第26話 映画館


武内は砕けるほど奥歯を噛み締めながら歩く


何もかも無茶苦茶にしてしまいたい衝動が拳を握らせ

靴底が乱暴にコンクリートの路面を蹴る。


誰かを殴り付けてやりたい暴力的な衝動が フツフツと沸く


「なら、あの女を殴り倒せば良かったじゃないか?」

暴力的な衝動は、もう一人の人格となり武内を焚き付ける。


「あの生意気な女が泣く顔を見ればスッとするぜ!」


あの生意気な女は泣くだろうか?

多分、泣かないだろう


彼女には、そういう感覚は欠落しているように感じる。


あの挑発的な態度の最中でさえ、彼女の赤い眼は武内を見ていない

顔を付き合わせたからこそ強く感じる。


どうでも良いとか、無関心とは違う

人ではない、あたかも現象を見るような眼で

彼女は武内を見ていた。


普通ではないのだ。


そもそも、彼女の容姿なら嫁の貰い手に困る事は無い。

赤い眼を言う人も居ようが、いかほどのマイナスであろうか

彼女なら中学を出てすぐに結婚だろう。


結婚に価値を感じていないのだとしても

仕事に困る事は無いだろう。


いや、それどころかお金に困ったと男の前でボソリと言えば

翌日を待たず家も食事もお金も得れるんじゃないだろうか


つまり、死体がゴロゴロしている山の中に居る理由など彼女には無いのだ。


あのナチの下士官も当初は彼女の容姿に惹かれて懇意になったのだろう。


だが別れ際に確かに彼はこう言っていた。


あんな所から帰れるのは、お前だけだと


下士官は彼女の異常性を見抜いている。


ナチの兵隊ですら忌避する場所、そこへ平然と行き

普通に帰って来る。


最初は無事を喜んだだろうし、辞めさせて

連れ帰る事も考えたのかも知れない。


だが、それが幾度となく続けば次第に薄気味悪くなるだろう…


普通ではないから行けるし帰れるのだろうか…?


ナチの連中から自分達はどう映ったのだろう?

頭のおかしい娘に地雷だらけの山を案内されていると思われただろうか…


もう怒りは無かった。





「はぁ…あの馬鹿…」


鴉はユンハンスの腕時計を見ながら悪態を吐く

辺り一面、霧に包まれ数メートル先すら見えない。

中田と教授も霧のむこうを見るが武内が来る気配は全く無かった。


「映画館に飲まれたわね…」


トラックに乗る前と同じく10メートル間隔で歩いていた。

20分も待って来ないとなれば間違い無く武内は道を間違えている。



「ここで待ってて」


「あ、おい!」

中田が引き留めるが、あっという間に鴉は霧の中に姿を消した。


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