第20話 棘を抜いてもふたり
「やっぱり話さないほうがよかったかな……」
お風呂から上がって、和室で過ごす真白に声をかけたときも、どこか元気がなかったし。
……まあ、散々胸が詰まるようなこと話し続けたしな……。途中から真白、一切口を挟まなくなったし。
「……寝る、か」
晩ご飯後に長々と自分語りをしてしまったので、いつもよりお風呂から上がった時間が遅かった。もう夜もいい時間だし、特にすることもないから寝てしまおう。
そう思って僕はベッドに潜り込んで、部屋の電気を落とす。目だけつぶって、毛布に身をくるませて意識が溶けるのを待った。
暗闇だからだろうか、それともこの近所があまりにも静かだからだろうか、お風呂場のシャワーからお湯が流れる音が少しだけ聞こえる。
現在進行形で真白が身体を洗っているのだろうか、と考えると妙な気を起こしそうになったので、たまらず頭まで毛布をかぶって音を遮断しようとする。冬とは言え、まだ暖房がついているから毛布をかぶるとさすがに暑い。
……でも、父親みたいにいっときのテンションで間違いは起こしたくない。
それに、きっと真白はお風呂から上がったらきっと暖房を切るはず。そうお願いしている。暖房代だって馬鹿にならない。寝ている間ずっとつけっぱなしにしていたら、それこそ財布ごと燃やす勢いでお金がなくなってしまう。
真白がお風呂から上がるまでの我慢だ。
やがてシャワーの音が止まると、浴室のドアが開く音がする。……毛布をかぶっても音は耳に入ってしまう。
いくばくかのブランクを挟んで、ドライヤーの駆動音が大きく響き始めた。この音ばかりはどれだけ抑えようと思っても抑えられるものではないので仕方ない。
ドライヤーの音でどうにかなるほど、僕も溜まってはいない。
……ただ、なかなか意識はベッドの底に吸い込まれてはくれなかった。今日はそれなりに歩いて疲労もあったはずなのに。
寝よう寝ようと思ってもあるのはつぶった目の視界に映る黒色だけ。
とうとうドライヤーの音も消えて、脱衣所の扉が開いた。ぺちぺちと足音がして、そして──
僕の部屋のドアが開いた。
……え? 真白?
もしかしてまた髪をとかしてもらいに来たのか? だとするなら悪いことをしたかもしれない。でも、今日はもう寝ようと思ったわけで……。
と、毛布に籠ったままあれこれ考えていると、足音はどんどんどんどん大きくなって、
「──?」
背中側の毛布がめくられる感触がした。振り向きたい衝動に駆られるけど、真白の意図が分からない行動に驚いてしまって、体が動いてくれない。
少しして、僕のへそあたりにお風呂上がりで火照った真白の両手が回される。背中に、彼女の髪の感触がする。
「…………」
何かを、真白は呟いたのだろうか。震えた背中の空気でなんとなくそれを悟ったけど、聞き取ることは叶わなかった。
もう一度、繰り返された。
今度は、聞き取ることができた。だから、僕はその言葉に反応して息を呑んでしまう。
今はもう、ひとりじゃないですよ……。
その後すぐ、人の気配が消えた。
「ニャー」
猫になった真白は、僕の正面に回りこんで、寝間着の隙間から僕の胸に入り込む。
「ちょ、ちょっとくすぐったいって……」
「……ニャ?」
暗闇で見つめられると……なかなかに怖いものがあるんだって。人の目ならまだしも、猫の目って暗いとこでも見えるから……。
これは……一緒に寝るつもり、なのかな。猫になれば問題ないですよね、ってことなのかな。
「……しょうがないなあ。僕の目をじっと見なければいいよ……」
さすがにそれをされておちおち寝られる気はしない。僕は胸元でくつろいでいる真白の頭をごしごしと撫でる。
「フニャア……」
「へへ……やっぱり猫でも撫でられるのは好きなんだね」
恍惚の表情を浮かべる真白を見て、ほっこりとした気持ちになる。さっきまで生えていた棘が、全部抜かれた、そんな気分だ。
「って、なーめーるーな」
なんて基本好き勝手させていたけど、真白が僕の体をペロペロと舐め始めたので、さすがにひょいと体を抱えて止めさせる。
「大人しくしてるんだぞ? 僕はもう寝るんだから」
「ニャ」
「よしよし、いい子だ」
今度は服の上に抱きかかえるように真白を置いて、僕は瞳を閉じる。
切れた暖房と、手元にある温もりがちょうどよくマッチして、僕が眠りについたのはそれからすぐのことだった。
翌朝、目を覚ませばこそばゆい感覚が僕のことを出迎えた。手元にいたはずの真白は、どうしても服と体の隙間が心地よかったのだろう、僕のお腹に潜っては体を小さく丸め込んでスヤスヤと眠っていた。
「……しかもなんか体がベトベトする」
さては僕が寝てからこっそり舐めまわしたな。……シャワーだけ浴びちゃうか。僕はベッドから起き上がって、お風呂場に向かおうとしたのだけど、その拍子にパサリと何かが落ちる音が聞こえた。
「……ん?」
そこには、恐らく真白のものと思われるパジャマと、白色の布と布……。
あれ? そういえば今の真白って猫だよな。確か、
「もしかして、猫から人間になるときって、必ず服を着ていない状態で変化するの?」
「はい。というか、もとの状態のまま変化します」
……ということは、今ここに落ちているパジャマと布さんおふたつは……。
真白の下着ってことですね。
僕は無言のまま早足で部屋を出て、やや乱暴にドアを閉めた。
早く起きろ真白さん! 僕の部屋を危険地帯に変えないでもらいたい! 朝からなんてもの見させるんだよ!
昨日ちゃんとお風呂に入ったにもかかわらず、しっかり十五分もシャワーを浴びてしまった。頭からお湯を被っているときはひたすら滝行のごとく無心でいたけど。
脱衣所を出たときには、真っ白のブラウスを身に纏った真白がにこやかな表情で「おはようございます」と僕に話しかけた。
「……うん、おはよう」
とりあえず、僕は何も見なかったことにしよう。うん、それがいい。
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