第110話 アクシデント

「おい、ニャンゴ。こっちは任せていいか? 俺は店の前を見て来る」

「はい、よろしくお願いいたします」


 食事を終えて、オイゲン夫妻との商談は滞り無く終了。

 店の前から馬車に乗り、オイゲン夫妻を商会まで送り届けてから、次の商談に向かう予定だ。


 ヘイグが馬車を回して来るまでの間、一同は店の前で待つことになり、事前に怪しい者がいないか確認が必要だ。

 そうしたことに頭が回らないところが、俺の経験不足を現しているし、さりげなくカバーしてくれるところが、ベテランであるタールベルクの余裕の表れだ。


 店の前で馬車を待つ間、今こそ周りを警戒していなきゃいけないのだが、箱から漂って来る良い匂いに鼻がヒクヒクしてしまう。

 御者台に座って、馬車が動き出したら、速攻で中身を確かめて食い尽くしてやる。


 箱から漂ってくる香りで中身を予想していたら、急に通りが騒がしくなった。

 悲鳴や怒号が聞こえた方向へ目を向けると、黒い大きな馬がこちらに向って暴走しているのが見えた。


「下がって!」


 すでにタールベルクは、テイクアウトの箱を放り出して、オイゲン夫妻を守る位置で構えている。

 それに較べて俺は、箱の中身に気を取られてすっかり出遅れていたが、まだ挽回は可能だ。


「ウォール!」


 突っ込んで来る馬が逸れるように、空属性魔法で斜めに壁を設置した。

 暴れ馬は身体を壁に擦り付けながら、俺達の横を駆け抜けていく。


「もう一丁、ウォール!」


 馬を挟んで反対側に、前方が徐々に狭まるように壁をもう一枚追加する。

 見えない壁に挟まれて、暴れ馬が速度を落として止まった所で、更に壁を追加して拘束した。


 キーンにテイクアウトの箱を預けて馬へ駆け寄ると、尻に刃物で切ったような傷があり血が流れている。

 どうやらこれが、暴走の原因のようだ。


 行き場を失って止まったものの馬はまだ興奮気味で、俺では大人しく移動させるのは難しそうだ。

 さてどうしたものかと悩んでいたら、追いついて来たタールベルクが声を掛けてきた。


「おいっ、不用意に近づくな!」

「大丈夫です。空属性の壁で囲ってあるから動けませんよ」

「なんだと……」


 馬の近くまで寄ったタールベルクは、厚い壁があるのを確認してニヤリと笑った。


「なるほど、俺が殴り付けたのはこいつか」

「タールベルクさん、手綱を握って馬を押さえられますか? 俺は馬には舐められちゃうので……」

「ははは! あっさり暴走を止める力があるのにか?」

「えぇ、馬とは相性が悪いみたいです」

「良いだろう。手柄は俺が独り占めしてやろう。はははは……」


 まぁ、猫人の俺が暴れ馬を止められるなんて、誰も思わないだろうし、手柄とかはどうでもいいや。

 タールベルクはギロっと一睨みしただけで馬を大人しくさせてしまった。


 壁を解除すると、タールベルクは手綱を握って、馬を走って来た方向へ引いていった。

 暴走を目撃した街の人々が、タールベルクに賞賛の声を上げた。


「すげぇぞ、タールベルク。あの暴れ馬を静めちまったのか」

「一線を退いたとはいえ、さすがAランクの冒険者だぜ」


 どうやらタールベルクは、キルマヤでは顔が売れている元冒険者らしい。

 馬に近付かないよう街の人々に手振りで示しながら、タールベルクは意外な言葉を口にした。


「勘違いするな、この馬を取り押さえたのは、あそこにいるニャンゴだ。俺は馬を預かって来ただけだ」


 あれっ? 手柄を独り占めするんじゃなかったの。

 てか、こちらを向いた街の人達の視線は、俺を素通りしていく。


 どうやら、暴れ馬を捕まえられるような筋肉ムキムキの大男を探してるのだろう。

 いや、別にちやほやされたい訳ではないが、これはちょっと悲しいかも。


「この馬は何処から来た。誰の馬なのか知らないか?」


 タールベルクが声を掛けると、街の人達が指差す方向から、息を切らして走って来る犬人の中年男性の姿があった。

 服装から見て、貴族の執事か従者のようだ。


「はぁはあ……その馬はエスカランテ家の物だ。はぁ……よくぞ捕まえてくれた」

「あんた、確か四男坊の従者だったな?」

「そ、それが、どうした」


 自分の主を四男坊などと呼ばれたのが気に入らないのか、中年の犬人は険しい表情でタールベルクを睨みつけた。

 領主の息子の従者だとすれば、それなりの地位になると思うけど、タールベルクはそんなぞんざいな口の利き方で大丈夫なのか。


「この尻の傷はなんだ? こいつが暴走の原因じゃないのか?」

