第60話 睡眠学習

 シューレからベッドを共にしようと誘われたが、丁重にお断りして自分の部屋に戻った。

 ベッドを共にすると言っても絶対に色っぽい話などではなく、俺が湯たんぽ代わりにされるだけだ。


 オリビエはキダイ村の村長の娘だから多少のモフりを黙認してきたが、好き勝手に他人に撫でまわされるのは好きじゃない。

 それよりも、ダニ退治モードでフカフカにした布団を独り占めして、グッスリと惰眠を貪るほうが重要だ。


 トイレを済ませて、シャツとカーゴパンツを脱ぎ捨て、パンツ一枚で布団に潜り込む。


「ふぉぉぉ……フッカフカのポッカポカだよ」


 温度調節と風の魔法陣を組み合わせた布団乾燥機の効果は抜群で、安物に見えた布団が高級品のように思えるくらいだ。

 アツーカ村の自宅では、この季節だとハンモックの上で丸まって眠るのだが、今日は前世を思い出し、身体を伸ばした人間っぽい格好で眠った。


 部屋のドアにはシッカリと鍵を掛けてあるし、窓も閉めて閂を落とした。

 それでも、ドアと窓の内側にはシールドを展開しておく。


 昨年、コボルトにやられて左目を失ってから、ずっと練習してきたことがある。

 それは眠っている間にも、空属性の魔術を維持することだ。


 空属性の魔法では、サミングやステップに始まって、今ではオフロードバイクなども作れるようになった。

 ただし、それは俺が意識を保っている間だけだ。


 眠ったり、気絶した場合には魔力の供給が絶たれて、折角作った物も消えてしまう。

 これが、眠った後でも維持できるようになれば、野営の時の警戒や防御が格段に向上する。


 そこで、空属性魔法でクッションを作って、その上で眠るようにした。

 眠ってクッションが消えて目を覚ましたら、またクッションを作り直す。


 最初は全く上手くいかず、五回ほどやり直した後で諦めて眠る日が続いた。

 そのうちに、少し眠った後でクッションが消え、落下のショックで起きるようになった。


 つまり、眠ってからも空属性の魔法を維持できるようになったのだが、今度は維持する時間が問題だった。

 最初は、ほんの数分しか持たなかったようで、眠った瞬間に消えていたのと変わらないぐらいの感覚だったが、少しづつ、少しづつ時間が伸ばせるようになってきた。


 クッションから落ちたショックで目を覚まして、空が白み始めている時間だと気付いた日は本当に嬉しかった。

 正直、途中で目を覚ますと寝不足になって、昼間が辛かったからだ。


 前世の人間だった頃に較べると猫人は睡眠を欲する体質なのに、更に寝不足の状況が続くのは一種の拷問でもあった。

 まぁ時間を見つけては、昼寝を楽しんではいたけどね。


 そうした練習の甲斐があって、今では眠っている間も空属性魔法を維持できるようになっているのだが、問題が全て解消された訳ではない。

 心配しているのは、強度だ。


 クッション程度の柔らかい素材は、作ったり維持したりするのに、あまり魔力を使わないが、シールドなどの丈夫な素材は魔力を多めに使う。

 オークの心臓を口にして魔力は増えているから、起きている状態で作るのには全く問題は無いが、眠った後も強度を維持出来ているのか分からない。


 何せ、俺自身が眠ってしまっているので、確認のしようが無い。

 まぁ、眠っている間に、シールドに何かが触れれば、感覚は繋がっているから確実に目は覚ますことになる。


 当面の間は、今日のように宿屋のドアや窓の防犯用として設置し、野営の時には近場に厚く丈夫なシールド、離れた場所に薄いシールドもしくは探知用のビットを設置するつもりだ。

 フカフカな布団のおかげで一晩グッスリと眠れたが、設置したシールドは消えずに残っていた。


 さぁ、起きて朝食を済ませたら、ギルドに仕事を見に行こう。

 ベッドから抜け出しながら、昨晩思い付いたアイデアを実行に移してみる。

 試してみるのは、音を立てない動作だ。


 少しの間だが、一緒に過ごしたシューレは殆ど物音を立てなかった。

 猫人の耳はかなり優秀だが、それでも殆ど音を感じない。

 階段を下りる足音がしないから観察していたのだが、意識して音を立てないようにしているというよりは、すでにそうした行動が習慣になっているようだった。


 冒険者として一番メジャーな活動は魔物の討伐だが、そのためには相手に気付かれずに接近し、相手に気付かれる前に攻撃を仕掛けるのがベストだ。

 そのために、自分の気配をなるべく薄くするのは有効な手立てだ。


 衣擦れの音を立てないように身支度を整え、食堂に向かおうとしたらドアが大きな軋み音を立てた。

 ふむ、冒険者たる者、ドアの軋みを止める油も持ち歩かないと駄目なのかな。


「おはよう、ニャンゴ」

「ふぎゃ! お、おはようございます……」


 ドアを閉めて鍵を掛けていたら、突然背後から声を掛けられて変な声が出た。

 俺が部屋を出た時には、廊下には誰もいなかったはずなのに、いつの間にかシューレが後ろに立っている。

 

