不和の果実は微笑まない

 そしてまた、数週間後。


 あの日から、アカリは学校に来ていない。そうするように私が命じたのだ。復讐は果たされ、また彼女に期待した役割は十全に機能している。


 トロフィーは還され、私はまた、何も知らないかのように振舞っている。一見すれば、篠原アカリが排斥される前と同じのように見える状況。

 けれど、一度嫉妬に狂った心は治らない。再びの闘争を迎えて、彼女たちの心は猜疑に苛まれた。誰もが、手段を選ばなくなった。


「ねぇ、こっちのが似合うって。」


 雪のように白いワンピースを掲げて、古城ミヒロはそう言う。


 彼女は、私のすべてを管理したがるようになった。衣服、化粧、アクセサリー、時に下着まで。私に首輪を嵌めるように、彼女は私に財を注ぎ込んだ。

 よほど、あのぬいぐるみが気に障ったのだろう。まるで私にマーキングを施すかのように、ミヒロは私にあらゆるものを宛がった。


 ――まるで着せ替え人形だ。心の中で毒づく。これもまた。彼女の「支配」の在り方なのだろう。自分の思う通りになるモノだけで作られた世界。

 彼女に対してだけは、はっきりと言える。これが彼女の本性であることを。私が現れるまで、彼女にとっては当然であった世界。


 けれど、私は彼女の思う通りに振舞った。彼女が望むなら、いくらでも微笑みを投げかけた。それが、決して満たされることのない飢えと知ったから。


 女王と腹心の決裂は、決定的なものになった。表向きは普段通りに振舞っていても。


 でなければ、ミヒロがこんなにも私をことはないだろう。彼女にとって敵に値するのは、もう笹部ユウナただ一人なのだから。


「ああ、可愛い。やっぱり、こっちの方がよかったよ。」


 選んだ服を試着した私の腰を、彼女はかきいだく。まるで恋人にするように、見せつけるように。


「知らなかったな。あたし、こんな趣味シュミだったって」


 金糸のようなミヒロの髪が、私の頬を撫でる。うっとりと顔を近づける彼女に、私はまた穏やかな笑みを投げかける。

 告白の言葉もないまま、私を手に入れたつもりなのだろう。もはや脊椎まで甘い毒に染まった彼女にとって、私の存在はただだけで、甘美な陶酔を齎すのだろう。

 復讐の刃が己の首元に突き立っているとも知らずに、女王は笑う。愉悦の笑み。優越の喜び。

 それは、私の計画がついに完遂の時を迎えることの、その証左に他ならない。


 ――そして、その時はすぐに訪れた。


 薄暗い部屋で、ゆっくりと意識を取り戻す。

 飛び飛びになった記憶の最後は、いつものようにミヒロのグループで昼食をとっていた風景。から缶ジュースをもらって、その後からだんだんと意識がもうろうとしだしたこと。


 まあ、何が起きたのかは、だいたい想像がついた。


 薄暗闇に目が慣れてくれば、私のほかに、一人の女がこの部屋にいることが分かった。すらりとした長身に、流れるような黒髪。


 腹心に甘んじ、トロフィーを奪われた笹部ユウナの実力行使というわけだ。

 手足は拘束され、スプリングのベッドに転がされている。のような男の気配を感じないのは、彼女の独占欲が目覚めたゆえだろうか。


 やがて私の覚醒に気付いたユウナが、私の上に覆いかぶさる。やあ、おはよう、と冗談めかして言うその瞳は、嫉妬の狂気と獣欲とで暗く澱んでいた。


「ああ、最悪だ。どれもこれも、アイツの匂いがする」


 ユウナは私の服を一枚一枚脱がしながら、苛立ちを隠そうともせずにそう吐き捨てる。私はいつものように、ただ怯えるだけの、かよわい少女を装う。彼女が悦ぶように。


「でも、その表情カオはいいね。ゾクゾクする」


 紅潮した頬に、凶暴な笑みを浮かべて、澱んだ瞳が歓喜に歪む。アカリの、本能のままに狂う獣の貌ともまた違う、破滅への期待に満ちた凶相。


「悪い女。こうなるってわかってたろ? 」


 彼女もまた、骨の髄まで甘美に侵されたケモノなのだ。もはや行く道の先を悟っても、止まることができない。

 ――そして、それを楽しんでもいる。


 最後の一枚が取り払われて、私の体を冷たい風が撫ぜていく。つわりと広がる鳥肌の、その感触を確かめるように、ユウナの舌が私の肌を遡っていく。足の付け根から始まって、臍を通り、柔らかな双丘のその頂点へ。ぞわぞわと怪しく駆け上る快感に、「私」は怯えたまま、その身を捩る。


「ねぇ、アタシのほうが、あんたをヨくしてあげられるよ」


 鎖骨から首筋へ、耳へとユウナの舌が登り、耳朶を噛んでそう囁く。


「一言でいいんだ。アタシのモノになる、って言ってくれ」


 覆いかぶさるような姿勢から、足と足を絡ませて、添い寝をするようにユウナの体が動く。空いた手を、私の脇腹をなぞる様に滑らせると、鼻にかかった甘い声が部屋に響いた。

 ユウナは瞳孔の開いた瞳で、静かに息を荒げながら、再び私の耳朶を噛む。


「たぶん、それだけでイけると思う」


 そういうと、ユウナは私のうなじへと噛みついた。それが何を意味するのか、きっと理解して。

 ああ、けれど。それではもう、彼女は満たされないのだろう。愛欲に狂い、生きたまま魔道へ堕ちたケモノ。アカリにこの身を許した時と同じく、私の体はまた、不思議な興奮に包まれていた。


 ――いいえ、いいえ、いいえ。もう、目をそらすのはやめましょう。私の心は。私の心こそが。彼女へのいとおしさで満たされていた。断ぜられるべき愚かな女。浅ましく、傲慢なケモノ。私の心は、確かにいとおしさで満たされていた。彼女を確かに愛していた。

 なぜ、逃げられると思っていたのでしょう。果実酒の狂気から、私一人だけが。

 私は確かに悦んでいた。彼女たちが私の振る舞いに、微笑みに狂っていくことを。

 復讐は果たされ、私もまた魔道へ堕ちる。彼女たちは確かに私の敵で、そして共犯者コイビトなのだ。


 口づけの代わりに、彼女の耳朶へと舌を這わす。それだけでびくりと体を震わす彼女に、私は手向けの言葉を届けるべく、口を開いて――


「そこまでだよ」


 低く張り詰めた、それでいてどこか場違いな声が響く。どこか拍子抜けたように、私の中の冷静な私が、案外早かったな、と残念そうにつぶやく。


「芸の無い真似しやがって。あんた、もうおしまいだよ」


 この狂った愛欲の部屋で、ただ一人だけが呑気に声を荒げる。手に握られたスマホには、この一幕の一部始終が残されているのだろう。


「……おしまいね。」


「ああ、おしまいだ。」


 不満げに顔を上げたユウナと見つめあって、呟く。


「あんたは、ミヒロのモノか? 」


 諤々と声を荒げるミヒロを半ば無視して、私の首元に寄り掛かったユウナが呟く。

 それは、答えを必要としない問い。けれど、けれど、復讐の終わりにふさわしい問い。


「わかっているでしょう? 」


 静かに彼女の髪へと顔をうずめて、私は、復讐を果たす。


不和の果実わたしは、誰にも微笑まない」

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