第12話 聖奈ちゃんはおもい。Part2

 俺の手によりベンチに座らせられた聖奈は、背もたれに全体重を預け、足を伸ばしっぱなしにしながら、どこか夢見がちな、ぼんやりとした顔をしていた。


「聖奈、丘崎さんの子が産まれてしまうような、とんでもないキスをしてしまったんですね……」


 キスでこどもができると思っているとは。こどもの性知識か。

 ……こどもだったわ。

 スマホ持ってるくせに人間の製造方法も知らないのかよ。

 まあいい。これでやりやすくなる。


「聖奈、わかったか? 『大人』の俺からすれば、さっきみたいな言葉はほんのジャブでしかない。それがどうだ。聖奈は動揺しまくりで、ついにはダウンだ。今はまだ結婚の時期じゃないと、わかってくれたんじゃないか?」


 聖奈の隣に腰掛け、火照りを冷ますべく手で風を送ってやりながら、俺は言った。

 聖奈はしばらく、ぼんやりとした顔のまま、俺が繰り出す風を浴びていたのだが。


「……わかりました。聖奈はまだまだレベルが足りないみたいです」


 心底残念そうな表情だった。

 ヤンデレ発言をし始めた時は怖くなったが、こうして見ると聖奈は、ちょっと純粋すぎて突っ走りやすいだけなのだろう。こどもだからな。


「そうか。よかった、わかってくれた――」

「でもぉ!」


 それまでずっと聖奈の膝の上で握られていた両手が、俺の両手を包んだ。


「聖奈、誓います。恥ずかしいのなんかすぐになれて、丘崎さんの……つ、つま……嬬恋村つまごいむらとか、よ、よめ……養命酒ようめいしゅになるって」


 もはや『妻』やら『嫁』やら夫婦に関連するワードすらまともに口にできなくなっている聖奈だった。語彙が小学生のそれじゃない。人間を製造する行為キスのことで頭がいっぱいで恥ずかしさ限界マックスになっているのだろうな。本当はもっとすごいことするんだけどな。


「でもお前、震えてんじゃねえか。それじゃウミガメの産卵だ。無理しなくていいぞ。聖奈にはまだいっぱい時間が残されてるんだからな」

「だいじょうぶです、聖奈、丘崎さんのためなら耐えられます!」


 それでも聖奈は引かない。負けず嫌いなのかもしれない。別に勝負しているわけじゃないから、あんまり強情になられても困るのだが。


「そして、う……産みます!」

「だから、無理しなくていいよ。産まなくたって、聖奈には価値があるんだから」

「いいえ! 産ませてください!」

「うん、わかった、わかったから、あんまり大声出さない方が」

「産ませてっ!」

「はいはい、いつか産ませるから、今は声をもっと小さく……」

「なんだったらここで、産まれるようなことしてくれたっていいんですよ!?」

「だから声ぇ!」


 なにせ団地に囲まれた公園なので、下手したら住民に聞かれる恐れがある。


「丘崎さん、ぜんぶ聖奈にまかせてください! ちょっと唇同士をくっつけるだけです! 天井のシミ数えてる間に終わっちゃいますから!」

「なんで変な知識だけはあるかなー」


 聖奈は俺の両手をガッチリ掴んでいて、視線は唇をロックオンしている。くそっ、聖奈の力が強すぎて身動きできない。握力何トンあるんだよ。りんご潰せちゃうぞ。

 聖奈はじわじわと顔を近づけてくる。


「ひひっ、丘崎さん、こうして見るときれいなお肌してますねっ。それにわりと目が大きくてキラキラで……聖奈のクラスの男子よりずっとキラッキラですっ」


 くそっ、褒められているっぽいワードを使われてもぜんぜん嬉しくないっていうか怖い!


