第14話 丘崎不動産はいつでも最良の物件をご用意します

 俺は、聖奈との約束をきっちり履行しないといけない状況に立たされていた。

 落ち合う場所としての公園を失った今、どこか別の場所を探さないといけない。

 聖奈は、FINEではなく、俺と直接顔を合わせられる場所を欲しているから。

 ポリスが巡回している可能性を考えると、あの公園からは離れていた方がいい。

 ネットで検索したり自分の足で現地に赴いたりして、聖奈が満足しそうな場所を探す。

 いくつかピックアップした結果。


「――そんなわけで、ここはどうだろう?」


 俺は、隣に座っている聖奈に対して、言った。


「丘崎さんと密着できるのは、聖奈的にポイント高いんですけど」


 聖奈は辺りをきょろりと見回す。

 その顔は、どこか不満そうでもあった。


「でもここ、お話できる場所じゃないですよね?」

「小声なら大丈夫だぞ?」

「気を使うところはいやです」


 すねるような聖奈は、頬をぷっくり膨らませた。

 俺たちがいるのは、地元の図書館だった。

 年季の入った区立図書館は、狭すぎず広すぎず、来客はまばらだったが、ポリスが立ち寄りそうな気配もなく、騒がしいヤツのいない落ち着いた雰囲気があるので、聖奈の要望通りの場所と思ったのだが。


「聖奈の学力アップもできて、お得な物件だと思うだけどなぁ」


 残念ながらそれほど多く聖奈が満足してくれそうな場所を見つけられたわけではないので、俺は食い下がる。


「勉強なら、聖奈の部屋でだって――」


 突然聖奈は、いいことを思いついた、とばかりにハッとした顔をして。


「そうだ。いっそのこと、聖奈の家に来てしまいませんか?」

「行かん」


 ほんの一瞬だし気のせいかもしれないけれど、自室に来いと口にした時の聖奈がやたら艶かしく見えたので俺は速攻で拒否の言葉を吐いた。

 俺に色仕掛けは通用しない。

 相手小学生だしさ。


「聖奈の家なら、丘崎さんと二人っきりで楽しめたのに」


 色々? 楽しいことを? 聖奈と二人で?


「おい聖奈、言葉はもう少し慎重に選べ。それじゃお前、お前……いろいろマズいだろうが!」


 小学生らしい語彙を使えよ!


「え? 聖奈の家にはホームシアターがあるので、丘崎さんと二人きりで好きなだけ『ポリ・キュアー』の視聴会ができると思ったんですけど……丘崎さんはいやだったんですか?」

「誰が嫌だと言った?」


『ポリ・キュアー』と聞いたら話は別だ。


 ていうかそれを、早く言え。


「その視聴会については、また今度てことで。……ソフトはブルーレイ?」

「もちろんです。音響設備もバッチリですよ。聖奈のお父さんがオーディオマニアなんです。丘崎さんはシリーズの最新作しか知らないですよね? キュアーズには、スミースとギャル以外にもいっぱいいるんですよ?」

「おいおい、ウソをつくんじゃないよ……」


 俺の知るキュアーズ以外に仲間がいるだって? 最終回まで視聴して、ああこれで全部終わっちゃったなぁ、もうキュアーズの新しい冒険を見ることはできないんだなぁ、なんて寂しく思っていたのに、『ポリ・キュアー』の世界にはまだまだ続きがあるってこと?

 バカな。

 そんな幸せな出来事、現実世界で起こるわけない……。


「丘崎さん、『魔法楽隊ポリリズム・キュアー』は、全部観ましたか?」

「全話観た。月額の配信サイトに加入してな」

「それなら、これも一緒にどうですかー、みたいな感じでおすすめアニメとして表示されましたよね?」

「ああ。他にも似たようなのがあったな。『機神咆哮ポリリズム・キュアー』とか、『超昂閃忍ポリリズム・キュアー』とか、絵の感じが微妙に違うから二匹目のドジョウ狙いのパチモンかと思った。人気作の威光を借りて別物を見せようなんて卑怯千万、って憤慨したからスルーしてた」


 ファンの鑑だろ? って顔を向けるのだが、聖奈は、わかってませんね、って顔をする。聖奈が冷たい。


「パチモンじゃありません。それも『ポリ・キュアー』です。キャラクターデザインの人が違うので、雰囲気は変わってますけど。『ポリ・キュアー』はシリーズごとにコンセプトやデザインが変わるのも魅力の一つなんですよ」


 なん……だと……?


