第235話 タールベルクの教え(カバジェロ)
※本日はジェロ編です……
「お、おはようございます……ノーマさん」
「はい、おはようございます、ジェロさん」
グラーツ商会のメイドさんは、俺が挨拶をするとニッコリ微笑んで挨拶を返してくれた。
普通のこと、当たり前のことなのだろうが、照れくさくて顔が熱くなってくる。
これまで誰かと挨拶を交わすという習慣が無かった。
挨拶を知らない訳ではない、俺が挨拶をしてもまともに挨拶が返ってきたことなど殆ど無かったのだ。
『おぅ』とか『あぁ』とか言葉が返って来るのは良い方で、『ふんっ』と鼻を鳴らされたり目を向けたくせに無視される方が多かった。
開拓村でも猫人の扱いは、好ましいものではなかったのだ。
一緒に馬車に揺られ、護衛見習いとして厄介になると決まった直後に、最初にタールベルクから注意されたのが挨拶だった。
「いいか、ジェロ。挨拶っていうのは、私はあなたを認めていますという意思表示だ。ちゃんと相手の目を見て、相手の名前を呼んで挨拶しろ。こちらが相手を認めなければ、相手からも認められないぞ」
言われた時には、そんなものなのだろうかと半信半疑だったが、実際にやってみると俺自身が他人に対して無関心だったと気付かされた。
自分に対する扱いが悪いからと、名前すら覚えていない奴がなんと多いことだろう。
逆に名前を覚えようとすれば、自然と相手を知ろうと思うようになった。
何より、名前を呼ばれることで、自分が一人の人間として認められている気がして嬉しくなった。
親からカバジェロという名前を貰ったが、俺の名前を呼んでくれた人間は数えるほどだ。
『おい』とか『にゃんころ』とか『黒いの』とか、まともに呼ばれた記憶が殆ど無い。
俺に名前を尋ねて、名前で呼んでくれたのは、ダグトゥーレと片目の黒猫人……確か、ニャンゴだったか、あいつぐらいのものだ。
そう考えると、あいつは俺を人間として認めてくれていたんだな。
グラーツ商会の人達は、俺を名前で呼んでくれる。
おかげで、ジェロと呼ばれることにもすっかり慣れた。
というか、ジェロと呼ばれた回数の方が、カバジェロと呼ばれた回数を超えてしまったのではないだろうか。
もう、俺の名前はジェロだ。
グラーツ商会では、タールベルクの部屋に居候している。
寝るのはソファーの上だが、タールベルクサイズの人が二人並んでユッタリと座れるサイズなので、猫人の俺には十分すぎる大きさだ。
食事は、使用人用の食堂で三食食べさせてもらえる。
使用人用の食事と聞いていたが、あまりの美味さにまた泣きそうなった。
水に浸さなくても噛み切れるパン、味付けされた温かい料理、ミルクやお茶。
護衛の見習いなのに、こんなに良い物を毎回食べて良いものなのかと申し訳なくなる。
開拓村での生活に較べたら、天国みたいな環境だ。
俺の仕事は、会長のオイゲンさんが馬車で出かける時に、御者台に座って行う護衛だ。
オイゲンさんとタールベルクが馬車を離れる場合には、俺が残って馬車と馬を見張る。
盗みを働こうとする者は、見ている人がいるだけで犯行を躊躇するそうだ。
怪しい奴には声を掛け、それでも犯行におよぼうとするならば火属性の魔法で脅し、それでも諦めないなら燃やしてしまえと言われている。
まぁ、普通は声を掛けられた時点で諦めるそうだから、実際に燃やすような事はないのだろう。
基本的に、俺の仕事はそれだけなので、オイゲンさんが出掛ける予定が無い日には、訓練をする。
残った左足と右腕を鍛えて、少しでも素早く動けるように、杖を使って小走りで移動出来るように訓練を重ねている。
体の鍛錬の他に、魔法の練習もするように言われた。
タールベルクから出された課題は三つ、火球の速度の向上、命中精度の向上、それと威力の加減だ。
速度については、今の速さでは相手に避けられてしまうし、攻撃の範囲が狭く使い道が限られてしまうそうだ。
命中精度は、良くないと自覚している。
威力の加減は、脅しに使う場合とダメージを与える場合で使い分けられるようにすれば用途の幅が広がるらしい。
先日のオークのように、脅して追い払うには威力よりも見た目。
本気で相手を倒す場合には、見た目よりも威力重視の方が良いそうだ。
魔法の練習は、冒険者ギルドの射撃場を使う。
俺は火属性魔法なので、街中で練習しようものなら火事の原因になりかねない。
グラーツ商会は、キルマヤの冒険者ギルドから近いし、射撃場ならば延焼する心配は要らない。
それに、利用する冒険者はあまりいないから、射撃場は空いている。
キルマヤがあるエスカランテ領を治める侯爵家は、代々王国騎士団長を歴任しているそうだ。
現在の王国騎士団長は、現当主のアンブリス・エスカランテが務めていて、留守を守っている先代アルバロスも騎士団長を務めていたそうだ。
