第164話 支えてくれた人のため

 カバジェロと面談した翌朝、まだ暗いうちにベッドを抜け出して、見張りの兵士に断りを入れて庭に出た。

 空属性魔法で振り棒を作って構える。


「にゃっ、うにゃっ、にゃっ、うにゃっ……」


 ゼオルさんに習った棒術の基礎の基礎、打つ、薙ぐ、払う、突くの四つの動作と足捌きを組み合わせて棒を振る。

 無心に……無心に……無心になれない。


 いつもなら、ベッドで丸くなれば、すぐ夢の中だ。

 いつもなら、棒を振り始めれば、すぐに神経が研ぎ澄まされてゆく。


 それなのに、茶トラの猫人の顔が消えない。

 カバジェロの罵倒が、耳から離れてくれない。


「はぁ……はぁ……」


 素振りをやめて、振り棒を消し、庭に座り込んで朝日を眺める。

 これ以上ないぐらい清々しいシチュエーションなのに、心には厚い雲が垂れ込めたままだ。


 水浴びして汗を流し、ついでに洗濯を済ませてから部屋に戻ると、相部屋のナバックがモゾモゾと起き始めたところだった。


「ぬぉぉ……早いな、ニャンゴ」

「おはようございます、何だか目が覚めちゃって」

「そうか……んー、飯行くか?」

「それはいいですけど、顔洗ってからの方がいいですよ」

「おぉ、そうだな……」


 ナバックは、まだ半分眠っているような状態で、髪も寝ぐせでボッサボサだ。

 顔を洗って、髪を整えるのを待って、一緒に食堂に向かった。


 子爵一家やデリックは来客用の食堂で食事をするが、俺達は公爵家の騎士や兵士が使う厨房に隣接した食堂を利用している。

 兵士たちのための食堂とは言っても、グロブラス伯爵家の食事とは雲泥の差だ。


 フカフカのパンに、濃厚なミルク、シャキシャキのサラダ、目玉焼きに分厚いベーコン、深い味わいのコンソメスープに、香り高いカルフェまで付く。

 どれもこれも素晴らしい味わいのはずなんだが……。


「なんだなんだ、どうしたニャンゴ、湿気た面しやがって。折角の食事が不味くなっちまうぞ」

「すみません……」


 美味しい物どころか、命を繋ぐ食事を得ることにも苦労している者がいる。

 イブーロのマーケットからパンを盗んで、必死に逃げていた兄貴の姿が頭に浮かぶ。

 命懸けで理不尽な現状を変えようとしている猫人がいるのに、自分ばかりが美味しい物を腹一杯食べていて良いのだろうかと考えてしまう。


「はぁぁ……どうやら重症みたいだな。そんなに、あの猫人にやり込められたのか?」

「いえ、やり込められたというか、話が噛み合わないというか……」


 俺の話を全く聞かず、一方的に罵倒してきたカバジェロに気圧されまいとムキになってしまい、結局何も聞き出せなかった状況を話すとナバックは首を傾げてみせた。


「ニャンゴ、それのどこが悪いって言うんだ?」

「えっ?」

「お前は嘘をついた訳じゃないだろう? 話した通りに頑張ってきたんだろう?」

「でも、同じ猫人なのに分かり合えなくて、何で襲撃したのとか、誰に協力して……」

「それを聞き出すのって、お前の仕事じゃないだろう」

「でも、騎士の皆さんや見物してた人の命を奪ったのは猫人で……」

「お前は猫人の王様なのか? それとも猫人の貴族様か?」

「いえ、そんな偉くは……」


 ナバックは左の手の平を見せるようにして俺の言葉を遮ると、頬張ったパンとベーコンを忙しなく噛み砕きミルクで流し込んだ。


「確かに、一昨日の襲撃で一番被害を出したのは猫人の自爆だったが、一番多くの命を救ったのは猫人のお前だ」

「でも……」

「まぁ聞け。同じ猫人が自爆したり、助けたはずの猫人に罵倒されたりしてショックを受けてるのは分かる。だが、襲撃に加わっていたのは猫人だけじゃないだろう。お前が倒した弓使いの中には2人、魔銃を持って襲って来た連中の中には3人、俺と同じヤギ人が混ざっていた。だが、俺は責任を感じたりしねぇぞ。その連中とは会ったことも無ければ、話したことも無い。俺は魔道具の職人として真面目に働いて、魔導車の知識を蓄えて、認められて子爵様に雇ってもらっている。誰にも、何も、後ろ暗いことなんか一つも無い」


 テーブルの向こうで姿勢を改めて胸を張ったナバックが、急に大きな存在に見えた。


「ニャンゴ。俺が胸を張っていられるのは、俺が道から外れて曲がっていきそうになった時に、ぶっ叩いて真っ直ぐ歩くように引き戻してくれた人達のおかげだ。親父、お袋、魔道具職人の親方、先輩、同僚、酒場の親父……たくさんの人に支えられてきたから、真っ直ぐに、下を向かずに歩いてこられたんだ。ニャンゴにだって、そういう人がいるだろう」


