第196話 花見の穴場

 早朝、見張りの兵士に断わって屋敷の庭に出る。

 芝生が綺麗に刈り揃えられた庭に漂う朝靄は、ヒューレィの花の香りを含んでいた。


 空属性魔法で振り棒を作り、深呼吸を繰り返して気持ちを静めてから構える。

 勿論、ステップで足場を作ってあるから芝生を踏み荒らす心配は要らない。


「にゃっ、うにゃっ、にゃっ、うにゃっ……」


 棒術の基本となる打ち込みと足捌きを始めたのだが……体が重い。

 体調が悪い訳ではない、王都に来てから美味しいものを食べ過ぎたのだ。


 猫人の体は柔軟性に富み、伸び縮み自在という感じなのだが、それでもお腹が出てきているのを否定できない。

 このまま飽食生活を続けていたら、イブーロに戻る頃には丸々太っていそうだ。


 基本動作を確かめるように素振りを繰り返した後は、頭の中に仮想シューレを想像して手合わせのシミュレーションを行ったのだが……一方的にやられる未来しか見えない。

 プロのスポーツ選手は、1日休むと元に戻すまで3日掛かるなどと聞くが、これほど鈍ってしまったら1週間以上は掛かりそうだ。


 汗だくになるまでエア手合わせを繰り返した後、部屋に戻って汗を流して食堂へ向かうと、部屋から出て来たナバックと行き会った。


「おはようございます」

「おはよう、どうしたニャンゴ、元気ないな」

「はぁ……まぁ……」


 美味しい物を食べすぎて、太って動きが鈍ったと話したら大笑いされた。


「うはははは、名誉騎士様に向かって申し訳ないが……うはははは」

「もう、笑い事じゃないですよ。こんなんじゃ冒険者を廃業しなきゃいけなくなっちゃいますよ」

「そうか、そうか、それじゃあ、例の穴場に花見に行くのはやめておくか?」

「にゃっ、花見……」

「そうだ、第二街区に美味い料理屋があってな、そこで総菜を買い込んで、満開のフューレィの下で一杯……まぁ、仕方ない、俺1人で行ってくるか」

「行く、行きます! 連れてって!」

「しゃーないな、行くか」


 王都に来てから、あまりにも激動の日々が続いていたので忘れていたが、ナバックに花見の穴場に連れて行ってもらう約束をしていた。

 念のため、子爵に外出しても構わないか確認をすると『巣立ちの儀』の襲撃についての捜査は、まだ大きな進展をみせていないので構わないと許可してもらえた。


 花見と言っても、日本のように場所取りをする訳でもなく、バーベキューをやる訳でもないので、持っていくのは敷物ぐらいだ。

 ゆっくり朝食後の食休みをした後で屋敷を出ると、ナバックは第二街区への北門を目指してブラブラと歩き始めた。


「いい陽気だな……」

「はい、春ですねぇ……」


『巣たちの儀』が終わったばかりの今頃は、アツーカ村では肌寒いと感じる日もあるが、王都はすっかり春爛漫の心地良い気温だ。

 北門でナバックが身分証を提示して通行許可をもらった後、俺が王家の紋章入りのギルドカードを提示すると、姿勢を改めた兵士に敬礼された。


「おぉぅ、さすが名誉騎士様は違うな……」

「からかわないで下さいよ」

「いやいや、これだけ門兵に敬意を示されるのは、それだけニャンゴの実績が認められているって事だ。謙遜したり、恥じたりする必要なんか無いぞ」

「そんなもんですかね……」


 笑顔の兵士に見送られて、緩やかな坂を下りながら第二街区のメインストリートに向かう。


「俺らには見るだけしか出来ないような品物が多いが、見てるだけでも目が肥えるぞ」

「うわっ、値段の桁が間違えてるんじゃ……」


 服や靴、鞄、宝飾品、香水など……殆どが高級品を扱う店で、ショーウインドに飾られている商品は、たっぷり報奨金をもらった後でも手を出すのを考えてしまう値段だ。

 昨日、オラシオ達と第三街区を歩いている時に、色々な物の値段をチェックしていたのだが、第二街区は全般的に値段が高く感じる。


 例えるならば、都心の百貨店と地元のスーパーぐらいの価格差はある。

 まぁ、それでも買うのは総菜だけだし、少々値段が張っても美味しいのなら文句は無い。


「おぅ、ニャンゴ、こっちだ……」


 ナバックは途中でメインストリートから逸れて、路地の奥へと入って行く。

 いかにも住人のための生活道路という感じで、こんな所に店があるのかと思うような場所に目的の総菜屋があった。


 店の前には、給食の配膳車を思わせる台車が置かれていた。


「ここは店で売るよりも、この台車に乗せて配達する方がメインだそうだ」


 ナバックが指差す方向へと続く生活道路には、高級店の裏口が並んでいるそうだ。

 営業時間中に食事に出られない店員さん達が、朝のうちに注文して昼に届けてもらうらしい。


「にゃっ、ケーキがある……」

「ニャンゴ、体重がどうとか言ってなかったか?」

「うにゅぅぅ……明日から頑張る……」

「はははは……王都を離れるまでは無理だろうな」


 白身魚のマリネ、鶏肉のクリーム煮、ナッツのドレッシングのサラダ、根菜のポトフ、それにフルーツタルトを買って店を出る。


「ナバックさん、俺が持ちますよ」

「全部を持たせるのは悪いから……」

「いやいや、空属性魔法のカートに載せていきますから大丈夫です」

「ほぉぉ、そんな事まで出来るのか。すげぇな……」


