第6話 お隣さんの米里さん

「ありがとうございましたー」

 お店を出て、両手に持ったレジ袋を眺めて、僕はようやく安堵のため息を漏らす。もはや店員さんには女装家の方なのかなとか思われたんじゃないだろうか。それのほうがまだマシかも。単なる変態だと思われていたら悲しい。

 ……どんな柄とか色のものを買ったかなんて、僕は覚えていない。記憶にございません。

 その後靴も買ってあげて、無事ミッションは終了。

 まあ、何はともあれこれで真白も普通に人間の姿で外出できる。はやいところ家に帰ろう。この荷物を見られたら大変だから……。

「あれ? 北郷君だ」

 ギクり。聞き覚えのある声。

 ……ショッピングモールを今まさに出ようとしたとき、すれ違い様に僕の名前を呼んできた女の人がいた。

 錆びついたロボットが首を回すように声のしたほうを向く。不覚にも、少しだけ頬が熱くなっているのを自覚する。

「ぁ……あ、よ、米里さん」

「久し振りー。月曜日以来だよね。風邪引いてたんだって? よくなったんだ」

 視線の先にいるのは、朗らかな様子で手を振っている女の子。

 彼女の名前は米里灯よねさとあかり。僕と同じクラスで、さらには家もお隣。もともと米里家と僕の祖父に親交があったみたいで、その縁でたまーにこうして僕にも声をかけてくれる。

「買い物帰り? あ、服買ったんだー、しかも結構な量だね」

 世話焼き気質なところがある米里さんは、黒色のショートヘアの前髪を直しつつ、僕のもとに近づいて来る。袋のロゴで、中身が服だとわかったのだろう。

 まずい、袋の中身を見られたら誤解されちゃう。

 僕は持っている荷物を米里さんから隠すように背中に回す。

「あれー? もしかして、人には見せられないようなものでも買ったの? ひとり暮らしだもんね、色々できちゃうもんねー」

 少し含みのあるニヤつき顔を見せつつ、彼女は垂れ目の瞳をこちらに向ける。

「……あ、いや、そんなことはないんだけど、あははは」

 なんだろう、このまま米里さんに「僕が変なものを買った」と思われるのも嫌だし、かといって「女性用の服を一式それもたくさん買った」と知られるのも嫌だ。どっちも社会的ダメージが大きすぎる。あれ、もしかしなくても僕、詰んでるのでは?

「まあいいや。それより、風邪長かったね。結構ひどかったの?」

 どうやら彼女は荷物の中身に対する興味は一旦置いておいてくれるようで、話題が逸れた。ひとまずホッと安心する。

「えっと……うん、熱が下がらなくて、四日間ベッドの上でずっと寝てた」

 真白のことは触れずに、端的に説明をする。

「そうなんだー、大変だったね、でもよくなってよかったー」

 やや大げさなリアクションを米里さんは取った。大きく息を吐いて、続けて何かを話そうとしたのだけれど、

「……あれ? そのかばんのなか、何か動いてない?」

「え?」

 彼女の指に反射して、僕は肩にかけているかばんに目を向ける。すると……、

「ニャー」

 何があったのか、真白はひょいと顔をかばんから出してしまった。

「ちょ、ちょっ……」

 慌てて引っ込めようとしたけどもう時すでに遅し。

「あっ、猫だあ」

 瞳を輝かせた米里さんがさらに僕に近寄っては、真白の姿を捉えようとする。

「あれ? 北郷君の家って猫飼っていたっけ? おじいさんは飼ってなかったと思うんだけど」

 ……まずい、僕の家のことを知らないただのクラスメイトなら飼い猫ってことにしてもよかったけど、米里さんはそうじゃない。僕がひとり暮らししていることを知っている。

 高校生のひとり暮らしで猫を飼いだしたなんて、あまりにも不自然だ。

「この子、野良猫なんだけどさ、買い物行くときについて来ちゃって……」

 冬だというのにダラダラと汗をかく。なんか今日はこういうことばっかりだなあ。それに、野良猫がかばんに入っているって、なかなかにカオスだと思われても不思議じゃない。

「へえー、一緒に買い物までしちゃったんだー、可愛いねー」

 よかった、そのことに突っ込みは入らないみたいで……。米里さんはよしよしと真白の頭を撫でてあげている。真白は人に慣れているようで、気持ちよさそうな顔でなでなでを受け入れている。

