第132話 エンカウント

 翌朝、目を覚ましてシェルターから出てみると、中継地の周囲は一面の銀世界になっていた。

 チャリオットの馬車も、幌の骨組みが歪みそうになっていたので雪下ろしをしておいた。


 空属性魔法で、ツルツルの板を作って雪の下へと差し込んでから、切れ目を作ってやれば雪は勝手に滑って落ちていく。

 あらかた雪下ろしを終えて幌の上から周りを見回してみると、雪の重みで潰された天幕がいくつも見えた。


 大きな焚火を囲んで身を寄せ合っている一団が、潰れた天幕の持ち主なのだろうか。

 昨日の朝の野営地は、討伐に向けて士気が上がっているように感じたが、今朝はワイバーン討伐に挑む冒険者というよりも、難民の集まりのように見えてしまう。


 降り積もった雪は俺の腰ぐらい……40センチを越えていそうだ。

 冒険者は色々な装備を持って討伐に挑むが、雪かきに使えるような大きなスコップまでは持っていない。


 元々、穴掘りは土属性の者が担当するし、それ以外の属性の者も荷物になるので小さなシャベル程度しか持ち歩かない。

 それならば、ゴツい自分の手で掘った方が早いのだろうが、冒険者と言えども冷たさには敵わないのだ。


 その上、焚火に使う木の枝などを集めようにも、雨と雪で濡れてしまって使い物にならない。

 冒険者達のテンションは、ダダ下がりしていた。


 では、ワイバーンはどうだろうか?

