第308話 陽炎の立つ道を
「じゃあ、婆ちゃん、また遊びに来るからね」
「はいよ、次は半年後ぐらいかい? 楽しみに待ってるよ」
「うん、イネスもあんまり婆ちゃんに面倒掛けないようにね」
「うーん……分かった……」
「本当に分かってるのかねぇ」
「うん、お土産はお肉ねぇ……」
夕食会の翌朝、村を出発する前にカリサ婆ちゃんの家に寄った。
驚いたことに、イネスは婆ちゃんの家に住み込みを始めていた。
家にいると甘えが出るかららしいが、シャキっと起きて身支度も整えている婆ちゃんに対して、イネスは寝巻のままで半分以上眠っている感じだ。
「婆ちゃん、イネスを頼むね」
「はいよ、任せておいで。ちゃんと薬師に仕立ててあげるよ」
まぁ、手のかかるイネスがそばにいる事で、婆ちゃんが矍鑠としていられるならば、住み込みをする意義はあるのかもしれない。
ダンジョンに出発するまでに、もうアツーカ村には戻って来ないと思うと、昨晩カリサ婆ちゃんには伝えてある。
だから今朝は、さりげなく、いつものように出発するつもりだ。
「ニャンゴ、そろそろ出発するぞ。遅くなると気温が上がりそうだからな」
「はい、行きましょう。じゃあ、婆ちゃん、またね」
「はいよ、ニャンゴも体に気を付けるんだよ」
別れ際にギュっと抱きしめられたら、また涙が溢れてしまいそうだったが、ぐっと奥歯を噛みしめて堪えた。
御者台の上から振り返って手を振ると、婆ちゃんは笑顔を作りながらもポロポロと涙を零していて、それを見たら視界が歪んでしまった。
「村の貴重な薬師だからな、みんなでちゃんと見守っていくから心配するな」
「はい……よろしくお願いします」
今の俺に出来る事は全部やったつもりだから、ここからは前を向いてダンジョンに挑もう。
「今日も暑くなりそうだな……」
「大丈夫ですよ。日除けもありますし、あまり暑かったら水も撒くし、囲いを作って冷房もいれますから」
「そいつは助かるが……帰りが問題だな」
「あぁ……そこはゼオルさんの腕でカバーして下さい」
「こいつ……言うようになったな、がははは……」
今はまだ涼しいけれど、日が高くなれば気温が上がると思われるので、馬車の御者台から馬の上まで古い幌布を空属性魔法の支柱で張って日除けを作っている。
気温が上がってきたら、焼けた道に水を撒き、更に気温が上がるようなら空属性魔法で馬の前まで壁を作り、内部に冷却の魔法陣を作るつもりだ。
魔力回復の魔法陣を覚えたおかげで、沢山の魔法を継続して使えるようになったから、この程度は問題無い。
イブーロから旧王都へ向かう道中も、馬の負担を減らすように同様の措置をしてやろう。
「しかし、ニャンゴだけでなくフォークスもダンジョンに行くとは思ってもいなかったな」
「俺は、ニャンゴのオマケみたいなものですよ」
「いやいや、村での働きをみれば十分に戦力になるさ。何しろダンジョンは土の中だからな」
兄貴は、ゼオルさんの所に居候しながら、ダンジョンの話を色々と聞いていたらしい。
地面から棘を生やして敵を足止めする工夫は、そうした話を聞くうちに思い付いたものらしいし、他にも工夫をしているそうだ。
「他の工夫って?」
「歩きながら地面や壁の中を探査するんだ」
「へぇ、そんな事も出来るんだ……」
「まぁ、まだ練習中だけどな」
猫人の多くは、他の人種と違って靴を履きたがらない。
理由は、肉球のクッションと爪のスパイクが、靴なんかよりもずっと優秀だからだ。
俺もステップで足場を作ってはいるが、基本的には裸足だ。
そして、裸足であるが故に、土属性の兄貴は直接土に触れて魔法を上手く活用出来るらしい。
「ダンジョンの未発掘な場所には罠が仕掛けてある場合があるし、物陰に潜んでいる小型の魔物が襲って来る場合もあるから気を付けろよ」
今から十年以上前だが、ゼオルさんはダンジョンで活動していた経験がある。
地下へと延びる回廊の最下部から、四方へと広がっている地下都市を探索し、お宝を探して持ち帰る。
まさに冒険と呼ぶのが相応しい毎日だったそうだが、知り合いを失う事も少なくなかったらしい。
「魔物は地下の横穴から湧いて出て来やがる。あの先に何があるのか、俺が潜る以前から多くの冒険者が挑んでは跳ね返されてきた」
「強力な魔物が、光に反応して襲って来るんですよね?」
「そうだが、奴らが獲物を特定する手段は光だけじゃないぞ」
「えっ、そうなんですか?」
「冒険者が侵入しなければ、ダンジョンの内部は真っ暗だったはずだ。そんな環境で光を頼りにしていたら生き残っていけるはずがない」
「じゃあ、匂いとか、音とか……ですか?」
