第189話 晩餐会

 左手で顔に触れてみても、昨日まであったコボルトの爪痕は感じられない。

 晩餐会のテーブルについて、ピカピカに磨き上げられたナイフの刃に顔を映してみても、傷跡は綺麗さっぱりと消えていた。


 そして、見開いた金色の瞳が二つ映しだされている。

 思わずニヘラと口許が緩んでしまう。


「まったく、いくら嬉しいからといって自分の顔を見てニヤニヤしてるんじゃないわよ」


 向かいの席に座ったアイーダに窘められても、にやけた口許は締りそうもない。


「いけませんよ、アイーダさん。ニャンゴ様は既にシュレンドル王国貴族のお一人です。敬意をもって接しなければ、私たちも今日からは子供ではないのですから……」

「し、失礼いたしました」


 いやいや、謝るなら姫様でなく俺だろうけど……別に謝ってもらうほどのことではない。

 それに、今日は何を言われようともニヤニヤは止まりそうもない。


『巣立ちの儀』が終わった後のテーブルは、エルメリーヌ姫、アイーダ、デリックと一緒だった。

 俺の隣にエルメリーヌ姫が座り、その向かいの席にデリックが座っている。


 それにしても、古傷が消えたことで俺の男前度数がまた上がってしまった。

 前世の感覚だが、俺の顔はなかなかの美猫の部類に入ると思う。


 艶々の黒い毛並み、ピンっと張ったヒゲ、金色に輝いて見える瞳……うん、美猫だ。

 日頃から鍛えているし、見方によっては黒ヒョウに……は見えないな。


 納得のいくまで左目の具合を確かめたら、ナイフをテーブルに戻して向かいの席に目を転じた。

 俺に小言を言ったもののアイーダの機嫌は良さそうだが、隣りに座るデリックは凹み気味だ。


 二人が『巣立ちの儀』で手にした属性は、アイーダが火属性でデリックは水属性だった。

 二人とも猫人の俺から見れば羨ましいほどの魔力指数に見えたのだが、王国騎士団長になることを夢見ているデリックは火属性を熱望していた。


 見た目の派手さと攻撃力では、水属性よりも火属性の方が勝っていると考えられているからだ。

 実際、歴代の騎士団長の多くは火属性魔法の使い手だったそうだ。


「デリック様は、やはり火属性がお望みでしたか?」

「それは当然だ……です。騎士にとって威力の高い魔法は大きな強みとなる。水属性よりも火属性が優れているというのは騎士の常識です」


 生意気な小僧に見えたデリックも、先程アイーダがエルメリーヌ姫に窘められたのを聞いていたからだろう、俺に対する言葉使いを改めた。

 こうした切り替えが出来るのは、やはり貴族としての教育を受けてきたからなのだろう。


 それにデリックは、まだ左腕を肩から吊っている。

 治癒士の治療は受けているのだろうが、デリックよりも重い怪我を負った貴族の子供もいたようなので、完治するまでの治癒魔法は使ってもらえなかったのかもしれない。


 折角の晴れの日なのに凹んでいるのも可哀相なので、少し見方を変えさせてやろう。


「では、デリック様がその常識を覆して下さい。私は空属性の常識を覆しましたよ」

「なっ……」


 しょんぼりと覇気の無かったデリックは大きく目を見開き、口許には笑みさえ浮かべてみせた。


「そうであった……いや、そうでした。目の前に模範とすべき人がいるのに、私はもっと周囲に目を向けるべきですね」

「私が空属性魔法の訓練を続けてきて思ったことは、魔法にはまだまだ多くの可能性が残されているということです」

「可能性……ですか?」

「そうです、可能性です。例えば、デリック様は水と聞いて何を連想しますか?」

「川とか……湖とか……カップに注がれた水でしょうか」

「そうですね。普通は水として存在しているものを思い浮かべますね。では、霧とか靄とか雲は何で出来ていると思われますか?」

「それは……水だ」

「そうです、水です。水は目に見える形から、目には見えないほどの小さな粒にまで形を変えられます。何より、火では人の渇きを癒すことはできません。火属性には火属性の強みがありますが、水属性にも水属性ならでは強みが存在します。これまでの常識に囚われず、柔軟な考えをしてみて下さい」