 視線をブーレ山に転じて、ワイバーンの心境を想像してみた。


 一昨日の晩、危うく殺されかけたが脱皮して逃げ帰った。

 たぶん、ワイバーンにしてみれば屈辱的な出来事だったはずだ。


 昨日は一日中、雨と雪が降りやまなかった。

 ワイバーンは山頂近くの洞窟に住み着いているらしいのだが、たぶん、洞窟から出ないまま一日を過ごしたのだろう。


 脱皮は体力を消耗するらしいし、何よりも傷つけられて逃げ帰ったのだから、体力を補いつつ鬱憤を晴らすためにも、今日は攻撃してくる可能性が高いと見ている。

 問題は、どうやって、どの方向から襲って来るかだ。


 脱皮を終えた身体は、脱皮直前ほどの強度は無いはずだ。

 ワイバーンがそれを自覚しているとすれば、相手の攻撃を受けず獲物を手に入れる方法を考えるだろう。


「だとしたら、不意打ちか……問題は、どこから来るか……だな」


 中継地の周囲には草原が広がっていて、その中に林が点在しているが基本的に見通しが良い。

 見通しが良いからこそ、ワイバーンの討伐地として選ばれたのだ。


 実際、馬車の幌の上に立って周囲を見回すと、ほぼ360度を見渡すことが出来る。

 この状況で、ワイバーンが発見されずに近付いて来るのは難しい。


 ただし、冒険者の頭の中には、ワイバーンはブーレ山を飛び立って近付いて来るという先入観はある。

 その為、真上から襲って来た時には、俺が気付くまでは誰も気付かなかったほどだ。


 だとすれば、今回も真上から降って来ると考えた方が良いのだろう。

 朝食の時にライオスに相談すると、見張りの方向を広げるように他のパーティーにも掛け合ってくれる事になった。


「セルージョは、どう思う?」

「可能性としては、真上からというニャンゴの推測が一番高いと思うが、背後からというのも考えておかないと駄目じゃねぇか?」

「背後からって……西からってこと?」

「そうだ、みんなブーレ山を見ている時に、後から襲われる感じだ」

「でも、西からならば、見張っていれば発見できるんじゃない?」

「と思うだろう? もし地面スレスレを飛んで来たらどうだ?」

「地面スレスレ……考えてなかった」


 冒険者達の見張りは、前世の知識で例えるならば対空レーダーのようなものだ。

 ただし、レーダーのように広範囲をカバーできないし、思い込みが邪魔をして死角ができやすい。


 ワイバーンは高い空から急降下して襲って来るという先入観があるから、セルージョが言うように地面スレスレを飛んできたら発見が遅れるだろう。


「ライオス、やっぱり馬車の上から見張らせてほしい」

「だが、万が一にもニャンゴを失う訳にはいかないし、雪の上に黒猫人は目立ちすぎる」

「じゃあ、こいつを被っているのは?」


 シェルターの片隅に置いてあった、食器や鍋を包んでいた染めていない布を頭から被ってみせた。


「うーん……ワイバーンが接近したら、馬車から降りると約束するなら許可しよう」

「大丈夫、逃げ足だけならAランクにも負けないよ」


 渋るライオスを説得して、俺は馬車の上から西側を中心にして見張ることにした。

 明け方近くは雲に覆われて雪がちらついていた空も、昼ごろには雲間から日が差すようになった。


 焚火の周りで背中を丸めていた冒険者達も、支度を整えて空を見上げる。

 雲を隠れ蓑にして接近して来るのではないのか、今にも雲を突き破ってワイバーンが突っ込んで来るのではないのか。


 まだ囮の牛は引き出されていないが、冒険者の多くが野営地の端からブーレ山に向かって目を凝らし始めた。


「そっちから来るとは限らないぞ、前後左右に気を配れよ」


 ライオスが声を掛けて歩くと、冒険者達はハッとした様子で真上や左右にも視線を向けた。

 本当ならば、誰がどちらの方向を見張るか取り決めを行った方が良いのだろうが、冒険者にそこまでのまとまりを求めるのは酷だろう。


 昼食を食べ終える頃には、天候は更に回復して青空が広がり始めたが、ワイバーンは姿をみせない。

 昼食後、幌の上での見張りは苦行の一言だった。


 お腹が膨れ、空からは暖かな日差しが降り注ぐ。

 周りには雪が降り積もっているから気温自体は低いけど、空属性魔法で作った防寒着を着込んでいるからポカポカなのだ。


 この状況は、猫人にとっては眠れと言われているようなものだ。

 マズい、寝たら駄目だ、こういう時こそワイバーンが来る……と思ってみても、意識が飛びそうになる。


 座ったままだと確実に寝落ちしそうなので、立ち上がって歩き回りながら見張りを続けた。

 幌の上で、布を被って、ウロウロと歩き回っている姿は、周りからみたら変な奴だと思われたに違いない。


 何とか眠らずに見張りを続けたのだが、一向にワイバーンは姿を現さなかった。

 もしかしたら、脱皮した身体がまだ馴染んでいないのだろうか。


 ワイバーンが現れないまま、更に時間は経過して日が西に傾き始めた。

 さすがに中継地に漂う空気が緩み始めたが、これまで何度も不意打ちを食らっているので、ベテランの冒険者は気を緩めるなと若手を叱咤している。


 とは言え、一日中気を張っているのは疲れる。

 加えて、西に傾いた日差しが雪原に反射して酷く眩しい。


「くっそ眩しい……サングラスが欲しい……」


 自分の呟いた言葉に鳥肌が立った。

 来る、きっとワイバーンは、ここを狙って襲って来るはずだけど……証拠が無い。


 真上から襲って来た時のように、まだ姿を発見出来ていないし、必ず来るという確証も無いが、俺の勘が警鐘を鳴らし続けていた。


「どこだ、どこから来る……」


 目を凝らしてワイバーンの影を探したいのだが、西日を乱反射させる雪原が眩しすぎて目を開いていられない。

 一人で見張るのは無理だと判断して、ライオス達と合流しようと幌から降りかけた時、突然視界に大きな影が飛び込んで来た。


 ワイバーンは、西に向かって流れる境界の川面スレスレを飛んで接近して来たらしい。

 川原から急に現れたワイバーンは、真っ直ぐに俺に向かって来る。


 大きなグリーンの瞳が俺に狙いを定め、短剣ほどもある鋭い鉤爪が迫ってきた。


「粉砕!」


 咄嗟に粉砕の魔法陣を発動させて、爆風によってワイバーンの身体を押し上げたが、鉤爪は幌に倒れ込んだ俺のフルアーマーを削っていった。

 スレスレを飛びぬけたワイバーンの風圧で、馬車の上から飛ばされる。


 幸い、馬車の周りに降り積もった雪がクッションになってくれた。

 突然現れたワイバーンに向かって、冒険者達が火属性の攻撃魔法を撃ち出すが、散発的だし弾速が遅くてワイバーンを捉えられない。


 野営地の上を飛びぬけたワイバーンは上空へと舞い上がり、こちらへと向きを変えた。

 まだ距離は500メートル以上離れていると思うが、ワイバーンは俺に狙いを定めているような気がする。


 不意打ちに失敗して、偶然見つけた一昨日自分を痛めつけた相手と思っているのかもしれない。

 降下を始めたワイバーンの瞳が、俺を見据えているように感じる。


「うにゃ! 向かって来るならたっぷりと痛めつけてやるぜ!」


 ワイバーンに向かって、右手の中指を突き立ててみせる。


「キェェェェェ!」


 ポーズの意味を理解した訳ではないのだろうが、ワイバーンは牙を剥き、甲高い叫び声を上げながら、真っ直ぐこちらへと向かって来た。

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