「フニャア……」

「とろけちゃってる、ふにゃあって。癒されるなあ」

「ははは……」

 それはなによりです……。

「ご、ごめん、僕そろそろ行かなきゃだから」

 頃合いかなと思い、あとこれ以上話をしていると本当に服のことが知られそうだから早めに退却することに。別れの挨拶を切り出して、僕は米里さんの近くから離れようとする。

「あ、何か困ったことあったら、いつでも連絡していいんだからね、北郷君。今回みたいなときでも」

「う、うん、ありがとう、それじゃあね」

「バイバイ―」

 愛想のいい笑顔を向けてくれた米里さんから逃げるように、僕はショッピングモールを後にした。帰り道、

「……頼むから、肝が冷える真似はしないでくれよ……」

 と、かばんのなかの真白に話しかけると、

「ニャアオ……」

 ちょっとだけ申し訳なさそうにしている真白が、バスタオルの上にしゅんと座っていて少し面白かった。


「どうですか? 似合ってます?」

 家に帰ってまずしたのが、真白が買った服を着ることだった。

 真白に貸している和室に入るなり人間の姿に戻り(当然だけど戸は閉めている)、ガサゴソと衣擦れの音を一定の時間立てた後、はにかむような表情を浮かべつつ出てきた。

「……えっと、似合ってる、と、思うよ」

 そこらへんの審美眼を兼ね備えていないので、しっかりとした感想を言うことができない。当たり障りのないの言葉だけど、本心だったのでつっかえながらもリビングの椅子に座る僕はそう言った。

 彼女が着ているのは、名前よろしく真っ白なブラウスに、もこもことしていそうな可愛らしいピンクの色合いをしたカーディガン。ボトムスに水色の……これはスカート? でもズボンっぽいし……。よくわからない。

「あ、これスカーチョって言うんですよ?」

 へえ……そうなんだ。さすが天使……。

「ほんと、今まで女の子と関わること皆無だったから、こういう経験とか知識なくて」

「あれ? さっきの子とは仲良くないんですか?」

「…………」

 悪びれもなく真白は僕に聞いてくる。きょとんとした顔がなおさら。

「お隣さんですよね? 猫のときもたまに顔を見たので、てっきり友達なのかと」

「……米里さんは、ただのクラスメイトだから」

 ぷいっとそっぽを向いて僕は答える。すると、僕のその反応に興味を抱いたのか、

「でもでもっ、ただのクラスメイトにしては、だいぶ優太さんのこと気遣っていたと思うんですけどっ」

 真白は僕の椅子に近づいてきては、気になるというように鼻を膨らませている。

「それは……彼女が世話焼き気質だからだよ。……別に僕と何かあるわけじゃない」

「えー、そうなんですか? でも、米里さんに声かけられたとき、ちょっと顔赤くなってませんでした?」

 げ……なんでそういうところまでちゃんと見ているんだ。

「もしかして……彼女のこと好きなんですか?」

 輝いた瞳でそんなことを聞かないでもらいたい。目をパチクリさせても駄目。

「……違うよ。そんなことない。それに、米里さんだって、僕みたいな奴に好かれても迷惑なだけだよ」

「そんなことないですよっ」

 自嘲気味に僕が言うと、食い気味に真白は言葉を重ねる。手のひらに乗ってしまうのではないかと思うくらい小さな顔と、ビー玉が煌めくように可憐な瞳がすぐ間近に映る。

「……近いよ」

「すっ、すみませんっ。で、でも……去年の冬のことだってそうですし、私が朝や夕方にここの庭に来たら必ずエサを与えてくれましたし、私に限らず他の野良猫だってここに通ってきているのは優太さんがやさ──」

「優しくなんてないよ。僕は」

 早口でまくしたてる真白の話をぶった切る。

「……そんな、僕はできた人間じゃない」

 そこまで言って僕はリビングの席を立つ。

「ちょっと部屋でゆっくりしてるから。テレビでもなんでも好きに過ごしていていいよ」

「あっ」

 スタスタと歩いて、台所の隣にある自分の部屋に入る。まだ午後四時過ぎだけど、冬ということもあって陽はほぼ沈み切っている。薄暗い部屋に電気をつけることなく、僕はベッドに飛び込んで何もせずただゴロゴロと過ごした。

「……僕は、できた人間なんかじゃないんだから」


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