第190話 灰猫(カバジェロ)

 チャンスは一度きりだった、逃がせば待っているのは死だった。

 別に死ぬのは怖くなかったし、そもそもとっくに死んでいるはずだった。


 綿密な計画を立てた上で行われた貴族一行への襲撃は、思わぬ存在によって失敗に終わった。

 肝心な貴族は誰一人傷付くことも無く、それどころか巻き込まれて死傷した見物の一般人の方が多いぐらいだ。


 失敗の理由を仲間に伝えるために、一緒に捕まった仲間達の言葉を伝えるために、俺は拘束具から抜け出して、馬車を飛び出し、クラージェの街の雑踏へと飛び込んだ。

 後ろから怒号が聞こえたが、勿論振り返らないし、どこだか分からなかったが細い路地に飛び込んでメチャクチャに走り回った。


 どのぐらい走ったのかも分からなかったが、壁を乗り越え、雨どいを伝って屋根を走り、人気の無い倉庫の片隅でじっと息を潜めて夜が来るのを待った。

 夜の闇こそが、黒猫人の俺にとっては姿を隠す最高の条件だ。


 息を潜め、暗がりから隙を窺い、食い物などを盗みながら故郷の山を目指した。

 グロブラス伯爵領、ロデナ村、領地の端に位置する俺の生まれた村は、開拓の拠点として築かれた村だったが、あまりにも土地が痩せていたために放棄された。


 廃村となったロデナの集落から、更に山に入った所に俺達のアジトがある。

 グロブラス領で農民に生まれるという事は、身を粉にして働いて金持ち共の食い物にされると同じ意味だ。


 特に、自分の土地を求めて開拓にいそしむ者達は、それこそ死ぬような思いをして切り開いた土地を僅かな金で奪われ、死ぬまで働き続けるしかない。

 金は俺達農民のボロボロに荒れた指の間から零れ落ち、苦労知らずの綺麗な金持ちの手に収まって二度と戻って来ない。


 着るものどころか、日々の食事にも事欠く日々を過ごしてきた俺達は、もう我慢の限界を超えていた。

 そんな時に現れたのが、ダグトゥーレという白虎人の若い男だった。


 一年半ほど前からダグトゥーレは、俺達のような貧しい開拓民の所を回り、種芋を融通して回っていた。

 痩せた土地、切り開いたばかりの土地で育てられる作物には限りがあり、そうした場所でも育つ種類の芋を選んで、種芋を無料で配っていた。


 なぜ俺達のような貧しい人間に手を差し伸べるのかと尋ねると、現状を変えるには力が必要だが、貧しさや飢えに苦しむ人ばかりでは抗議すら出来ないと答えていた。

 俺達が飢えに耐えかねて、配ってもらった種芋すら食べてしまっても、ダグトゥーレは怒るどころか一緒に泣いてくれた。


 ダグトゥーレは、貴族が使用人に手を付けた結果できた子供で、妊娠が発覚した直後に母親は屋敷から追い出されたそうだ。

 いつか自分の子供の存在を認めてもらえるように……母親は1人でダグトゥーレを育ててきたが病に倒れ、若くして世を去ったそうだ。


 ダグトゥーレは恵まれた体格を活かして冒険者として活動する傍ら、貴族や豪商の屋敷に忍び入って金を盗み出し、その金を使って貧しい者を支援していた。

 最終的には、今の王族や貴族という制度を無くし、真面目に働く者達が中心となる社会を築くという理想を語って聞かせてくれた。


 やっている事は間違いなく犯罪なのだが、俺達がダグトゥーレの思想に傾倒していったのは当然の話だろう。

 ダグトゥーレは外部から物資を持ち込み、農業指導や賛同者の軍事訓練まで行っていた。


 そして、ダグトゥーレが持ち込んだ物の中には、粉砕の魔法陣と魔銃があった。

 どこから手に入れて来るのかと聞いても、後ろ暗い場所からだ……としか教えてくれなかった。


 ダグトゥーレは、グロブラス領で農民が苦しみ続ける理由を教えてくれた。

