第3話 記者と側溝

「はーい、ただいまぁ!」


玄関を開けると呼び鈴が鳴り、奥から女将さんだか

女中さんが大きな声をあげながらドスドスと足音を響かせ玄関に現れた。


若者は先ほど見た戦車を思い出しながら宿泊を希望している旨を告げる。


女性は最初、不可思議な物でも見るような目で若者を見たが

すぐに宿帳を引っ張り出し若者に名前と住所の記入を求めた。


武内治義

これが若者の名前である。


「はぁ~遠くから来なさったねぇ」


住所、名古屋市守山とまで書くと横で見ていた女性は驚いた様だった。


守山から中津川まで汽車で二時間は優にかかり

中津川から下伊那まで三時間はかかる。

1日1便しか無いバスを逃せば中津川で一泊となる。

そこまでの労力を使ってまで来るほどの場所では確かに無い。



宿屋は最初から宿として作られた物のようで武内は「せきれい」と書かれた部屋に通される。


しばらく彼は用意されたお茶を飲みながら外の景観を眺めた。


広場が見え、先ほどの戦車の砲塔上に米国製の重機関銃を整備兵が二人掛かりで載せている所であった。


風光明媚、とは言えそうにもない…


「お風呂は大きいで、入って下さい」


女将さんだか女中さんが、料理を運んできた。

立地からして、どの部屋に通されようと戦車が良く見えるか見えないか程度の違いしかあるまい。


宿屋が開業されて以来、景観の悪さは言われ続けて来たのだろう

武内が何かを言う前に彼女は風呂が自慢なのだと言わんばかりに勧めた。


料理も自慢らしい、この魚は何処の川で獲れたとか茸はとか長々と説明し彼女は部屋を出ていった。


中津川でバスを待つ間、梅信亭と言う名の洋食店で頼んだカレーライスの方が若者好みの味だったが

出された料理も湯治を楽しむ世代には好まれる味だろう。


一通り食べると彼は大きな風呂に向かった。

バスに揺られて埃だらけになった後だけに

サッパリと洗い流したい。


野宿すら覚悟していたのだ。

食事と風呂と寝床があるだけでも不満は言うべきではない。


風呂は、まぁ、小学校の池くらいはあるだろうか…?


そう期待し扉を開けると、そこにはコンクリートで出来た巨大な側溝が鎮座していた。


最初は何か分からなかったが、どうやら側溝の前後をセメントで塞ぎ

湯を引いているようだ。


「露天風呂とか言って酷いもんだろ?」


側溝の向こう側で体を洗い終わった男が立ち上がった。

歳は三十代くらいだろうか?

浅黒く焼けた肌で長身細身の男だった。


彼は肩までかかる長髪の水気を手拭いで拭き取ると米兵が好んで使うサングラスをかけた。


「いや失敬失敬、軍人しか居ないような場所なんでつい声をかけてしまったよ」


男は中田正俊と名乗った。

職業はフリーの記者兼カメラマンであり、今回も新聞社の依頼で最前線の写真を撮影に来たらしい。


男が出たあと、武内は湯船と言うには大雑把な物体に肩まで浸かると


雲一つない、何処までも高い空を眺めた。

日は西に傾きじきに夜となるだろう。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る