「そうだ、その他には人が歩く振動を感じて襲い掛かる奴もいるらしいぞ」
前世の頃にみたドキュメンタリーでは、深い鍾乳洞の奥に住む生物は目が退化した代わりに音や匂い、振動などを感知する能力に優れていると解説していた。
ダンジョンの中に暮らす魔物達も、きっと同じような状況なのだろう。
「それから、毒を持ってる奴が多いから、毒消しのポーションは常に多めに持ち歩くようにしろよ。でないと、手のひらに乗るようなサイズの相手に、あの世に送られちまうからな」
「毒持ちかぁ……それは厄介ですね」
アツーカ村でも毒を持った蛇や大きめの蜂を見掛ける事があるが、こちらから近付いていかなければ、向こうから襲って来る事は稀だ。
だがダンジョン攻略とは、元々住み着いている毒持ちの縄張りを侵食する行為に他ならない。
襲われるのを覚悟の上で進むしか無いのかもしれない。
「ゼオルさん、毒持ちって、どの程度の大きさなんですか?」
「命に関わるような毒を持ってる連中は、やはりそれなりの大きさがあるが、蛇などは頭が入る場所なら、どこにでも入り込んで来るから注意が必要だな」
「うーん……不意打ちを食らうのを防ぐために、左右と後ろには壁を作っておいた方が良いのかなぁ……」
「不意打ちを防ぐなら、上も忘れるな」
「そうか、天井近くから降ってくる可能性もあるのか」
確かに普段の行動していたも、頭上への備えは左右に比べて希薄になりやすい。
ただ、前方以外を空属性魔法で作った壁で囲い込んでしまったら、冒険という要素が薄れてしまいそうだ。
「がははは……ダンジョン攻略なんざ、安全な方が良いに決まっている。まずは生きて戻る、それが最低限の儲けであり、もっとも重要な戦利品だ」
「ですよねぇ……」
馬車は軽快な蹄の音を響かせながら走り続けていたが、キダイ村の近くまで来ると気温がぐっと上がり始め、道からの照り返しもきつくなってきた。
「ニャンゴ、水を撒けるか?」
「はい、任せて下さい」
空属性魔法で散水ノズルを作り、馬車が進んでいく道にたっぷりと水を撒いていく。
体感気温が肌で感じられるほど下がり、同時に土埃が舞うのも抑えられて快適度が増した。
キダイ村で馬を替えて出発する頃には、道に陽炎が立つほどまで気温が上がってきた。
「こりゃぁ、帰りは二日掛かりだな」
「二日掛かりって……?」
「初日に早朝のイブーロを経って、気温が上がり切るまえにキダイまで走らせ、キダイからアツーカに向かうのは翌日の早朝にするのさ。そうすれば、一番暑い時間に馬車を走らせずに済むって訳だ。日程に余裕があるなら、馬のためにはその方が良い」
「なるほど……」
アツーカ村からイブーロまでは、前世の記憶からすると東京駅から川越ぐらいの距離だと思う。
それを二日掛かりで移動するなんて随分気が長い話だが、もし馬が暑さにやられて倒れてしまったら、その損失は日当一日分では足りない金額になる。
ゼオルさんのように身元がハッキリしている人であれば、キダイ村の村長宅に一晩厄介になれるだろうし、キダイ村の村長としても色々な情報交換が出来るので歓迎されるだろう。
それに、ゼオルさんはアツーカ村やキダイ村の村長に頼まれて、買い物の代行もしているらしい。
アツーカ村にもキダイ村にも行商人が訪れるが、当然運搬の手間賃が上乗せされるし、欲しい品物が欲しい価格で手に入るわけではない。
そこで、塩や小麦など生活必需品の仕入れを代行しているそうだ。
なのでゼオルさんは、帰りはキダイ村で一泊してからノンビリとアツーカ村に戻るのだろう。
馬車はキダイ村を出た後も、イブーロに向けて軽快に進んでいる。
既に御者台から馬の前方まで空属性魔法の壁で囲い、内部に冷却の魔法陣を作って冷房も作動させている。
「かぁ、まるで急に秋が来たみたいだな」
「特大の冷蔵庫みたいなものですからね」
時折すれ違う馬車を引く馬は、首筋が白くなるほど汗をかいていたり、苦し気な息遣いをしているものもいた。
「まさに天国と地獄だな……すれ違う奴ら、みんなこっちを見て驚いていやがるな」
「外はかなり暑そうですね」
囲いの外は炎天下だが、囲いの内側は快適そのものだ。
昼食の後の満腹感と適度な揺れが手伝って、兄貴はゼオルさんに寄りかかってグッスリと寝入っている。
ゼオルさんは、このままチャリオットの拠点に向かい、今夜はライオス達も交えてダンジョン談議に花を咲かせる予定だ。
明日は、市場で村長たちに頼まれた品物の買い出し、そして明後日にはアツーカ村を目指して出発するそうだ。
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