第236話 緊急事態
「緊急事態です、お力を貸して下さい、エルメール卿」
貧民街の現場を離れて冒険者ギルドに顔を出すと、駆け寄って来たジェシカさんに泣き付かれた。
いや、泣き付かれたというのは少々オーバーだが、豊かな膨らみを持つ胸の前で両手を組み、上目使いでお願いされてしまっては断われないでしょう。
「勿論です、俺で良ければ力を貸しますよ」
「ありがとうございます。エルメール卿、ネズミ退治をお願いします」
「えっ……今なんて?」
「ネズミ退治です」
ジェシカさんが、キッパリと言い切るには理由がある。
貧民街が崩壊したことで大量のネズミが逃げ出し、周囲の倉庫や店に入り込んでしまったのだ。
「お願いします、エルメール卿以上の凄腕のネズミハンターは、イブーロには存在していません」
「はぁ……まぁ大変なのは分かりますから、協力はしますけどね……」
緊急事態と聞いたので、ワイバーンみたいな強力な魔物が現れたのかと思ったのですが、ネズミかぁ……ネズミねぇ……。
ジェシカさんに手を引かれてカウンターへと連行され、街の見取り図と分厚い依頼の束を手渡された。
「ちょっ……ジェシカさん、これ何件あるんですか? いくら何でも、これ全部は……」
「こちらは、依頼の写しになっていますので、何件でも構いませんから着手して下さい。貧民街の騒動に職員も巻き込まれてしまっていますし、冒険者の多くが瓦礫の撤去に駆り出されているのに、駆除の依頼が殺到しているんです」
「はぁ……分かりました、行ってきます」
「エルメール卿、頑張っていただいたら、踏み踏みしてもいいですよ」
「うにゅぅ……ズルいです」
そんな寄せて上げたぐらいじゃ、頑張ったりなんかしないんだからね。
依頼の束を抱えて、今来た道を貧民街の方向へ小走りで戻る。
ジェシカさんの話では、既に若手がネズミ駆除の作業を始めているらしいが、正直成果は期待出来ないらしい。
俺のように探知魔法が使える者は少ないし、体の大きな冒険者では倉庫の狭い隙間などには入れない。
せいぜい、ネズミを脅して追い出すぐらいだが、周辺一帯に散らばっているネズミを右から左に移動させているだけで状況は良くならない。
貧民街の近くまで来て細い路地を覗くと、なるほどネズミの姿がある。
「雷……雷……雷……」
目に付いたネズミに、強力な雷の魔法陣を押し当てて感電死させる。
とにかく、一匹でも多くのネズミを駆除するしかない。
手始めに、貧民街に面している倉庫から依頼を片付けていく。
一番近くにある建物ほど、一番入り込まれているだろうから、まとめて駆除してしまおう。
「こんにちは、ネズミ駆除に来ました」
「あぁ、待ってたよ。昨日の騒ぎで、大量のネズミが入り込んじまったらしくて、このままじゃ商品が売り物にならなくなっちまう」
穀物倉庫の管理を行っているという山羊人の男性は、何とかネズミを追い出そうとしたのだろう、頭にクモの巣が絡まった状態で顔を出した。
倉庫はバスケットボールのコートが四面ぐらい取れそうな大きさで、麦や豆などを詰めた麻袋が山と積まれている。
早速、探知ビットをばら撒いて荷物の隙間などを調べていると、あっちにも、こっちにもネズミが固まっていた。
彼らにしてみれば、安住の地が突然崩壊して命からがら逃げて来たのだろうが、このまま住み付かれてしまっては倉庫の経営がなりたたなくなる。
空属性魔法で逃走経路を限定し、逃げた先も壁で囲ってから空属性魔法で作ったマイクで脅して追い立てた。
「うわぁぁぁ、ネ、ネズミ!」
「大丈夫です。逃げないように囲ってありますから心配いりません」
ちょうど追い出したスペースで作業を見守っていた管理人は、逃げ出してきたネズミの多さに悲鳴を上げた。
「ぢぅ……ぎぃ……」
囲いの中に追い込んだネズミ達は雷の魔法陣で次々に感電し、体を硬直させると動かなくなった。
「左手の壁に穴が開いています。急いで塞いで下さい」
「どの辺りだ?」
「奥から三分の一ぐらい戻った辺り、地面スレスレの所です」
「分かった、今塞いで来るから待っていてくれ」
倉庫の管理人が壁の穴を塞いでいる間、空属性魔法で穴を塞いで新たなネズミの流入を防ぎながら、駆除したネズミを数えて見ると五十二匹もいた。
こんな数のネズミに食い荒らされたら、たまったものではない。
「お待たせしたね。いやぁ、こんなに早く駆除してもらえるとは思わなかったよ。本当に助かった」
「では、こちらに依頼完了のサインをお願いします。すぐ次の所に行かないといけないので……」