そうした家柄ゆえか、エスカランテ領では武術が盛んで、冒険者になる者は例外なく武術をたしなんでいるらしい。
魔物の討伐でも、魔法を使った攻撃よりも武術を用いた接近戦を好むらしく、そのためにギルドの射撃場の利用率が低いようだ。
おかげで、猫人の俺が拙い魔法の練習をしていても、冷やかされたり邪魔されることは無いので助かっている。
その日も、魔法の練習をしようとギルドを訪れたのだが、珍しく射撃場には先客がいた。
赤茶色の髪を短く切り揃え、引き締まった小柄な身体付きをした、若い犬人の女性だ。
クリンとした巻尾の女性は、体術の型なのだろうか、蹴りや突きを繰り出しながら火属性の魔法を放っているのだが、ボフっとか、ポスっという間の抜けた音を発して不発だったり、発動しても威力の無い火球が飛ぶだけだった。
それでも、体術の動きは見事で視線を釘付けにさせられてしまった。
「なにジロジロ見てるのよ、なんか文句あんの?」
気が付くと、動きを止めた女性が不機嫌そうに俺を睨んでいた。
年齢は十代後半か二十代前半、俺よりも若く見える。
「えっ……えっと、こんにちは」
咄嗟に何と答えて良いのか思いつかなかったので、とりあえずキチンと挨拶してみた。
「はっ? えっ……こ、こんにちは」
「えっと……動きが凄かったから、つい見入ってしまって、ごめんなさい」
「そ、そうだったの……な、ならいいわ。そう……そんなに、あたしの動きは凄かった?」
巻尾の女性から不機嫌そうな空気が消えて、今度は口許をニマニマさせている。
「なんて言うか……綺麗だった」
「き、綺麗? やだ、ちょっと見る目あるじゃん」
タールベルグからは、挨拶の他にも会話の進め方を注意された。
思っている事は言葉にしないと伝わらないが、あまり思ったままを口にすると角が立つ。
相手を良く見ろ、自分に落ち度があると思ったら謝れ……それでも敵意を向けて来る奴は、敵だと仮定して気をつけろと教わった。
この女性は、とりあえずは敵では無さそうだ。
さっきよりも姿勢が反り気味だし、小鼻が膨らんでヒクヒクしている。
「しょうがないわねぇ……そんなに見たかったら見ていてもいいわよ」
「いや、俺も訓練したいので……」
「えっ、あんた冒険者なの?」
「こんな体じゃ、他に食っていく方法も無いからな」
「そ、そう……」
巻尾の女性は、改めて俺の無くなった左腕と右足に目を向けると、申し訳無さそうな表情になった。
どうやら、感情が表情や態度に現れる人らしい。
「じゃあ……」
「えっ、あぁ、うん……」
女性の邪魔にならないように、二つほど間を空けて端っこの的の前に立つ。
的の位置は、俺からすると遥か遠くに感じるが、この程度の距離は楽に射程に収めなければ駄目らしい。
これまでのように、手の上に火球を作って投げ付けるのでは届きもしない。
手本にするのは、片目の黒猫人ニャンゴが使っていた魔法。
集中して、手の平から的に向かって撃ち出すようにイメージする。
「炎よ……」
ボフっという鈍い音と共に飛んだ火球は、的の手前で勢いを失って落下した。
山なりに撃ち出せば的まで届くかもしれないが、それでは意味が無い。
「集中しろ……炎よ」
ボフっという音を残して飛んだ火球は、先程よりは速度が上がったものの、やはり的の手前で落下してしまった。
その後も、火球を大きくしたり、小さくしたりしながら練習を続けたが、思うように飛んでくれない。
「なんだろう……何が違う?」
ニャンゴの使っていた魔法は、もっとパーンと乾いた高い音がしていた。
「強く叩く? 炎よ」
ボシュっという音と撃ち出された火球は、それまでのものとは明らかに速度が違っていた。
一番下の端だが、的に当たって燃え広がった。
「にゃっ、今の……今の感じ。今の感じをもっと強く……炎よ」
火球は徐々に速度を上げて、的まで届くようになったのだが、速度も威力もニャンゴのレベルには程遠い。
夢中になって魔法を撃ち続けていたら、魔力の限界が来た。
「はぁ、はぁ……今日はここまでか」
かなり改善されたが、まだ投げ付ける速度に毛が生えた程度でしかない。
それでも、ダグトゥーレが持って来た魔銃並みの威力は出せるようになった気がする。
「ちょっと、あんた猫人のくせに凄いわね」
「えっ……あぁ、どうも……」
訓練に夢中で巻尾の女性がいたことを忘れていた。
「あたしは、Eランクのルアーナ……あんたは?」
「俺はジェロ、まだ登録したてのFランクだ」
「ねぇ、ジェロ。お昼を食べに行かない? 魔法の話を聞かせてよ」
ニカっと笑ったルアーナの巻尾がフルフルと振られている。
そう言えば、タールベルクから教わったな、人との縁は大切にしろって……。
誰かと食事に行くなんて経験したことが無いが、新しい世界に踏み出してみよう。
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