「乙女が声を掛けているのに、叫ぶとか失礼……」

「そう思うなら、音も立てずに接近して来ないで下さい。ビックリして心臓が口から飛び出すかと思いましたよ」

「ごめん。でも、ニャンゴも殆ど音を立てていないよ。夜中に『うみゃ、うみゃ』って鳴いてたけど……」

「えっ……嘘ですよね?」

「嘘じゃないよ。私は耳が良いからね」


 音を立てないどころではない、寝言で『うみゃ、うみゃ』言ってたなんて、かなり恥ずかしい。

 そう言えば、昨晩はマルールのムニエルの夢を見ていたような気もする。


「ニャンゴは育ち盛り、食べ盛りだから仕方ない」

「うぅぅ……もう、うみゃうみゃ言わないようにします」

「なんで? 可愛いのに」

「俺は、格好良い男になるんです」

「ふーん……」


 シューレのニマニマした笑いが、子ども扱いされている感じで、ちょっとイラっとする。

 まぁ自分で言っておいて結構恥ずかしいというか、こういう発言自体が子供だと思った。


 今朝もカウンター席にシューレと並んで座ると、ネルバさんがトレイに載せた朝食を運んで来てくれた。

 トーストとコンソメスープ、ソーセージとトロトロのスクランブルエッグだ。


 トレイが置かれた途端に、バターの香りがフワーっと漂ってくる。


「うみゃ! トロトロで、濃厚で、うみゃ!」

「ふふっ、やっぱりニャンゴは可愛い……」

「ぐぅ……お、美味しい……いや、なかなか美味ではないか」

「格好良い男は黙って食べる……」

「くぅ……黙ってれば良いんでしょ」


 見た目は間違いなくシューレの方が年上だが、前世の記憶も加えれば俺の方が年上のはずだ。

 それが、軽くあしらわれてしまっているのだから情けない。


 というか、このスクランブルエッグはマジで絶品だ。

 卵もバターも濃厚で、その上トロトロの焼き加減が絶妙なのだ。


 これ以上生だと卵特有の生臭みが出るし、これ以上火を通してしまうとトロトロの食感が失われてしまう。

 トーストも外はカリカリ、中はモチモチの絶妙な焼き加減で、ここにスクランブルエッグを載せて食べると、もう、もう、もう……。


「うみゃ! トロトロ、カリカリ、モチモチ、うみゃ!」

「まったく、朝から騒々しい子だねぇ……誰も取りやしないから慌てずにお食べ」

「ネルバさん、どうしてこんなトロトロに焼けるんですか?」

「そりゃあ、腕だよ……腕」

「なるほど……」


 ローマは一日してならず、トロトロも一日や二日では体得出来ない技術なのかもしれない。


「ニャンゴ、今日はどうするんだい?」

「知り合いの拠点に行ってみて、戻っていなかったらギルドで仕事を探してみようかと思ってます」

「知り合いが戻っていなかったら、今夜も泊まるかい?」

「はい、でも分からないので予約は……」

「そうだね。まぁ、部屋は空いてると思うから、宿に困ったらおいで」

「はい、そうさせていただきます」


 食事を終えたら部屋に戻り、ベッドに落ちた抜け毛を掃除した後、荷物と鍵を持って階段を下りる。

 仏頂面の犬人のおっさんに鍵を返して宿を出ると、シューレが佇んでいた。


「ニャンゴ、またね……」

「はい、また……」


 シューレは俺の喉の辺りを一撫ですると、足音を立てずに去っていった。

 なんとも不思議な女性だったが、凄腕であるのは間違いないし、イブーロで冒険者を続けていれば顔を合わせる機会もあるだろう。


「さて、チャリオットの皆さんは戻って来てるかな?」


 リュックを背負い直して、周りに人影が無いのを確認したら、ステップを使って垂直方向へと移動する。

 屋根の上まで登ったら、そのまま屋根伝いでチャリオットの拠点を目指す。


 路地を飛び越えながら、屋根伝いに街を駆け抜ける……前世の頃から、アニメなどの追跡シーンで見て憧れていたのだ。

 少し広い通りも勢いをつけて飛び越えると、地上の通りを俺の影だけが渡って行った。


 地面の上から眺めるのとは、まるで違って見える街の景色。

 まんまと道に迷いましたとさ……。

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