第59話 シューレ
美味しい夕食でお腹いっぱい。
布団と枕はポカポカのフッカフカ。
となればベッドにダイブして、心ゆくまで惰眠を貪りたいところだが、その前に……。
着替えと手拭いを抱えて、鷹の目亭の裏手にある井戸へ向かった。
鷹の目亭の井戸には、水浴びをする人のため衝立が作られていた。
シャワールームの奥が、井戸の縁に乗っかっているような感じで、衝立の中から水を汲んで浴びられるようになっている。
四方を板塀で囲み、ドアには内側から簡単な閂が落とせるようになっていた。
広さは一畳ほどで、着替えなどを置いておく簡単な棚も設えてあった。
せっかく温度操作の魔法陣が手に入ったのだから、ゆっくり風呂につかりたい。
着替えと手拭いを棚に載せ、まずは空属性魔法でバスタブを作る。
俺一人が浸かるだけなら、大きなバスタブは必要ないが、せっかくなので足を伸ばせるサイズで作った。
まぁ、それでもユニットバス程度の大きさだ。
続いてバスタブの底に温める魔道具を設置した。
お湯を沸かすつもりだから、少し出力高めにした。
「よし、では、温水を作ってみるか」
温める魔道具と水の魔道具を組み合わせると、念願のお湯の魔道具の完成だ。
何度か作り直して、適温のお湯が出るように調整すると同時に、バスタブの中の魔道具は数を減らした。
途中、空属性魔法で混ぜる棒を作ってお湯を撹拌して、温度を確かめていく。
そして、体感時間十分ほどで、俺専用のバスタブの準備は整った。
手早く服を脱いで、まずは空属性魔法で作った手桶を使って掛け湯をして、いよいよバスタブへと身体を沈めた。
「んー……丁度良い湯加減だね」
衝立には屋根が無いので、見上げると立ち上る湯気の先で星が瞬いている。
バスタブの縁に頭を預けて、身体を伸ばす。
「あ~極楽、極楽……」
風呂から出たら、ドライヤーでフワフワに毛を乾かした後、酒場で冷たいミルクでも頼んじゃおうか……などと考えていたら、突然衝立の戸がガタガタと揺さぶられた。
「にゃっ、にゃに? じょ、女性は入ってませんよ」
無防備な女性に悪事を働こうとする輩かと思い、入っているのは男性だと伝えたのだが、扉の向こうの人物は戸を揺さぶり続けている。
まさか、アッーな人が俺を狙っているのかと思って、背中の毛を逆立てていたら、閂が外れて戸が開いた。
「お湯……私も……」
「にゃっ、ちょっ……えぇぇぇ……」
衝立の戸を揺さぶっていたのは、夕食の時に見かけた黒ヒョウ人の女性だった。
メリハリ豊かな褐色の身体に、大きめの手拭いを巻いただけという格好の黒ヒョウ人の女性は、さも当たり前のようにバスタブに足を踏み入れてきた。
俺一人なら、ゆったりと身体を伸ばせるバスタブも、長身の黒ヒョウ人の女性には少々手狭で、盛大にお湯が溢れる。
結果的に、手拭いを一枚巻いただけの黒ヒョウ人の女性に、背中から抱えられる体勢で一緒にバスタブに浸かることになった。
「えっと……なんで?」
「水だけじゃ寒い……上から湯気が出てた……」
なるほど、屋根が無いから湯気が立ち上っているのが、外からでも見えるのだろう。
「でも、ゴツいオッサンとかが入っていたら、どうするつもりだったんですか?」
「それは無い……鼻歌が聞こえてた……」
「そうですか……」
つまり、お湯を楽しんでいるのが俺だと分かっていて、俺ならば襲われる心配は無いと舐められている訳だ。
ふっふっふっ、その認識は……大正解だよ。
身長1メートルにも届かない俺と、170センチを超えているであろう黒ヒョウ人の女性では、力ずくの勝負になれば俺の負けだと思われているのだろう。
「でも、武器とか持ち込んでいたら、どうするつもりだったんですか?」
「夕食の時も持っていなかった……君からは鉄の匂いがしない……」
「強力な魔法使いだったら、どうするつもりだったんですか?」
「狭い空間では攻撃魔法は使えない……使えば自分もダメージを受ける……」
黒ヒョウ人の女性は、その程度の事は想定済みだと自慢気に胸を張る。
色々とツッコミどころが満載なんだけど、まぁ後頭部で乳まくらを堪能させてもらっているから良しとしますか。
「俺はもう上がるから、風呂から出たら知らせて」
「分かった……」
湯舟から出て手拭いで身体を拭い、腰に手拭いを巻いて着替えを抱えて部屋へと戻った。
衝立の向こうからは鼻歌が聞こえていたが、宿の扉を開けたところで『あれ、何で?』と驚いた声が聞こえてきた。
てかさ、何もない所にお湯が溜まっているなんて、一目見ただけでも変でしょ。
変だとか、おかしいと思う以前に、お湯に浸かりたい一心だったのだろう。
部屋に戻って、空属性魔法でドライヤーを作って毛を乾かした。
ハンドドライヤーではなく、身体を一気に乾かせる大型の温風機だ。