 領主のアンドレアス・グロブラスは、地主から土地を取り上げ、農民には道路や橋の普請を理由にして法外な年貢を課しているそうだ。


 その結果、地主の収入は減り、小作人達の生活はますます苦しくなる一方らしい。

 そして、そんな横暴を見て見ぬ振りを続ける王族や周辺に領地を持つ貴族達。


 この国は腐りきっていて、その現状を変えるには実力行使も止むを得ない……。

 俺達は、ダグトゥーレの計画に賛同し、グロブラス領の……そして、この国の未来を変えるために命を懸けることにした。


 狙うのは、グロブラス領を通過して王都へと向かう貴族の一行で、ラガート子爵の親子に加えて現王国騎士団長であるエスカランテ侯爵の息子も同行しているという話だった。

 グロブラス領で貴族の一行が殺されれば、さすがに王国も法外な年貢の取り立てなどを黙認する訳にはいかなくなる。


 ましてや騎士団長と、国王に対して諫言する権利を有しているとされるラガート子爵家が事件に巻き込まれれば、グロブラス伯爵の風当たりも当然強くなるという話だった。

 クラージェの街で脱走に成功した後、俺は姿を隠しながら街道脇の茂みの中を進み、アジトを目指した。


 ダグトゥーレのアジトは、俺達が使っていたロデナ村近くの他に、王国各地に存在しているという話だった。

 詳しい場所を知っていれば、脱走した直後に知らせることも出来たのだろうが、闇に紛れ、食糧などを盗みながらロデナまで帰るしか方法が無かった。


 やっとの思いで辿り着いたアジトには、5人程の仲間が呆然と途方に暮れていた。

 当日体調を崩していたり、アジトの維持のために残った連中だが、襲撃の結果も知らされず、今後の行動を決めかねていたらしい。


「カバジェロ、お前無事だったのか!」

「無事なんかじゃねぇ、みんな返り討ちにされて、取っ捕まっちまった」


 襲撃が失敗に終わり、仲間は王都まで連行されたらしいと語ると、仲間達は頭を抱えた。

 ダグトゥーレも、襲撃の後は一度も顔を出していないらしい。


「もしかして、ダグトゥーレも捕まっちまったのかな?」

「分からない、あの人は謎な部分が多すぎて……もしかして俺達は信用されていなかったのかな?」

「馬鹿、知り過ぎたら俺達が危険だからって、裏社会との接触は自分が引き受けるって言ってただろうが!」


 俺という新しい情報源が現れたので一時的に話が盛り上がったが、結局この先どうするかという結論には辿り着けなかった。


「どうするんだよ、この先」

「ダグトゥーレは、襲撃が失敗したらアジトは放棄しろって言ってたぞ」

「でも、ここ以外に行く場所なんて無いぞ」

「他のアジトは?」

「どこにあるのか知らねぇよ」


 結論を見いだせない仲間に、俺は戻って来る途中で考えていた計画を口にした。


「なぁ、あれをやってみないか?」

「あれって……まさか」

「ダグトゥーレが言っていた、魔物の心臓を食うってやつだよ」


 アジトの中が水を打ったように静まり返った。

 戦闘力を上げるための最後の手段としてダグトゥーレが教えてくれたのは、オーク以上の大型な魔物の心臓を生で食べるという方法だ。


「でも、命に関わるヤバい方法だって言ってたぞ」

「このまま何もしなかったら、貴族や金持ちに奪われ続けるだけだぞ。それで良いのかよ!」

「良くはないけど……」

「俺はやるぞ、猫人の俺じゃ魔物に返り討ちにされるかもしれないけど、一度死に損なった身だからな、死ぬのは怖くない」

「俺もやる……カバジェロに負けていらんねぇよ」

「お、俺も……」

「みんながやるなら……」


 結局、アジトに残されていた武器や魔銃を使ってオークを倒し、その心臓を食べることにした。

 春先のこの季節は若いオークのオスが群れを離れ、自分の群れを築く時期でもある。


