第11話 聖奈ちゃんはおもい。Part1

 そして放課後。

 俺は、聖奈と映画を観に行って以降、初めて例の公園へやってきていた。

 相変わらず、人気のない公園だ。

 それでも、聖奈は俺より先に来ていたようで、ベンチに座って待っていた。

 うつむいて俺を待つ姿は、気のせいか寂しげに見えた。


「丘崎さん!」


 俺に気づいた聖奈は、ベンチから立ち上がった。

 聖奈本人も言っていたが、本当にランドセルの似合わない子だ。いっそカバンにしてしまえ、と思うのだが、『自分は小学生である』という意地が、それを許さないのだろう。ていうか、ランドセルの肩掛けに引っ張られて強調された胸が卑猥というか凶器だ。ヤバい。見ないようにしないと、捕まる。頼むからニットの服を着るのはやめてくれねえかな。


「来てくれたんですね!」

「そりゃあな」


 逃げることも一瞬考えたけれど、安堵の表情を見せる聖奈を前にすると、向かい合うことに決めてよかったと思う。

 まあ、これから断りの返事をしないといけないと思うと、憂鬱ではある。

 それでも俺は、『大人』として、これ以上逃げ回るわけにはいかないのだ。


「よ、よかったぁ。聖奈、あの時は『夫婦』なんて言い出して、丘崎さんをドン引きさせたんじゃないかってずっと心配で」


 聖奈の瞳には、うっすら涙が浮かんでいた。


「ドン引きはしないけど、ちょっとびっくりしたな」

「ですよね」


 聖奈は目の端に涙の粒を残しながらも、あははと笑う。

 よかった。そうだよな。聖奈だって、ちょっとはしゃぎすぎてとんでもないことを言い出した自覚があったのだ。

 この調子なら、聖奈を傷つけずに切り抜けられそうだ。


 そう思ったのに。


「でもここに来てくれたってことは、聖奈と結婚してもいいって思ってくれてるってことですよね?」


 おいちょっと待てや、なんて言いそうになった。

 どうしてそう解釈しちゃったの?

 お断りの返事をしに来た可能性だって、あるんじゃないのかな?


「聖奈、巨人だから人間とは結婚できないって、ずっと思ってたんですよ。だって異種族同士で結婚なんて、現実じゃ無理じゃないですか……?」


 なんて大げさなんだ。話がファンタジーの領域に飛躍している。

 マズいぞ。これ、すっげえ断りにくくなっている。

 この調子だと、『結婚』に同意しないと、聖奈をとんでもなく傷つける結果になりかねない。

 早く手を打たなければ。


「いやあのさ、この前のことは……」


 俺は慌てて、やんわりお断りするための布石を打とうとするのだが。


「でも! 聖奈思うんですよぉ!」


 聖奈は、聞いちゃくれない。

 引き続き持論を展開しようとする。

 こどもならではの思い込みの強さ。

 それが気迫となってバンバン伝わってくるせいで、俺はどうにも踏み込めなくなる。


「聖奈、ひょっとしたら世界でいちばん幸せな人なんじゃないかって!」


 もうこれわざとじゃねえかってくらい、聖奈は俺が否定しにくい空気をつくってくる。

 なんだよー。どういう理屈で世界一を確信できるくらいの幸福を感じちゃったっていうんだよー。


「人間じゃない大巨人の聖奈でも、結婚していいって言ってくれる人がいてくれたんです。ふつうの人なら、こんな気持ち絶対味わえません。周りのみんなは自分のことをあたりまえのように人間だと思っているわけですから、受け入れてくれないかもしれない悩みなんて、持ってません」