せっかく布団をフカフカにしたのだから、生乾きの状態では眠りたくない。
それに生乾きで眠ると、雑菌が繁殖して臭うのだ。
身体の毛を乾かし終えた頃、部屋のドアがノックされた。
「出たけど……なんでお湯が溜まってたの……?」
「秘密です」
「お湯はどこから持ってきたの……?」
「秘密です」
「むぅ……」
ドアの外から不機嫌そうな唸り声が聞こえた。
「ちょっと待ってて……」
相変わらず足音は聞こえないが、ドアの前を離れていったような気がする。
暫くして、再びドアがノックされた。
「お湯のお礼に一杯おごる……」
少し迷ったけど、風呂上りのミルクを飲みに行こうと思っていたので、誘いを受けることにした。
ドアを開けると、着替えを終えた黒ヒョウ人の女性が佇んでいた。
先程の黒革のジャケットとパンツから、ゆったりとしたコットンシャツに黒のデニム姿に着替えていたが、腰には黒鞘の短剣が吊られている。
ドアに鍵を掛けて、一緒に階段を下りる。
視線を感じて仰ぎ見ると、黒ヒョウ人の女性が俺の足元をジッと見つめていた。
俺が見ているのに気付くと、新しいオモチャを手に入れた子供のように楽しげな笑みを浮かべる。
黒ヒョウ人の女性と一緒に食堂に入ると、カウンターにいたネルバさんが驚いていた。
「へぇ、珍しいね。シューレが誰かと一緒なんて」
「ん……この子は有能……」
「なるほど、さすがは噂のルーキーだね」
「噂のルーキー……?」
驚いたことに、ギルドの外にまで俺の噂が流れているようだが、シューレは聞いていないようで小首を傾げて問い返している。
「ブロンズウルフを仕留めたそうだよ」
ネルバさんの言葉を聞いた途端、俺に向けられたシューレの視線が鋭くなった。
「俺一人の手柄じゃないよ。チャリオット、ボードメン、レイジングの3パーティーが合同で行った作戦に参加しただけ」
「ふーん……」
シューレは、俺の言葉を含めて値踏みでもするかのような視線を向けていたが、細い顎を振ってカウンター席に座るように促した。
先に席についたシューレの左側に座る、でないと死角が出来て話がしにくい。
「ネルバさん、一杯飲ませてあげて……」
「あいよ、何にする?」
「冷たいミルクを……」
お酒ではなくミルクを頼んでも、またもや無反応なので、ちょっと寂しいですね。
でも、風呂上がりの冷たいミルクは格別です。うみゃ。
「改めて……私はシューレ、君は?」
「ニャンゴ」
シューレは、イブーロから王都に向かう途中にあるエスカランテ領の出身だそうだ。
エスカランテ侯爵家は、歴代当主が騎士団長を務めて来た武門の家で、領内では武術が盛んだそうだ。
「ニャンゴは有能……でも冒険者には見えない」
「冒険者は見た目で仕事する訳じゃないでしょ」
「そうでもない。護衛の仕事とかは、見た目の強さも時には重要」
「それって、猫人じゃ無理ですよね。だったら、舐められるような見た目の方が都合が良いでしょ」
「なるほど……やっぱり有能」
無能と言われるより気分は良いが、シューレの言葉には俺を見下ろしているような響きがある。
水浴び場でのバスタブ、階段でのステップや足の運びなどから、俺の力量を計っているのだろう。
実際、直接的な戦闘になれば、シューレの方が上回っていると俺自身が感じている。
だが、空属性の魔法をフル活用した戦いならば、引けを取らないはずだ。
「ニャンゴ……私と組まない?」
「えっ?」
「私と組めば……鍛えてあげるよ」
見た目は艶っぽいお姉さんだから一瞬エッチな展開を期待しちゃいそうだが、シューレから感じるのはゼオルさんやメンデス先生と同質の気配だ。
手合わせをしてみたい欲求が頭をもたげてきたが、まだ素性の分からないシューレと組む気にはなれない。
「そんな事を言って。ホントはお風呂係りを手に入れたいだけでしょ」
「ふふん……バレたか」
「それに、先約がありますから、ご期待にはそえません」
「うーん……残念。ニャンゴが一緒なら、野営でもお風呂に入れると思ったのに……」
どこまで本気で、どこからが冗談なのか今ひとつ分かりにくいですが、シューレの誘いを断っていると酔っ払った男が会話に割り込んできた。
「よぅ、姉ちゃん。にゃんころなんかと飲んでねぇで、俺らと楽しくやろうぜ」
酔っぱらいの方へとシューレが振り向いた瞬間、背中の毛が逆立った。
「消えろ……」
まるで突然そこに現れたかのように、シューレが握った短剣の切っ先が酔っぱらいの喉笛に突き付けられていた。
いつ抜いたのかも全く分からず、シューレがその気ならば俺の首は切り落とされていただろう。
前言撤回、空属性の魔法をフル活用しても、引き分けるのもやっとのような気がする。
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