第2章

第16話 ノート=カフェ

 真白のバイトはなかなかに上手くいっているようだ。週に四日勤務するという、高校生にとっては重たいシフトにも関わらず、楽しそうに晩ご飯のときにはその日のバイトのことを話してくれる。……そもそも真白の実年齢を僕は把握していないのだけど。

 シフト自体はお昼過ぎから夕方までという無理のない時間というのもあるのだろう。……あと、真白はお昼にお餅をこっそりたくさん食べているみたいで、買ってあげたパック切り餅がもう半分くらいになっていた。僕は気づいているからな……。いや、なくなったらまた買ってあげればいいだけの話なんだけどね。

 米里さんにも真白の名字はバレていないみたいで、この間みたいに朝登校してすぐに拘束されるなんてことは起きなかった。

 ただ、ノートを貸してくれたことや、修学旅行の班決め以降、僕に話しかけてくることが妙に増えてきた。挙句の果てには僕の隣の席に来てお昼を食べ始めるに至る。ぼっちという生きかたに誇りを抱いているわけではないけど、いささか変な気もした。

 そんな日々が続いて二週間ほど。十一月の半ば、修学旅行まであと二週間となった頃。

 僕に構うようになった米里さんが、昼休みにこう話しかけてきた。

「き、北郷君。今週の土曜日って暇?」

 らしくなくしどろもどろになっては、彼女は空いている隣の席に座る。

「……暇だけど」

 ぼっちに予定などあるはずがない。言っていて悲しくなるけど。……最近は真白も家にいるから絶対暇ってわけではない。ただ、それでも真白は猫らしくインドアな時間を好むようで、外に出るのは決まって僕の買い物についていくときかバイトくらいだ。要するに、暇ってわけ。それに次の土曜日は真白のバイトの日。確実に暇である。

「じゃ、じゃあ、この間紹介したカフェに……行かない?」

 カチコチに固まった口調で、米里さんは僕を誘った。手にしているランチパックの袋がガサガサと音を立てるほど、震えているようだ。

「……え? なんで?」

 つい反射で聞き返してしまう。

「そ、その、紹介した立場的にもさ。あの真白って子がちゃんと働いているかどうか見なきゃ的な? 気がして」

「……いや、僕はいいよ」

 少し考えて、誘いを断る言葉を並べた。途端、カチコチに固まっていた彼女はガクッと座っているのにコケる仕草をする。

「ひ、暇なんでしょ? いいじゃない、付き合ってくれても」

 グググと椅子を近寄せて米里さんは食い下がる。……ランチパックが潰れてます。右手右手。

「……カフェとか行ったことないし」

「あの子とは仲良くお買い物するのに?」

「……ただ一緒にスーパー行っただけだよ」

「普段からぼっちの北郷君が? 放課後あんな可愛い子とふたりで? 現実味がないよ」

 ……言われたい放題だけど事実だから仕方ない。悔しいが何も言い返さずにとりあえず黙っておく。

「じゃ、じゃあ、ノート貸してあげたでしょ? 全教科。それの貸しを返してもらうってことで、どう?」

「……う」

 そう来られると断りにくい。貸し1とかで収まらないくらい大きい貸しな気もする。

「それで貸しはなかったことにしてあげるからさっ、暇なんでしょ? いいでしょ?」

 頼み込まれてしまうとますます断れない。

「わ、わかったよ……」

 僕は彼女の誘いを渋々受け入れる。米里さんは安心しきったかのように近づけた椅子をもとに戻して、

「それじゃあ土曜日午後二時に迎えに行くから。よろしくね」

「は、はい……」

 約束を取りつけると満足そうに少し潰れたランチパックをもぐもぐと食べ始めた。結局のところ、僕の隣でお昼を食べるんですね……。


「……というわけで、次の土曜日に米里さんとバイト先に行くことになったから……」

 同じ日の夜。お互いお風呂から上がって、真白がいじらしげに僕にくしを手渡して来たので今日は僕の部屋で髪をとかしている。

「わわ……知っている人が来るってなるとちょっと恥ずかしいですね」

 その割には気持ちよさげな顔しているけど。やっぱり目の前の快感には勝てないか。

「そこでなんだけどさ……ひとつ打ち合わせておきたいことがあって」

 一切引っかかることのない真白の髪を上から下にくしを通していき、柔らかいバニラのようなシャンプーの香りが輪になって広がるように僕の鼻をくすぐる。

「なんでしょう?」

「……とりあえず、ただの知り合いって体で。必要以上に仲良い感じにはしないで欲しいんだ」

 でないと、米里さんにますます不審に思われる。

 そう言うと真白はくいっと振り返ってまじまじと僕の顔を眺めてくる。

「駄目なんですか?」

 やや口をアヒルみたいにすぼめて、目の前で好物を取り上げられた子供のごとく切なそうな目を浮かべる。

 その表情に負けそうになって、つい言い淀みかけたけど、

「だって、僕は真白が天使であり猫であることを知っているからいいけど、他の人にとってはもう人だからね。そんな人と、僕が同居しているなんてなったら、端から見たら異常なんだよ。これが大学生とかならまだしも、僕は高校生だし、色々言われるだろうし面倒なことになりかねないんだ」

 一般的に見たら、身寄りのない同年代の女の子を引き取っているって形だからね。あけすけな言いかたをすれば僕は神ってるわけだ。現在進行形で。……天使と神ってどういう関係なんだろう。変な感じだなそういう表現をすると。

「そ、そういうものなんですね」

 ひとまず僕の言いたいことは理解してくれたみたいだ。また前を向いてかぐわしいバニラの香りを振りまいている。

「とくに……米里さんに知られるとお隣さんってこともあるからほんと大変かも。なんで、土曜日はあくまで知人という体でお願い」

「は、はい、優太さんがそう言うなら、ほわぁ……」

 あ、今心地よいところ入ったんだな。声だけでなく背筋もふにゃあとだらしなくなっている。

「や、やっぱりお上手ですぅ……」

「お気に召していただけたならば何よりです……」

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