 結婚していい、なんて言ってないけどな……。

 ていうか聖奈だってふつうに人間だろ。

 しかも、俺から見てかなり上等な部類に入る人間だ。もっと誇れ。


「おい聖奈、ずいぶん突っ走ってくれてるけど、俺の返事はまだなんだぞ?」


 流石にこれ以上暴走させるのはマズいので、俺はなけなしの気力を振り絞る。


「いいんです。ここに来てくれたことが返事です」


 わかってますよ、って顔でにっこり笑い、一歩距離を詰めてくる。

 相変わらず、見上げないといけないくらい背が高い。総合格闘技なら四点ポジションからの攻撃の有無を確認させられるレベルだぞ。


「丘崎さんは男子ですから、気持ちを口にするのが、はずかしいんですよね?」


 なんでそういうところだけ察しがいいのかなぁ……。


「聖奈、ちゃんとわかってますから! 旦那さまのことをちゃんと察してあげないと夫婦生活はできないですもんね」


 ほんと気が早いな。


「なあ聖奈、結婚するのはいいとしてだけど」


 俺は、作戦を変えることにした。

 結婚するのはいいとして、とは言ったものの、もちろん俺は、聖奈と夫婦になるつもりはない。

 だって相手は小学生。

 あらゆる意味で手出しが許されないアンタッチャブルな存在。

 ここは一旦結婚に同意するフリをして……。


「今は俺も聖奈も学生の身分だし、面倒だけど勉強もしなきゃだしさ、そっちに集中するべき時なんじゃないのかな。まだ時期じゃないと思うんだ。ほら、仕事のこととかこどものことを考えると、学歴はあった方がいいし」


 俺は、やむを得ず、結論引き伸ばし作戦に出る。

 今の聖奈はちょっと気が合いそうな仲間を見つけてテンションがぶち上がってしまっているだけだ。

 その熱はしょせん勘違いでしかないので、いずれ冷める。

 俺の経験上、小学5年生の男子といえば、女子に対してツンツンした態度を取ってしまうお年頃。好きだからいじわるしちゃう、なんて幼稚なことをしてしまう全盛だ。

 そんな男子だって、中学生になって、女子の魅力に気づき始めるようになれば、彼女欲しいモードに突入して『恋愛猿ラブモンキー』に大変身。聖奈なら、数多の告白を受けることだろう。中学生まで行かなくても、成長の早い男子なら、聖奈に優しくしたいヤツだって出てくるはず。

 つまりは、時間が解決してくれる問題なのだ。

 この場さえ切り抜けることができれば、それでオーケー。

 男らしさには欠けるかもしれないが、大事なのは、聖奈を傷つけないようにすること。いくら俺だって、小学生の繊細な心よりも自分の目指す男らしさを優先することはない。ていうか、小学生を泣かせるのはどう考えても男らしくないし。


「そ、それはそうかもしれません……」


 聖奈は、赤い頬を手のひらで覆い隠していた。夫婦生活を想像してのぼせているのかもしれない。


「だろう?」


 よし。これで、今すぐ事を起こそうとする聖奈にストップをかけることができた。

 ここで、もうひと押ししてしまおう。


「それに俺は心が広いから、もしこの先、聖奈がクラスメイトとか歳の近いヤツの中に好きな人が出てきても、俺はとやかく言わないしな」

「は?」


 聖奈の瞳から、光が消えた。

 深淵、という言葉が似合いそうなくらい真っ黒な瞳は、まっすぐ俺を捉えている。


「どうして聖奈が浮気するって思うんですか?」


 ゆら~りとした所作で距離を詰めてくるものだから、俺はホラーな要素を感じてしまい、自然と後退してしまう。聖奈の黒髪は、まるで触手のようにうねって逆立って見えた。俺より背が高いものだから、威圧感は倍増だ。

 この時俺は、美人のマジギレはシャレにならないくらい怖いことを学んだ。


「聖奈が好きになるのは、今もこれからも丘崎さんだけですよ?」


 聖奈ちゃんったら、意外と愛が重いんだ……。

 はるか上空から(俺視点)腕を振り下ろし、俺の肩に両手を当て、ガッチリ掴む聖奈。これは逃げられない。身長ある分、力も半端ない。俺、骨折れそう。


「もしかして、聖奈じゃなくて丘崎さんが他の人を好きになったときの保険としてそんなこと言い出したんじゃないですよね? 聖奈は丘崎さんのことすごく好きなのに、どうして丘崎さんも聖奈のことすごく好きでいてくれないんですか?」

「違う違う。落ち着け」


 軽く恐怖を感じるが、ここで慌てふためいては歳上としての示しがつかないし、状況を悪化させるだけだ。ひとまず聖奈の怒りを鎮めなければ。


「いいか、聖奈。お前は大いなる誤解をしている。まずはそこを正そう。理由を聞く前に実力行使に出るなんて、妻になる者としての資格があるといえるのか? そんなんで夫婦をやっていけるとでも?」


