第280話 やっと手にしたもの(カバジェロ)
たった数か月で、人間とはこれほど変わってしまうものなのだろうか。
ダクトゥーレに誘われて反貴族派に加わり、ラガート子爵家の馬車を襲撃した時には、本気で貴族達に鉄槌を下すつもりでいた。
仲間と共に捕らえられた後で命からがら脱走し、アジトに残っていた仲間と一緒にオークの心臓を食べて魔力を高めた時も、黒猫人の冒険者への復讐心だけで生き残った。
殺してやる……殺してやる……殺意の塊のようになりながら生きていた。
それがどうだ、俺はルアーナの若い体に溺れている。
官憲に協力して、お尋ね者達を捕まえる手助けをした晩に結ばれて以来、ギルドの訓練場で一緒に魔法の練習をした日にはルアーナの部屋に泊まるようになった。
お互いに初めてでぎこちなかった行為も、今では互いの欲望をぶつけ合い、快楽に溺れる時間となった。
今も行為を終えた後、ルアーナは俺を包み込むように抱えて寝息を立てている。
あの日、俺よりも先に飛び出し粉砕の魔法陣で粉々に吹き飛んだ茶トラの猫人は、確かラロスとかいう名前だった。
俺と同じように貧しい暮らしを続け、将来に何の希望も見いだせなかったラロスは、貴族ばかりが良い暮らしをする世の中に風穴を開けるのだと意気込んでいた。
怖くなんかない、どうせ生きていたって良いことなんか何も起こらない、どうせ死ぬなら意味のある死に方をするのだと威勢よく語りながら、ラロスは震えていた。
ラロスが混乱させ、俺が止めを刺すと頷きあったのに、今の俺を見たら何と言うだろう。
思い切って踏み出す勇気があれば、自分を変える知識があれば、ラロスにも違った未来があったのだろうか。
俺自身、廃村のアジトを出た後は、何がなんだか良く分からないうちにここまで辿り着いてしまった。
思い返してみれば、カーヤ村のギルドでミーリスというウサギ人の職員に出会ったのが全ての始まりだった。
登録の手続きをするだけでなく、身綺麗にすることや、体に合った服を買える店や、グロブラス領以外で活動するように勧めてくれた。
登録をして冒険者になるだけだったら、たぶん宿にも泊まれず、タールベルクとも知り合っていなかっただろうし、ルアーナと知り合っていなかったはずだ。
ミーリスにとっては当たり前の行動だったのかもしれないが、俺にとっては人生を左右する出会いとなった。
今……俺は幸せだ。
数か月前には想像も出来なかったほど幸せだ。
ラロスを始めとして、死んでいった反貴族派の仲間からは恨まれるかもしれないが、この幸せを手放したくない。
だが、俺という温もりを感じて安心しきっているルアーナの寝顔を見ると、心の中にジリジリとした焦燥感が生まれてくる。
理由は言うまでもない、俺のこの体ではルアーナを守っていける自信が無いのだ。
あの晩、行方を眩ませたお尋ね者達は、どうやらグロブラス領へと向かったらしい。
連れ去られた鉄板焼き屋の女性店員は、危害を加えられることなく途中で解放されたそうだ。
逃走のために奪われた馬車も、途中で乗り捨てられていたそうだ。
タールベルクいわく、これはエスカランテ領の官憲の印象を悪化させないためらしい。
住民を連れ去って危害を加えたり殺害すれば強い反感を持たれるが、無事に解放したならば反感の度合いは弱くなる。
そもそも、エスカランテ領内で犯罪を犯してお尋ね者になったのではないので、捕らえるのはラガート子爵家からの要請によるものだ。
エスカランテ領でも重罪を重ねたならば、グロブラス領に入ったとしても追跡するかもしれないが、人質を無事に解放したならば、そこまで労力を掛けて追跡はしない。
実際、官憲の手落ちを責める声は上がったものの、大きな騒ぎにはならずに下火となった。
エスカランテ領の官憲は、領境を超えての追跡を行わないらしい。
連れ去られたといえば、グロリア達もお尋ね者達と行動を共にしているが、こちらは自主的に仲間に加わったと思われているようだ。
官憲からもお尋ね者の協力者として認定され、指名手配されたそうだ。
まぁ、グロリア達については、あの時に逃げる機会はいくらでもあったし、それどころかルアーナまで人質にしようとしたのだから自業自得だろう。