 ナバックの問いに、無言で何度も頷く。

 カリサ婆ちゃん、ゼオルさん、チャリオットのみんな、レンボルト先生……俺が、今の俺になれたのは、たくさんの人に支えられてきたからだ。


「下を向くな、前を向け、ニャンゴ。お前が下を向くことは、これまで支えてくれた人を侮辱することだ」


 普段は話好きの気のいいオッサンにしか見えないナバックの言葉だからこそ、一つ、一つが胸に響く。


「ニャンゴ、その小さい身体で、お前は本当に良くやってるよ。あの大混乱の状況下で、冷静に子爵様達を守り、次々に襲い掛かって来た連中を全部防いでみせた。お前は本当に凄いんだぞ。誇れ、胸を張れ、それがお前を育ててくれた人達への恩返しだ」

「はいっ!」

「だけどな、ニャンゴ。どんなに凄い奴だって、出来ることには限界があるんだよ。例えば、俺達が乗って来た魔導車があるだろう。子爵様が使うだけあって立派なものだが、1人の職人じゃ作れやしない。動力となる魔道具、魔道具から力を伝える車軸、車輪。子爵様たちが寛ぐキャビン、それを支えるフレーム。多くの職人が力を合わせて、ようやく1台の魔導車が完成する」


 ナバックは一旦話を切ると、冷めてしまったカルフェで喉を湿らせてから続きを話し始めた。


「その魔導車作りに関わる多くの職人が、スムーズに仕事が出来るように指示を出すのが親方の仕事だ。小さな魔道具を作るなら1人でも出来るが、大きな仕事をするには全体を見渡して指示を出す人が必要になる。親方の指示によっては現場がガタガタになっちまうし、かと言って親方が指示しても職人が動かなきゃ仕事は進まない。ニャンゴ、何かに似てると思わないか?」

「えっ……あっ、領地……というか世の中全体?」


 ニヤリと笑ったナバックが喉を湿らそうとカップを手にするが、先程飲み干してしまったから中身は無い。

 そこへ、すっと歩み寄ってきた給仕さんがカルフェを注いだ。


 ナバックはカップから立ち上る香気を楽しんだ後で、ゆっくりと口に含んでカルフェを味わう。

 見ているだけでも実に美味そうだ。


「ニャンゴ……」

「はい、何でしょう」

「お前は、この先もっと凄い冒険者になるだろうが、国とか領地という大きな仕事の中では、ほんの一部分を担当する職人にすぎないんだぜ。国全体をどうするとか、領地全体をどうするとか考えるのは王様や貴族様の仕事だ。だからといって適当に生きても構わないわけじゃない。俺達は、俺達に与えられた目の前の仕事をキッチリカッチリ全うする。その積み重ねでしか世の中は良くなっていかねぇよ」

「そうですね……」

「ほれ、とっとと食っちまえよ。いつまでも食ってたら、厨房の皆さんの仕事が終わらなくなるぞ」

「はい……うん、うみゃ! 冷めちゃったけど、うみゃ!」


 砂を噛んでいるようだった朝食のメニューに、急に味わいが戻ってきたような感じだ。

 食事にありつけない人がいるのは確かだが、食べる人を思って作ってくれた人達に感謝して、ちゃんと味わって食べるべきだ。


 少し冷めてしまった朝食の残りは、いつもよりも、うみゃうみゃしながら食べ終えた。


 今日は、襲撃で亡くなった騎士を荼毘に付すので、ラガート子爵の一行はレトバーネス公爵家に留まる。

 俺は、念のために持って来た黒いシャツと黒いカーゴパンツに履き替えて、ナバックと共に騎士の葬儀に参列した。


 屋敷の敷地の中にある、礼拝堂に隣接して火葬場が建てられていた。

 貴族が亡くなった時にも、アンデッドとならないように、遺体は火葬され、骨も粉々に砕かれた状態で埋葬されるそうだ。


 火葬場には大きな石窯が置かれていて、魔道具と薪を合わせた火力で遺体を焼くらしい。

 相当な高温で焼かれるらしく、厳重な鉄の扉も閉められるので、臭いは殆ど感じなかった。


 子爵一家は火葬を行う前に、棺に花を手向けていた。

 普段は生意気そうなアイーダも瞳を潤ませ、涙を零していた。


 これまでの道中で感じたのだが、子爵一家と騎士の間には食堂や宿泊場所を分けるなど、厳然たる身分の違いが存在している一方で、独特の親密さが存在している。

 道中、休息を取った時などには、アイーダが気さくに騎士に話し掛けていたし、アイーダを見守る騎士の眼差しは親戚の子供に向けられるもののようだった。


 身分の違いはあれど、互いに親族のように思う間柄だけに別れは辛いのだろう。

 葬儀の様子を見守っていると、また色々と考えてしまうが、揺らがないようにしっかりと立とう。


 これまで俺を支えてくれた人達のためにも、胸を張って立つのだ。

 ちょっと猫背なのと、ステップで地に足が付いていないのは大目に見てほしいにゃ。

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