 はぐれ者のオークを狙うには、丁度良い時期でもあった。

 俺が囮になってオークを誘き寄せ、ロープを張った罠で転ばせて袋叩きにする形でなんとかオークを仕留めたが、仲間の馬人が反撃を食らって死亡した。


 返り血塗れになりながら、やっとオークの心臓を取り出して一口大に切り分けたら、残った5人で一斉に食べる事にした。


「いいか、とりあえず1人5つ、噛まずに一気に飲み込め。飲み込んだら、直ぐに魔法を使えって話だった」


 いつの間にか牛人のウルマスがリーダー面して場を仕切り始めた。

 ウルマスは俺と同じ火属性だが、魔力指数は大して強くない。


 このオークの心臓を食べて魔力が強くなれば、体格的にも一番強くなると思っているのだろう。

 ウルマスの話を聞きながら、俺はダグトゥーレに聞いた話を思い出していた。


 確か、ダグトゥーレは、オークの心臓を食べる方法は本当に危険だから、一度に大量には食べるなと言っていた気がする。

 止めた方が良いかも……と思った時には、ウルマスが開始の合図を出してしまった。


「じゃあ、食うぞ、せーの!」


 仲間達はウルマスの合図と同時に、オークの心臓を切り分けた物を次々と飲み込み始めた。

 出遅れた形になって焦った俺も、2つほど立て続けに飲み込んだところで、妙な胸騒ぎがして手を止めた。


「ぐぅあぁぁぁぁぁ……」


 最初に吼えたのはウルマスだった。

 獣のように呻きながら、目、鼻、口、耳、穴という穴から血を吹き出しながらガクガクと痙攣を始めた。


 取り込んだ膨大な魔素をコントロール出来ず、体内を暴走して突き破り始めたのだろう。

 他の3人も、全身から血を噴き出しながら不気味な痙攣を始めていた。


 俺の身体にも異変が襲い掛かる。

 胃袋が猛烈に膨れ上がるように、膨大な魔力が溢れ出て身体を突き破ろうとし始めたのだ。


 俺は左手を空に向かって突き上げて、全力で火属性の魔法を発動させた。

 これまで、それこそ火種にしかならない程度の小さい炎しか灯せなかった俺が、巨木を軽く超えると思われるほどの火柱を作っている。


 猛烈な威力の魔法を発動させたのは良いが、全く制御出来ておらず、自分の左腕さえも燃やして炭に変えようとしていた。

 マズい、このまま左腕が燃え尽きて魔法の発動が止まってしまえば、俺も血まみれになって息絶えることになるだろう。


 かと言って両手が燃え尽きてしまったら、助かった後に生きていくのが困難になる。


「うぅぅぅにゃぁぁぁぁ!」


 俺が選んだ手段は、右足で魔法を発動する方法だった。

 地面に寝転んで、右足を天に向かって突き出し、巨大な火柱を作り上げる。


 やっぱり魔法の制御は全く出来ず、右足も焼け焦げていく。

 左腕と右足、肉が焼け爛れても、骨が灰になろうとも魔法を使い続けるつもりだったし、それでも駄目なら左足を犠牲にしてでも生き残るつもりだった。


 俺の脳裏に浮かんでいたのは、俺と同じ黒猫人の片目の冒険者だった。

 貴族に飼い慣らされ、尻尾を振ってるクソガキだ。


 この膨大な魔力を自分のものに出来たなら、この炎であいつを焼き尽くしてやる。

 あいつの目の前で、貴族を魔導車ごと灰にしてやる。


「ふみゃぁぁぁぁぁぁぁ!」


 左腕と右足を犠牲にして俺は何とか生き残ったが、一緒にオークの心臓を食った仲間は、全員血塗れの姿で息絶えていた。

 生き残ったが体はガタガタで、アジトまでは這うようにして戻り、辿り着いたところで力尽きて気を失った。


 それから何日気を失っていたのか分からないが、目を覚ますと俺の漆黒だった毛並みは、燃え尽きたような灰色へと変わっていた。

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