「なるほど……」


 デリックは何度も頷いた後で、少し首を傾げて尋ねてきた。


「ですが、霧とか靄を作れたとして、何の役に立つのでしょう?」

「デリック様、乾いた薪と湿った薪、どちらが良く燃えますか?」

「それは乾いた……そうか燃え難くするのか」

「火属性の魔法は威力が強い反面、意図しない物まで燃やしてしまう場合があります。火属性の騎士と組んで戦う場合に援護したり、逆に敵対する場合には仲間を守ることも出来ます。他にも水属性には火属性に無い強みがありますよ」

「な、何だそれは! 教えてくれ!」


 話に夢中になって、言葉使いが戻ってしまっているけど、今指摘するのは野暮ってものでしょう。


「水の強みは重さです。火には重さはありませんが、水は重さがあります」

「そ、それが何の役に立つのだ」

「デリック様ほどの魔力指数があれば、一度に大量の水を発生させることが出来るでしょう」


 実際、デリックは儀式の後の披露で、直径5メートルはありそうな水球を作ってみせた。


「先程作られた水の球を高い所から落とすだけでも、その衝撃で相手を倒すことが出来ます。突進してくる敵の勢いを削ぐなどにも使えるでしょう」

「おぉ、そうか、水には水の強みというものがあるのだな」


 たぶん、水を分子レベルで考えて、激しく動かせば発熱してお湯になる……みたいな事も出来そうだが説明するのも面倒なので、ここから先は自分で考えてもらおう。


「ありがとう、エルメール卿。やはり貴方は凄い人だ」

「はっ? い、いえ、お役に立てたようで何よりです」


 一瞬誰のことかと思ったが、国王から家名も賜ってしまったのだった。

 エルメール卿とか、ちょっと格好良い……なんて思っていたら、エルメリーヌ姫に耳元で囁かれた。


「ニャンゴ様、エルメリーヌ・エルメールには、いつしてくださるのですか?」

「みゃっ、そ、それは……」

「楽しみにお待ちしてますわ」


 悪戯っぽい笑みを浮かべるエルメリーヌ姫の意図が読み切れない。

 おもちゃにされているのだとは思うのだが、もしかして……なんて思わなくもない。


 でも、王室なんて魑魅魍魎がウヨウヨしいていそうな場所に足を踏み入れる気は無いし、かと言ってお姫様の生活を支えるほどの財力も無い。

 イブーロには美味しい料理を出す酒場がいくつもあるが、さすがに王城の料理と較べるのは酷だろう。


 その王城の料理が、いよいよテーブルに配られ始めた。

 今回もまたテーブルマナーは向かいの席に座ったアイーダの真似をして切り抜けよう。


「な、何を見てるのよ……見ていらっしゃるのですか?」

「い、いえ、別に……」


 王城での晩餐会なのだから、俺がボロを出さないで済むように、大人しく見られていなさい。


「アイーダさんと席を変わってもらった方が良かったのかしら……ニャンゴ様は、ちっとも私を見て下さいませんし……」


 なんですかエルメリーヌ姫、ちょっと唇を尖らせて拗ねてみせたりして、むちゃくちゃ可愛いじゃないですか。

 でも、ごめんなさい。最初の料理が運ばれてきてしまいました。


「これは……?」

「アミューズでございます」

「ど、どうも……」


 どうやらアミューズという料理のようだが、見た目はプチシュークリームのようで、赤いソースが掛けられている。

 一緒に細身の足つきのグラスに食前酒が注がれたが、これは口を付けるだけにしておこう。


 香りからしてベリー系のソースのようだが……一口サイズなので、アイーダはフォークで刺してパクっと口に入れ、少し味わった後で食前酒を流し込んだ。

 俺もアイーダを真似してアミューズを口に入れた。


 プチシューの中身はクリームチーズで、濃厚な味わいとベリーの甘酸っぱさのバランスが絶妙だ。


「うっ……」

「どうかなされましたか、ニャンゴ様?」

「い、いえ……た、大変美味しゅうござる」

「ござる……?」


 エルメリーヌ姫が首を傾げ、アイーダは口許を押さえてプルプルしている。

 うみゃうみゃ鳴くのを思い留まったものの、完全に挙動不審だ。


 他のテーブルの人にも気付かれていないかと心配になって周りを見回してみると、ホールは想像していたよりも遥かに和やかで賑やかな会話で溢れていた。

 アーネスト殿下を偲ぶ会だから、もっとお通夜のようにシンミリとした感じだと思っていので正直かなり意外だ。


「ニャンゴ様……?」

「もっとしめやかな会かと思っていました」

「アーネスト兄上は、少し偏った考えをお持ちでしたが、国を愛する気持ちに嘘はありませんでした。こうした宴席では、賑やかに語らうことを好まれていたので、兄の好む形にしようと父が取り計らっているのです」

