王都の学院に研究室を持つことも夢ではないらしい。
「では、いずれレンボルト先生もイブーロから旅立つんじゃないですか?」
「正直に言うと、かなりの自信があります。ただ、正式な通達が届かないうちは安心出来ませんからね」
「そう言えば、以前教わった九種類の魔法陣について報告しましたっけ?」
「いや、まだですが、何か分かりましたか?」
「はい、まず出の悪い水の魔法陣ですが、やはり空気中の水分を集める働きをしていました」
ヴェルデクーレブラの討伐に行った時に、除湿の魔法陣の効果を確かめた様子を伝えると、凹んでいたレンボルト先生のテンションが戻ってきた。
「空気中の湿気を集めるなら、たしかに雨季のジメジメからは解放されそうですね」
「それ以外にも、例えば干し肉を作る時とか、物を乾燥させるのに使えると思いますよ」
「なるほど、なるほど……他の泡の魔法陣については何か分かりましたか?」
「はい、一応八種類とも泡の性質について確かめました」
レンボルト先生に紙とペンを借りて、八種類の魔法陣によって発生する気体について書き記した。
水素や酸素といった名称は書かずにおいた。
「これは……燃焼する気体、浮く気体、毒性のある気体、燃焼を促進する気体、燃焼を阻害する気体ですか」
「ザックリとした説明ですけど、扱い方によっては危険なので、注意して下さい」
「エルメール卿は、どれか活用されたのですか?」
「はい、この浮く気体を使って空を飛んでます」
「はぁ? 今、なんと……?」
飛行船についてザックリと話をすると、またしてもレンボルト先生は固まってしまった。
「そ、それは、私達でも再現出来るものですか?」
「うーん……どうでしょう。空気が漏れない丈夫な膜を作って、この気体を充填すれば浮き上がるはずです」
「ですが、風で流されてしまうのでは?」
「流されますね。実際、嵐に流されてしまって帰ってくるのが大変でした」
「動力は風の魔道具ですか?」
「そうです。高度によって風向きも変わりますので、向きを変えて上昇下降も出来るようにしておいた方が良いですね」
「うーん……空を飛ぶ魔道具ですか、夢が広がりますね」
エストーレに不法侵入した件は話せないので、アツーカ村までの里帰りに使っている様子を話した。
「なるほど、道に沿って曲がる必要もなく、一直線に進めるから時間の短縮にもなるのですね」
「はい、旧王都に移った後も、半年に一度ぐらいは帰って来ようと思っています」
「その頃、まだ私がこの学校にいたら、是非訪ねて来て下さい」
「いやいや、再会は王都の学院にしましょう」
「あぁ、そうですね。そうしましょう。そう出来るように頑張りますよ」
この後も魔法陣に関する話が弾んで、まだ話し足りないからと夕食に誘われた。
この散らかり放題の部屋を訪れるのも最後かと思うと、ちょっとだけ名残り惜しい気は……しないかな。
食堂に向かう間も、魔法陣についての話を続けていたら、通り掛かった男子生徒から挨拶をされた。
「こんばんわ、エルメール卿」
「どうも……こんばんわ」
急に挨拶されたので、ちょっと驚きながら挨拶を返して通り過ぎようとしたのだが、どこかで会ったような気がして振り返ると、男子生徒もこちらを見ていた。
「えっと、どこかで……」
話し掛けた言葉を飲み込んで、思わずフリーズしてしまった。
「ミ、ミゲル……?」
「はい、ご無沙汰しています、エルメール卿」
「いやいやいやいや……ウソウソ……ありえない……」
ミゲルは狼人だが、贅沢な食生活と不摂生が重なって、パグかチャウチャウかと思うようなだらしない体型をしていたのに、目の前にいるのは別人にしか見えない。
まだ、お腹周りに緩さはかんじられるものの、肩幅とか胸板とかが見るからにガッチリしているし、弛んでいた頬がシュっとしていた。
そして、何よりも俺に向かってキッチリ頭を下げて、敬語を使って挨拶してくるなんて、ミゲルであるはずがない。
「これまで、数々失礼な事をして申し訳ありませんでした。これからは謙虚に努力を重ねてまいりますので、どうか暖かく見守って下さい。では、失礼いたします」
呆気に取られている俺に向かって一礼すると、ミゲルは学生寮の方向へと歩み去っていった。
両手の拳が震えるぐらい握り締められているように見えるのは、俺の気のせいだろうか。
怒りとか悔しさを押し殺して敬語を使っていたのかな。
「どうなってんの? いやいや……ウソウソ……」
「エルメール卿、ミゲルは雨季の終わりぐらいから急に生活態度が変わって、我々教師も首を捻っていたのですよ」
「では、あれはミゲルで間違いないんですか?」
「勿論、間違いなくアツーカ村のミゲルです」
「一体、何がどうなったらミゲルがあんなに謙虚になるんですか?」
「どうやら、学校に駐留しているラガート騎士団の方と知り合ったようで、アドバイスをしてもらっているみたいです」
「そうなんですか……騎士団流の特訓なんでしょうかね」
本当にさっきの男子生徒がミゲルだったのか、まだ半信半疑だったりするけど、もし本当に心を入れ替えたのだとしたら、そこは認めてあげないといけないよね。
キツネにつままれた気分で食堂に入ると、中では多くの生徒が食事中だった。
少し前までのミゲルだったら、同じクラスの連中の中で見栄を張ってホラ話でもしていただろうに、孤立していないか少し心配になった。
食堂にはメンデス先生の姿もあったので、ついでと言っては失礼だが挨拶させてもらった。
「そうか、ダンジョンか……出発する前に、一度手合せ願いたいところだが難しいかな?」
「そうですね。準備もありますし、他にも挨拶に行っておきたいので」
「エルメール卿がイブーロに来てからは、知り合いから噂話を聞くのが楽しみでしたよ」
「最初にお会いしたのは、まだイブーロに出て来たばかりの頃でした」
「あぁ、エルメール卿に叩きのめしてもらったおかげで、ジャスパーはメキメキと腕を上げていますよ」
「さっき、ミゲルらしき生徒に会ったんですが……」
「うははは、ミゲルらしき……そう言われるのも当然ですな。どうやら騎士の一人に目を掛けてもらい、騎士団の施設で訓練しているようです」
「体格も驚きましたが、何より驚いたのは俺に接する態度です」
「その辺りも騎士団で鍛えてもらってるようですよ」
どこのどなたか知らないけど、あの性根の捩じくれていたミゲルを更生してくれたのだから、感謝の言葉しかない。
ミゲルがリバウンドしないようメンデス先生によーくお願いしておいた。
食堂の前で先生達と別れて校門に向かおうとしたら、壁にもたれて膨れっ面をしたオリビエがいた。
俺は気付かなかったが、食堂にいたのだろう。
「ニャンゴさん、ダンジョンに行かれるって本当ですか?」
「うん、本当だよ」
「どうして……どうして、もっと早く教えてくださらなかったのですか?」
「出発するのは、もう少し先になると思ってたんだ。ごめんね」
「街に遊びに連れて行ってくださる約束だったのに……」
「ごめん……」
ステップで視線の高さを合わせてオリビエの頭を撫でると、ギュッと抱き付かれてしまった。
「行っちゃ嫌です……」
「ごめん……」
「ニャンゴさんの意地悪……」
「ごめん……」
女の子のわがままに、気の利いた言葉の一つも返せない自分が情けなかった。
オリビエが解放してくれるまで、俺はひたすら謝り続けた。
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