 もちろん結婚なんてしたことないから結婚生活の実態なんぞ知らんけど。


「そ、それは……」


 効き目はあったようで、俺の肩に食い込んでいた聖奈の指の力が弱まった。


「夫と妻には信頼関係が大事。聖奈は俺を、自分を理解してくれるパートナーとして信頼してくれているからこそ、結婚話を持ち出したんだろ? だったらまっさきに俺を疑ってムッとするんじゃなくて、俺の発言には聖奈を思いやった深い意図があるのだと考えてみるべきだ」


 そこまで一気にまくし立てた時、聖奈はもう俺の肩にアイアンクローをしてはおらず、胸の前で両手を握りしめて身を震わせていた。その表情は、とても赤い。怒りの赤ではなく、実に健全で、じっと見つめていたくなるような、女の子の愛らしい羞恥の感情が浮かんでいた。


「ていうか丘崎さん、今、聖奈のこと『妻』って……」

「……ん? 聖奈が自分で自分を『妻』って言い出したんだろ? 何か問題でも?」

「そ、そうですけど、聖奈的にはですね、まだ心の準備がじゅうぶんじゃないっていうかですね」


 やはりそこは小学生。

 聖奈には、まだまだウブなところがあるらしい。

 難攻不落に思えた要塞に現れたネズミの抜け道。

 これを利用しない手はない。


「おやおや、今も未来も好きになる男は丘崎伶依だけだ、なんて嬉しいこと言ってくれたのに、妻呼ばわりされると照れちゃうなんて覚悟足りないんじゃない?」

「照れてなんていませんっ。なれない響きにびっくりしちゃっただけですっ!」

「そうか。慣れないってだけなら、一度びっくりしちゃっているわけだから、次からは『妻』とか『嫁』とか夫婦を連想するワードをぶっこまれても、一切動揺しないんだな?」

「も、もちろんですっ! 試しになにか言ってみてください! なんでもどんとこいです!」


 聖奈は、大きな胸を腕にのせるようにして腕を組み、ぷいっとそっぽを向く。その勢いでぷるっと揺れる。どこが、とは言わない。俺の視線がどこに合ったのかバレてしまうから。


「そのくらいで動揺してるようじゃ、丘崎さんと結婚なんてできませんからっ!」


 小学生だからか、すぐムキになるなぁ。

 だが、間違いない。

 これは、効いている。

 今だ。チャンスだ。

 聖奈の怒りを鎮め、俺は主導権を握り、この厄介な展開を打ち消すために。

 唱え続けるのだ。

 悪霊を撃退する、呪文のごとく!

 よーし言うからな、と俺は聖奈に断り。


「丘 崎 聖 奈 ?」

「わぁ。名字が丘崎さんになっちゃいましたぁ」


 聖奈は一発目の時点でもうダメで、火照る顔を覆い隠したまま、腰が砕けるようにへなへなとその場にしゃがみこんでしまった。


「お父さんお母さんごめんなさい。聖奈はもうよその子です」


 両親への懺悔を唱えようとも、ここで追撃の手を緩めるつもりはない。


「丘 崎 夫 人」

「わぁ。すごい発見しそうな名前になっちゃいました。呪いの館のラスボスみたいでスウィートです」

「キュリー夫人じゃないんだよな」


 聖奈が口にした後者については俺もなんのことかわからないのでツッコめなかった。小学生の間で流行っている何かなのだろうか? まあいいか。聖奈の腰はもはや完全に砕けた状態のようで、しゃがみ込むことすらできずに地べたに尻をつけてしまっている。

 とどめである。


「丘崎聖奈a.k.a.丘崎伶依の子を産んでくれた女」

「あばば、とうとう産んでしまいました……」


 聖奈は腰からストンと落ちるようにダウンしてしまった。

 自分から結婚云々言い出したくせに、耐性なさすぎるだろ。

 まあ、小学生女子に、こどもが産まれるような行為を想像させるのはちょっとやりすぎたかな。俺、反省。保健体育を学んだキャリアの差が勝敗を分けた。

 雑草のおかげで芝生状態になっているとはいえ、地べたに転がしたままなのも寝覚めが悪いので、俺はさっさと聖奈を抱き起こしてベンチに座らせる。

 ちょいと「重っ」と思ったのは秘密だ。

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