「なるほど……」


 どうやら、俺の叙任式での茶番じみた振る舞いも、場の空気を和ませるための国王の作戦だったようだ。


「ですから、ニャンゴ様も遠慮なさらず、うみゃうみゃなさって下さい」

「は、はい……」


 駄目だ、すっかりバレている。というか、ケーキ三種類をうみゃうみゃしてしまったのだから、バレていないはずがないのだ。

 周りも騒々しいし、姫様からも許可が出たので、二品目からは遠慮せずに食べよう。


 二品目は、生ハムで細切りにした野菜を巻いた料理だった。


「オードブルでございます」

「ど、どうも……」


 ちょっと待て、これがオードブルということは、さっきのアミューズというのは料理の名前ではなくて、先付けとか、お通し的な意味なのだろうか……。

 まぁ、そんなことより、今は食べる方が先だな。


「うみゃ、生ハムうみゃ、野菜シャキシャキで、ほろ苦くてうみゃ、ビネガーのソースがうみゃ!」


 しっとり濃厚な生ハムと、ほろ苦い春の野菜のシャキシャキ感、そこにビネガーのソースのサッパリ感が合わさってメチャメチャうみゃい。

 夢中でうみゃうみゃして、ふと気付くとホールがシーンと静まり返っている。


 恐る恐る周囲を見回すと、周りのテーブルから視線が俺に集中していた。

 これ、やっちまいましたか……?


「うーん、とても美味しいですわ。野菜の歯触りが良いですね」


 エルメリーヌ姫の一言と共に、止まっていた時間が動き出したかのように周りのテーブルでも感想が語られ始めた。


「おぉ、確かに春の息吹を感じる一品ですな」

「この生ハムも、とても上品な味わいですわ」

「このソースが素晴らしい、これが全体のバランスを整えているのだ」


 なんだよ、みんな美味しいと思うなら、俺など気にせずに食べれば良いのに……。

 三品目は、ポタージュスープとパンが出された。


「うみゃ、カボチャとミルクの味わいが濃厚でうみゃ、すんごい滑らかでうみゃ!」


 って、また俺がうみゃうみゃすると、ホールが静まり返って、直後に賑やかな語らいが戻ってくる。

 これは、やはり少々軽蔑されているのだろうか。


 四品目は大きなエビのグラタン、五品目は口直しのソルベで、どちらもうみゃうみゃしたのだが、さすがに見世物のようになる展開が続いて、五品目の肉料理が並べられた時には少々食欲が無くなってしまった。


「ニャンゴ様? お口に合わなかったでしょうか?」

「いえ、そうではないのですが……」


 柑橘系のフルーツソースが添えられた鴨肉のローストは、見るからに美味しそうだが、周囲のテーブルから注がれる視線と静まり返ったホールの空気が圧し掛かってくるのだ。


「育ちが悪いもので……騒がしくて、すみません……」

「とんでもない、皆さんニャンゴ様が美味しそうに食べるのを楽しみになさっていらっしゃるのですよ」

「そう、なのですか?」

「はい、勿論です」


 エルメリーヌ姫の言葉を裏付けるように、周囲のテーブルの人達が頷いてみせるが、それでもこんなに注目されると居心地が悪い。

 でも、折角の料理を味わわないのも勿体ないし、ギルドの酒場でレイラさんの膝に座って食べているのだと思って、開き直って食べるとしよう。


「うみゃ、鴨肉うみゃ……?」

「ニャンゴ様?」

「うん、うみゃ……」


 鴨の肉は火の通し加減が絶妙で、ソースも美味しいのだけど、自分で仕留めたアカメガモよりも一段味が落ちる気がした。

 これはこれでうみゃいけど、王城の料理よりもうみゃい物もあるのだと認識を改める一品だった。


 料理はサラダ、チーズと続いた後、デザートとなった。

 ケーキはミルフィーユ、フルーツはイチゴが出されたが、このイチゴも前世の日本で味わったものに較べると落ちる。


 女峰、紅ほっぺ、あまおう、スカイベリー……日本の農業技術の高さを異世界に転生してシミジミと噛みしめている。

 最後にカルフェと焼き菓子が出て、晩餐会は終了となった。


 どの料理もうみゃかったのだが、途中から色々と考えてしまって今ひとつ楽しめなかった気がする。

 やっぱり、もっと気軽な場所で、気楽にうみゃうみゃする方が俺には合ってる気がする。

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