 俺が買った総菜の運搬を買って出たのには、もう一つ別の理由がある。


「なんで、こっちとこっちに分かれて……まさか」

「はい、こちらは温かい料理用、こっちは冷たい料理用です」


 カート上に作った二つのケースには、それぞれ温める魔法陣と冷却の魔法陣が仕込んである。

 温かい料理は温かいまま、冷たい料理は冷たいまま食べた方が美味しい。


 この程度のケースなど、オークを丸々冷蔵して運ぶケースに較べれば造作もない。

 ナバックは再び表通りに出ると、パン屋で焼きたてを購入し、またブラブラと散策を始めた。


 第三街区を小走りに見て歩いていた昨日と較べると、実にのんびりとしたペースなのだが、これはこれで悪くない。


「にゃにゃっ、アイス売ってる……」

「ニャンゴ、体重……」

「明日から本気出す! すみません、このクルミとこっちのミルクティーを下さい」


 買ったアイスは、冷却の度合いを高めた別のケースを作って入れておく。


「なるほど、ニャンゴの食い意地が魔法を高めているんだな」

「そんにゃことは……にゃくもにゃい……」


 何を言われようとも、美味しいものを美味しく食べるためには、持っている才能を全て使うべきだろう。

 三つのケースが載ったカートは、人目には三つの固まりとなった料理が宙に浮いた状態で移動しているように見えるはずだ。


 当然、街を歩いている人達は不思議そうに眺めている。


「あれ、ナバックさん、そっちに行くと第一街区に戻っちゃいますよ」

「あぁ、そうだぜ、穴場はこっちだからな」


 第一街区は殆どが貴族の屋敷で、花見が出来るような場所があるようには思えないが、ナバックは迷う素振りも見せずに歩いて行くから間違いではないのだろう。

 第一街区に戻る門では空属性のケースが不審に思われたが、王家の紋章入りのギルドカードを提示すると大いに恐縮され、また敬礼で見送られてしまった。


 西門から第一街区に戻ったナバックは、王城に向かって暫く進んだ後で四つ角を右に曲がり、大きな屋敷を二つ通り過ぎたところで右に曲がって細い路地に入った。

 大きな屋敷の壁と壁に挟まれた路地は、大人二人が並んで歩ける程度の幅しかない。


「こんな路地があるんですね」

「あぁ、ここは城壁の保守点検用の道らしい」


 ナバックの言葉通り、路地の先には第一街区と第二街区を仕切る城壁が見えているが、見えているのは壁と空だけで花など何処にも見えない。

 路地の先は袋小路になっているようだし、いったいどこに穴場があると言うのだろう。


「よし、この先は更に狭くなるから、俺も荷物を持つぜ」

「えっ、この先……にゃにゃっ?」


 袋小路に見えた路地の奥には、左に曲がる人一人がやっと通れるほどの細い路地が続いていた。

 路地の先には階段があって、上っていくと左手の屋敷の庭に植えられた満開のヒューレィの並木が目に飛び込んで来た。


 更に階段を上りきって城壁の上へ出ると、右手の城壁下にもヒューレィの並木が広がっていて、その向こうには石造りの趣のある建物、更に先にはミリグレアム大聖堂が見える。


「すごい……」

「おっと、ニャンゴ、あんまり大きな声を出すなよ。本来、城壁の上は立ち入り禁止で、この時期だけお目こぼしをしてもらっているんだからな。それとはしゃぎ過ぎて堀に落ちるなよ」


 城壁の幅は5メートルほどあるが、手摺など無いし10メートルほど下は水堀だ。

 まぁ、俺の場合はステップを使えるから、踏み外したとしても落ちる心配は要らない。


「よし、ここらにするか……」


 ナバックは城壁の上に敷物を広げると、どっかりと腰を下ろした。

 背後も眼下もヒューレィに囲まれて、まさに春爛漫という風情だ。


「いいですね、ここ……」

「だろう?」


 ナバックは、ポケットからスキットルとおちょこサイズの小さなグラスを2つ取り出した。


「まぁ。一杯やろう」

「あ酒は……」

「ちょこっとだけだ、まぁ付き合え」

「はぁ……」


 エスカランテ侯爵の屋敷では、食前酒をグッと煽ったせいで『魔砲使い』なんて言われるようになった。

 騒いだらマズいここでは飲まない方が良いと思うのだが、ナバックに強く勧められて少しだけ飲むことにした。


「では、ニャンゴの名誉騎士叙任を祝して……」

「あっ……ありがとうございます」


 門を通る時や、こうして改めて言われないと名誉騎士になったことを自分でも忘れそうになっている。

 クイっとグラスの中身を飲み干したナバックにならい、俺も一息で飲み干した。


「にゃっ、甘い……」

「蜂蜜酒だからな……だが、強いからニャンゴはそれで終わりにしとけ」

「うにゅぅぅ……もっと味わって飲めばよかった……」

「はははは……イブーロに戻ってから、いくらでも飲んでくれ」

「そうします……」


 蜂蜜酒で胃の中がカーっと熱くなり、やがて体全体がポカポカとしてくる。

 まだ料理も食べていないのに、ちょっと眠たくなってきた。


 城壁上には春の日差しが降り注ぎ、風も無く、絶好の昼寝日和だ。

 やはり異世界でも春眠暁を覚えずなのだにゃ。

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