「丘崎さん、大人しくてしてくれてたら、あとでお菓子あげますから」

「完全にガキ扱いじゃねえかコラぁ」


 自分よりずっと歳下の小学生にこども扱いされ、唇の貞操を奪われかねない状況に陥っていた時だった。


「――ここで、ナニをしようというのかね?」


 突如、俺たちの頭上から声が響く。

 見上げると、前回もまったく同じ場所で遭遇した、美人で凛々しいがどこかうさんくさい女性ポリスが立っていた。


「見回りを強化して正解だったようだ……!」


 ポリスの視線は、俺ではなく、隣の聖奈に向かっていた。


「また会ったな、破廉恥痴女!」


 聖奈に向かって、指を突きつけるポリス。

 指を突きつけた方とは反対側の手には、手錠が掲げられていた。


「児童に対する強制わいせつ行為の現行犯で逮捕だ!」

「ええっ!?」


 聖奈は驚いた。


「児童……?」


 俺はショックを受けた。


 そういやこの女ポリス、前回遭遇した時も俺をちっちゃい子扱いしやがったな……。


「あの、聖奈は……聖奈は、べつに丘崎さんを傷つけるようなことなんて……」


 聖奈は、前科がつくことを恐れているのか、ガクブルし始める。


「言い訳は署で聞こう」

「違うんです、聞いてくださいっ」

「聞く耳もたん。私はこっそりそこの石垣に隠れて見ていたのだ。痴女、お前そこのくりくりした可愛い少年にキスしようとしていただろう! けしからん!」

「違います! これはすっごく尊いことなんですっ!」

「ああ? 尊いだぁ?」


 いぶかしむポリスに対して、聖奈はどういうわけか誇らしげに胸を張り。


 自らの行いに何のやましさもないことを証明するかのように、堂々と言い放つ。



「聖奈は、ここで丘崎さんのこどもをつくろうとしていただけです!」



 あちゃあ、聖奈、明日の朝刊載ったぞテメー。


「なっ、こども……男子児童とこどもをつくるだとっ……! この国の成人女性のモラルはそこまで堕落していたというのかっ!」


 わなわな震えるポリスは、青い顔をしている。そしてやっぱり、聖奈を大人だと勘違いしていた。大人は俺の方なんだけどな。

 こうしちゃおれん。聖奈を前科者にするわけにもいかない。

 ポリスが混乱している間に、俺は聖奈にだけ聞こえるようにそっと耳打ちをする。


「……聖奈、逃げるぞ」

「えっ? でも、警察の人から逃げたら罪が重くなるんじゃ……」

「もっともだが……いいから、俺を信じろ。捕まりたくないだろ?」

「それはそうですけど……」

「万が一捕まりそうになったら、俺がちゃんと無実を証言してやるから」

「お、丘崎しゃん……!」

「感動して泣くのはあとにしろ。視界が曇って走りにくくなるぞ」

「はい! 聖奈、どこまでもついていきます、旦那さま!」

「今はそういうの、いいんだよっ。行くぞ!」


 つーか『旦那さま』レベルならもう恥ずかしがらずに言えるようになってるじゃねーか。順応早いな。これが若さか。


 そして俺たちは、ポリスの魔の手から逃れるべく、公園の外へ向かって走り出した。

 確証はないけれど、聖奈を付け狙うあのポリスは、どうも胡散臭い。まともに取り合ってはいけない人種に思えた。だから関わり合いにならないのが正解だ。

 聖奈の前でカッコよくキメたはずの俺だったが、なにぶん脚のリーチが段違いな上に、草原を駆ける肉食獣かって勢いで聖奈は足が速かった。聖奈の背中があっという間に遠くなる。


「丘崎さん、おそすぎですっ」


 わざわざ足を止めて振り返った聖奈が引き返してくる。


「お前が速すぎんだよっ」

「しかたがありません。聖奈と体を重ねましょう!」


 聖奈はその場にしゃがみ、さらさらの長い黒髪が流れる背中に乗れと顎で示す。


「まさかとは思うが、ひょっとして全部わかった上で言ってないよな?」

「なんのことです? はやく逃げないと!」


 背に腹は変えられず、俺は聖奈におんぶされるかたちで、逃亡することになったのだった。

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