お尋ね者達は、グロリア達三人を仲間に加えて、グロブラス領へと去って行った……これで話は終わると思ったのだが、思わぬ事態が起こった。
人質として一時連れさられた女性店員が、自分が連れて行かれたのはルアーナのせいだと言いだした。
グロリアが官憲の捜査官モーゼスが居ると騒ぎ立て、それを聞いて身構えたお尋ね者達に対してもう一人の捜査官ドローテが投降を呼び掛けたために、女性店員は逃走用の人質にされたのだが、そもそもルアーナが官憲を連れて来なければ人質にされなかったと言うのだ。
確かに、その通りかもしれないが、官憲に協力するのは市民の義務だし、凶悪なお尋ね者が潜伏しているとなれば、なおさら捕縛に協力するのは当然だろう。
だが、ルアーナが説明しても、女性店員は納得しなかったそうだ。
直接的な危害こそ加えられなかったものの、解放されるまでの間、大人しくしているように、騒げばその場にいる全員で凌辱し、残忍な方法で殺害する……などと脅されたらしい。
実際には行われなかったものの、相手はお尋ね者の集団であり、女性店員が心に傷を負うには十分な恐怖だったようだ。
鉄板焼き屋の店主は事情を理解して女性店員との間を取りなそうとしてくれたようだが、結果としてルアーナは出入り出来なくなってしまった。
ルアーナとしては、割の良い働き口を失うことになった上に、女性店員が裏で色々な陰口を叩いたせいで風当たりが強くなっているらしい。
魔法や武術の腕を磨けば、ルアーナはまだまだ冒険者としてのランクを上げて行けるだろう。
ランクが上がれば、より難しい依頼も受けられるようになるが、そうした依頼の多くは一人ではなく何人かで組んで受けるものだ。
その依頼限りのチームを組むにしても、継続的なパーティーを組むにしても、今のような悪い噂が立っているのはマイナスだ。
ルアーナがどんな人間かは、一緒に過ごしてみればすぐに分かってもらえるはずだが、組む機会すら与えられないのでは誤解されたままだ。
根も葉もない噂なんて時間が経てば消えてしまうと思うが、それでも感じる不安に圧し潰されないようにルアーナは俺を求めているのだろう。
せめて普通の人と同じ程度に走れれば、ルアーナと一緒に冒険者として活動するのだが、今の俺では足手まといにしかならない。
「ジェロ……」
「ここにいるぞ……」
「うん……」
寝ぼけたルアーナは、頬摺りした後で俺をしっかりと胸元へと抱え込む。
雨季も終わりに近づいて、ルアーナの肌はしっとりと汗に濡れているが、それでも俺を抱え込んだ腕を緩めようとはしない。
どうすれば、この先ずっとルアーナを守っていけるのだろう。
今の俺は、タールベルクの助手見習いでしかない。
たとえ正式に助手として雇ってもらえたとして、俺とルアーナの生活を支えていくのに十分な給料を貰えるのだろうか。
五年先、十年先、タールベルクが護衛の仕事を引退したら、俺は後任の助手として雇ってもらえるのだろうか。
もし解雇されてしまったら、俺の体で別の仕事が見つかるだろうか。
ルアーナを守るどころか、養ってもらうようになるのではないだろうか。
俺よりもルアーナに相応しい男がいるのではないか……もっと、体が大きく、逞しい人種の男が……と考えかけて思考を止める。
他の男に抱かれるルアーナを想像したら、気が狂いそうになる。
「誰にも渡すもんか……やっと、やっと手に入れた幸せなんだ……」
ルアーナの幸せを願うならば別れた方が良いのだろうが、俺だって幸せになりたい。
馬鹿な夢だと笑われるかもしれないが、共に月日を重ねて爺さんと婆さんになった後、陽だまりでルアーナに膝枕をしてもらって眠りたい。
それならば、やる事なんて一つだけだ。
たとえ他人から笑われようが、この体で足掻いて、足掻いて、足掻いて、ルアーナを守れるようになるのだ。
もっと世の中を知り、たとえ見っともなく他人に頼ってでも、ルアーナと二人の生活を支えられるだけの稼ぎを手に入れるのだ。
「渡さない……絶対に離すものか……」
ルアーナの腰に手を回し、柔らかな胸に顔を埋める。
ルアーナの健やかな鼓動を聞きながら、俺は眠りに落ちていった。
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