第23話 真白と鹿さん
その後、大仏の大きさに圧倒されたり、五重塔を間近で見たりと、日本史の資料集でしか見たことのなかった歴史的な建造物をひとしきり眺めたあと、なんなら一番のお目当てかもしれない鹿の時間になった。
奈良公園の玄関口の園地に戻って、とりあえず四人で鹿せんべいを購入。それぞれ適当に散って鹿と戯れることにした。
僕はひとりでベンチに座って、足元にせんべいをぶら下げてみる。するとみるみるうちに鹿の大群が集まってきて、なるほどこれでは身動きが取れないなと噂のことを実感する。
……もし僕の家の庭に近所の野良猫が全員集合したらこんな感じなのかなあ。
「ほらーせんべいだぞー」
鹿は僕が落とすせんべいに食いついてくれて、どんどん食べ尽くしていく。そんな姿を見ていると、どこか心が癒されるというか、なんというか。
人と関わるのは得意じゃないけど、動物のこういうところは見ていて飽きない。野良猫にエサをあげるのと同じ要領かも。……エサを食べた後に浮かべる幸せそうな顔色が、僕にないものを見せてくれている、そんな気がするから。
「……あ、もうなくなっちゃった」
最後の鹿せんべいを食べきると、もう僕に用はないとばかりに鹿の群れは離れていく。そういう現金なところもまた一興。
さ、そろそろ他の三人もせんべいが尽きたころだろうし、合流したほうがいいかな。
そう古びた木のベンチを立ちあがったとき。
「ひ、ひぃぃん、私の足は美味しくないですよー」
……どこをどう聞いたところで数時間前に聞いた声がした。少し幼さが残った高い声の持ち主に、心当たりがひとりだけいる。
結局、人間でも身動き取れなくなっているし。
僕は声のしたほうに歩いていき、鹿に囲まれてしまった真白の手をなんとか腕を伸ばして取る。
「持ってるせんべいちょっと分けて。それで多分鹿も散らばるから」
「あっ、ゆ、優太さん。ひゃ、ひゃい」
足を舐められてしまっていて声が変なことになっているし。
……多分僕から真白に移ったんだろうなあこの鹿たち。鹿も美少女には弱いのかな。ほんと、現金な奴らめ。
「ほーらせんべいこっちにもあるぞー」
真白からもらったせんべいを再びぶら下げると、半分くらいの鹿が僕のほうに釣られた。なかには真白の足を食べていた鹿も混じっていて、ようやく解放された真白は頼りない足取りで僕の側にやって来る。
「た、助かりました……ありがとうございます」
「結局こうやって会うんだね。狙ったわけでもないのに」
「ほんと、偶然ですね、へへ」
恥ずかしそうに、でもそれでいてちょっと嬉しそうに顔色を緩めながら真白は呟く。
「そういえば、スーツケースは?」
真白が持っているものが小さなカバンひとつしかなかったのを不思議に思ったので、僕は尋ねる。
「えっと、奈良駅のコインロッカーに預けちゃいました。移動するのに邪魔なので」
コインロッカーを使いこなせる天使兼猫。シュールだ。
「そっか。僕らはそろそろ公園出て、またバスで京都に向かうから、真白もそろそろ京都に移動しちゃってね。ホテルに着くのは午後六時くらいだから、それまでに」
「はいっ、わかりました」
「うん、じゃあまた後で」
あまり長いこと話して誰かに見られるのもいけないので、僕はさっさと真白の近くを離れて、班のみんながいる方へと歩いて行く。数秒して後ろから「へへ……鹿さん可愛いですねー」とふんわりと穏やかな口調が聞こえたあたり、今度は鹿とうまいことやっているようで安心した。
「あ、北郷君戻ってきた。結構時間かかったんだね、鹿集まらなかったの?」
三人のもとに戻るなり、米里さんにそう言われる。……言外に、あなたの近くには人も集まらなければ鹿すらもなの? って、伝えられたような気もしたけど聞かなかったことにしておこう。なんか辛くなるから。
「……まあ、そんなところかな」
「ふーん、そうなんだ。その割には楽しそうな顔しているけど。じゃ、そろそろバスに戻ろう? 時間だし」
彼女の一言で、僕は自分の顔が少しにこやかになっていたことに気づいた。両手を頬に当ててぐりぐりとしてみる。
「……結構顔に出てた?」
恐る恐るといったように聞くと、米里さんはすぐに首を縦に振って、
「うん。いつもの三倍以上優しい顔してたけど」
「…………」
「何かいいことでもあったの?」
「べ、別に」
「へー」
やや怪しいというふうに僕の顔をしばし見つめてから、まあいいやと米里さんは話を変えた。
「もうあとはホテル行くだけだもんねー。明日の自由研修楽しみだなー」
僕とふたりに呼び掛けるように、ぐるっと一回転しつつ米里さんは言う。
「明日が大阪本番だもんね」
明日の班別自主研修では大阪で有名な遊園地に行くことになっている。花より団子な高校生にとってメインは遊園地。
バスに向かう彼女の足取りは軽そうに見えた。
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