「そ、そんな事は……貴様には関係ないだろう。さっさと馬を返せ!」

「ふん……まぁいい、この話は俺から先代様の耳に入れておく」

「なんだと……貴様、そんな事をしてただで済むと思っているのか!」

「街中で暴走した馬を捕まえたら、尻に刃物による傷があり、デリック様の従者が慌てた様子で馬を引き取りに来た……見たままを伝えられて、何か困ることがあるのか?」

「くっ……」

「ほれ、まだ完全に興奮が治まってないからな。逃げられないようにシッカリ握っておけ」

「タールベルク……覚えておけよ」

「下らんことを画策すると、余計な面倒を増やすだけだぞ」

「ちっ、元冒険者風情が……来いっ、おいっ、動け!」


 さっきまで暴れていた馬は、元冒険者風情のタールベルクには従順だったが、中年の犬人が手綱を引っ張ってもなかなか動こうとはしなかった。

 そうそう、俺が手綱を引こうとすると、あんな感じになるんだよなぁ。



 それにしても、タールベルクの話しぶりからすると、先代領主と何やら繋がりがあるみたいだ。

 あれっ? 確かエスカランテ領の当主は、騎士団長を歴任してきたはずだよな。


 引退した騎士団長が、同じく一線から退いた元Aランク冒険者から街の噂を聞く……なんだよそれ、ちょっと格好いいじゃん。

 タールベルクはヒラヒラと手を振って、通りに集まっていた人達を解散させ始めた。


 人が密集していて、ヘイグが馬車を近付けられずにいるからだ。

 てか、まだこれ食べちゃ駄目なのかな? 出来たての温かさと美味しさが失われているような気がするんだけど……。


 ボルツィとエリーサが、オイゲン夫妻と一緒にキャビンに乗り込んだ所でタールベルクが声を掛けてきた。


「今日は無理だろうが、依頼以外でキルマヤに来たら訪ねて来い。一杯飲ませてやろう」

「そんなに、ちょくちょく来れる距離じゃないですよ」

「構わん。忘れるなよ……」

「はい、覚えておきます」


 俺とすれば、綺麗なお姉さんの方が良いけど、元Aランク冒険者ともなれば面白い話が聞けそうだ。

 キルマヤに来る機会があれば、忘れずに訪ねて来よう。


 御者台に上がり、馬車が動き出したところで、ようやく昼食にありつけた。

 箱の中身は、白身魚のフライにパン、それと干し柿だ。


「うみゃ! マルールのフライ、ホコホコ、サクサクで、うみゃ!」

「そのフライ、揚げたては最高に美味かったぞ」

「揚げたて……いいにゃぁ……でも、うみゃ! このパン、クルミが入っててカリカリ、モチモチで、うみゃ!」

「ははは……ニャンゴ、道行く人が何事かと振り返ってるぞ」

「いいんです、うみゃい物はうみゃいんです。うわっ、この干し柿もうみゃ! ねっとり甘くて、うみゃ!」


 さすが大きな商会の主が贔屓にしているとあって、テイクアウトのメニューはどれも絶品だった。

 おあずけの時間が長すぎる気はするけど、美味いただ飯が食えるなら我慢するか。


 午後から商談を行ったのは、マイラニスという商会だった。

 マイラニス商会は、グラーツ商会よりも安価な商品を扱う商会だが、単純に安さで勝負するのではなく、手軽な価格だけどセンスが良い商品を取り揃えているらしい。


 家具の単価にすれば、グラーツ商会から注文を受ける物の方が高いのだが、注文数が多く、売り上げ高はマイラニス商会の方が上回る場合もあるそうだ。

 グラーツ商会が高級な個人商店だとすれば、マイラニス商会は普通の会社組織に見えた。


 敷地に入る門には守衛がいたが、商会主にボディーガードはついていないようだ。

 おかげで舐められたり、ちょっかい出されたりもしないで済んだが、それはそれで物足りなかったりもする。


 商談の方法も、商会の主が1人で行うのではなく、3人ほどの担当者が同席して、細部にわたっての要望を出しているようだった。

 客層によって、商売のやり方も異なるのだろう。


 家具工房の職人さんたちも、一方的に要望を聞くのではなく、色々な提案をしているようだ。

 作った商品を売るというよりも、一緒により良い商品を作り上げる感じなのだろう。


「ニャンゴさん、今夜はシューレさんは戻られないのですね?」

「たぶん、戻るのは明日の昼になると思いますが、護衛は任せて下さい」


 商談の合間に、執事のキーンが確認をしてきたが、宿の部屋の入口と窓にシールドを張っておけば、寝ている状態でも警備は万全だ。

 一応、今朝もボルツィには説明をしてあるが、夕食の席でもう一度詳しい説明をしておこう。

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