「ば、バカな……俺はスミースとギャルの先輩キュアーズを愚弄してしまったっていうのか?」


 違う世界線で、地球の平和を守っていたキュアーズたちを偽物扱いしていたなんて、俺は取り返しのつかないことをしてしまった……。

 先輩キュアーズへの謝罪と反省の意味でも、今すぐ聖奈の家でブルーレイを拝見したい。

 ……だが、今日の目的は、それじゃない。

 今は優先させないといけないことがある。


「よし、聖奈。図書館がダメなら、別の場所にしよう。候補は他にもあるんだ」

「それはいいんですけど……丘崎さん、どうして泣いてるんですか?」

「泣いちゃいないよ……」


 キュアーズへの申し訳なさでついつい涙が出てしまった、なんて言えない。

 聖奈は、本当に悲しいことがあって泣いていると思ったのか、俺の頭を撫でてきた。

 ヤバい。聖奈の手のひらが頭頂部を往復するたびに、聖奈に甘えたくなる衝動が暴力的な勢いでやってくる。

 スケベ心ではなく、まるで母乳を求める赤子のごとく、聖奈の大きな胸元に向けて体のバランスが崩れてしまう。


「丘崎さん?」


 首をかしげて、聖奈が訊ねてくる。

 聖奈の声が聞こえても、俺は正気を取り戻せずにいた。

 マズい。

 このままでは、聖奈の胸に顔面着地してしまう。

 間違いなく重罪級の案件になることはわかっているのに、倒れ込んでいく頭をコントロールできなかった。

 まばらとはいえ、周囲には人の姿がある。目撃者はいくらでもいるわけだ。俺が裁判にかけられた時に、俺の罪を立証するに足る証人たちが……。

 そんな絶体絶命の危機を救ったのは。

 今まさに餌食になりかけていた、他ならぬ聖奈だった。


「丘崎さん、さてはおネムの時間ですね?」


 聖奈は俺の頬をツンと突いてくる。

 結果的に、胸へのダイブを避けることができた。

 眠気のせいで頭がふらついたわけではないのだが、聖奈にはそう見えるようだ。


「聖奈、気づいたことがあるんですよ」

「何だ?」


 俺は聖奈の指先だけで動きを制圧されていた。なにこれ。どんな極め方しているのか知らないけど、マジで動けないんですけど……。指一本で体全体が動かなくなるなんてことありえるの……?


「聖奈、丘崎さんと婚約しちゃったじゃないですかー」

「……してないけどな」


 戸惑いのせいか俺の声はあまりに弱すぎて、聖奈には届かない。


「そのときから、聖奈には丘崎さんがまた違う風に見えるようになったんです」


 俺へのなでなで攻撃はまだ続いていて、より優しさと慈しみを強調するかのように、ゆーっくりと俺の頭上を往復していた。


「丘崎さんはまるで、『ちれむん』みたいにかわいいですよね」


 聖奈の瞳に、大きなハートマークが映って見えた。

 ちなみに聖奈の言う『ちれむん』とは、『ポリ・キュアー』に登場し、キュアーズの二人の手助けをする使い魔というかマスコット的存在である。羊毛をまとったようなもふもふの丸っこい見た目をしていて、女児には大変な人気があるらしく、この前の映画帰りにも、等身大のちれむん人形を抱きしめて劇場から出てきた幼女をたくさん見かけた。

 ていうか俺、あんなに小さくないんだけど。あのケモノ、こどもの頭一つ分くらいの大きさしかないんだぞ?


「だから今、聖奈は丘崎さんを見てるとぎゅってしたいゲージがぐんぐん上がっちゃうんですよ!」


 聖奈は、俺の頭を抱き込み、あろうことか自らの胸元に引き寄せた。

 俺の顔は、聖奈の豊かな胸にずぶぶ……と埋まっていく。まるで底なし沼に顔を突っ込んだみたいだ。

 その先は地獄ではなく、極楽だった。

 ほんのりとした暖かさに柔らかさ。甘みを含んだ香り。ブラをしているはずだから、パッドの感触がしそうなものなのに、とんでもなく柔らかかった。着けてないんじゃない? ってくらいに。


「丘崎さんが悪いんですからね! ちょっと涙目になって、聖奈のぎゅっとしたいゲージをあげちゃうんですから!」


 俺よりもずっと、聖奈の方が本能に忠実らしい。


「ああ、ちれむん!」

「俺は人間だよ」

「自分よりちいさい子のこと、はじめて好きになれた気がします!」


 小さい子扱いされているのは引っかかるものの、この調子でいけば聖奈は同い年のクラスメイトのことだって好きになれるかもしれない。そう考えると、聖奈は前進しているのだろう。お胸にハマってさあ大変な俺とは正反対だ。

 不可抗力とはいえ、このままでいるのは色々とマズい。


「聖奈……忘れるなよ、ここは図書館だ……」


 半分昇天しかけている俺は、ぷにぷにマシュマロ地獄ヘブンでもがきながらもどうにか声を出す。

 ちれむん感覚で抱きしめていやがるが、残念なことに俺は人間だ。

 ポリスみたいに思い込みの強いヤツがいたら、聖奈が通報されてしまう。


「図書館ですよ?」


 だというのに、聖奈はことの重大さを理解しておらず、マーキングでもするかのように俺の頭を自らの胸にこすりつけやがる。


「ンモー、俺はお前のおもちゃじゃない!」


 精一杯の気力を振り絞り、聖奈を引き離しにかかる。

 押す過程で胸元に触れてしまいそうになり、慌てて肩に軌道修正する。胸なんか押そうものなら、押しても押しても手のひらが吸収されてしまいそうだ。

 どうにか聖奈を引き剥がすことに成功する。


「あぁー。夫婦のコミュニケーションがー」とかなんとか不穏なことを口にする聖奈を引っ張って、図書館をあとにした。

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