「あぁ、よろしく頼むよ。まったく貧民街の連中には、最後の最後まで迷惑を掛けられっぱなしだ」
「と言いますと?」
「あいつら、ちょっと荷から目を離すと盗んでいきやがるからな。まぁ、それももう終わるだろう。騎士団の方に聞いたが、バラックは全部撤去して、新しい街区として整備するそうだ。亡くなった騎士や官憲の隊員さんは可哀相だが、これで安心できるってもんだよ」
貧民街の崩落現場にはシーツや毛布が掛けられた住民の遺体が、引き取り手もなくズラっと並べられたままになっていた。
山羊人の管理人も、その様子を見て来たそうだが、可哀相という気持ちは余り湧かなかったらしい。
俺達のように山間の小さな村に育った者ならば、貧民街へと落ちてしまう理由は理解出来るが、イブーロで生まれ育った人達からすれば、貧民街の住人は迷惑を掛けるだけの厄介な存在だったのだろう。
依頼完了のサインをもらって次の依頼へと向かう間にも、目に付いたネズミは駆除していく。
二件目の倉庫、三件目のマーケット、四件目の倉庫でも、貧民街の住民に対する感情は同じだった。
たぶん、現場に並べられたままの遺体となった人達にも、地方の村に戻れば家族がいるのだろうが、確認してもらうのは難しいだろう。
崩落によって酷く損傷している遺体もあるようだし、そもそも、家族には貧民街で暮らしているなどと話してはいないだろう。
亡くなったことを家族にも知らせてもらえず、名前すら分からない状態で埋葬されるのだろう。
一つ間違っていたら、うちの兄貴だってあの遺体の中に含まれていてもおかしくはない。
貧民街の跡地には新しい街区が作られるようだが、せめて貧しくても人間らしい生活のおくれる場所になってもらいたい。
五件目、六件目の依頼を終わらせて、七件目の倉庫へ向かうと、何やら中が騒がしい。
ガン、ガン、ガンっと、鍋でも叩いたような金属音が鳴り響いていると思ったら、倉庫の入口からネズミの一団が走り出して来た。
「ウォール!」
慌ててネズミを空属性の壁で囲い込むと、鍋を叩きながら男が出てきた。
「カルロッテ?」
「ニャンゴ、ネズミが……」
「あぁ、もう囲ってあるから逃げられないよ。今始末する」
倉庫でネズミ駆除……というより追い出し作業を行っていたのは、以前一緒に護衛の仕事をしたトラッカーの三人だった。
雷の魔法陣で感電死するネズミを見て、後から出て来たフラーエとベルッチも驚いていた。
「これでヨシ! 逃がすと別の倉庫とかに入り込んじゃうからね」
「凄いな、ニャンゴ……いや、エルメール卿とお呼びしないといけないのか」
ベルッチが俺の名前を口にした途端、倉庫の入口にいた熊人の男性が血相を変えて詰め寄ってきた。
「あんたがエルメール卿か。どうしてくれるんだ、あんたが無茶な魔法を使ったせいで俺の親友の息子は死んじまったんだぞ!」
「その話は、貧民街の裏社会の奴らが流したデマです」
「えっ、デマだと……」
「騎士団や官憲の方に確かめてもらえば分かりますが、俺も裏社会の幹部連中を捕らえるための突入部隊に参加して、奴らの罠にはまって危うく生き埋めになるところでした」
貧民街の中で何が起こっていたのか、俺が体験した状況やバジーリオの話をすると、熊人の男性は事情を理解してくれた。
「申し訳ない。そんな事になっていたとは知らず、官憲の隊員になった友人の自慢の息子で、俺も赤ん坊の頃から良く知っている子だったから……」
「心中お察しします。こんなに多くの人の命を奪った幹部連中は、少し時間は掛かるかもしれませんが、必ず探しだして償わせますから安心してください」
「分かりました、よろしくお願いいたします」
騎士団、官憲、ギルドの職員、亡くなった人達には多くの家族や友人、知人がいて、今回の騒動は多くの人に喪失感を与えている。
ガウジョを筆頭とした裏社会の連中は決して許してはならない。
だが、行方が分かっていない今は、目の前にある課題を克服していくしかない。
「ネズミが残っていないかチェックしましょう。ベルッチ、壁に穴があったら塞いでくれる?」
「分かった、任せて」
この後、トラッカーの三人を助手として引き連れて、夕方までに二十七件の依頼を終わらせて、数えるのも嫌になるほどのネズミを駆除した。
これなら、いっぱい踏み踏みしちゃっても良いですよね……ジェシカさん。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます