栄光は誘い
その時を告げるように、昼休みのチャイムが鳴った。
空調のきいた教室で、マフラーに触れる。周りのクラスメート達は、季節外れの防寒具を不審には思えど、突っ込んだ話をしてくることはなかった。
隠せているはずだ。どれほど変わるのかはわからないけれど。
自分の机から、標的の様子を伺い見る。彼女たちはいつものように、教室の中心に我が物顔で陣取っていた。
私は見据える。そのグループの中心にいる三人を。
標的の名は、篠原アカリ。ひときわ目立つ彼女たちのグループにあって、どこか腰の引けた態度が目立つ少女。
――彼女たちの女王に命じられて、ずる賢くあの子を追い詰めた、実行犯。
標的の名は、笹部ユウナ。流れるような長い髪と、鋭い切れ長の目で、野心深く女王を見つめる少女。
――その冷徹さと、黒く繋がった男たちとを率いて、あの子を傷つけた計画者。
そして、標的の名は古城ミヒロ。その美貌と家柄とをひけらかし、女王のようにふるまう少女。
すべてを当然のように手に入れ、そして棄ててきた女。
――下らない嫉妬心で、自らの手を下すことすらなく、私の親友を奪った首謀者。
浅ましい女たちには、罪の呵責などないのだろう。自殺未遂という大事件に振り回され、どこかざわついた雰囲気の漂う校内にあっても、彼女たちは変わらずに、無遠慮に過ごしている。人ひとりの命など、なんでもないことのように。
決意を込めて、マフラーを握りしめる。どのみち、私には退路などない。
ふわり、とマフラーを解く。少しだけ汗ばんだ首筋が人工的な風に攫われて、教室の中に香りが満ちる。
――ほんの一瞬、喧騒が静まり返った。
『女であるならば、それを求めずにはいられない。狂気へと誘う栄光、甘い、甘い果実の酒。』
変化は、想像以上だった。クラス中の視線が。否、女子全員の視線が、私に集まるのを感じる。女王のようにふるまう彼女ですら、例外なく。
視線を背負って、私は席を立つ。内に沸き立つ思いを押しとどめて、平静を装いながら、一歩ずつ。彼女たちの輪へ、近づいていく。
「ねぇ、私も一緒に食べていいかな?」
にこやかに、努めて柔らかく、そう尋ねる。事情を知る者がいれば、不審に思って当然の光景。
――けれど、甘い毒はすでにに回っているようだ。
「……え、っと、いい、よ?」
はっ、と夢から覚めたように、古城ミヒロがそう答える。普段の彼女を知るものならば、想像もしえないほどに目を泳がせて。
彼女に捨てられてきた男たちでさえ、こんな表情を見ることはなかったのだろう。
ミヒロに続いて、グループの女子たちも、だんだんと冷静さを取り戻してきたようだ。私は空いている席を一つ借りて昼食を広げた。
教室内が少しずついつもの喧騒を取り戻していく中、彼女たちのグループは、普段の傍若無人さが嘘のように、静かな時間を送っていた。
静かな、というのは、少し正確ではないだろうか。私という異分子への違和感と、妙にぎらついた緊張感が、無言の空気をどこかピリピリと震わせている。
「あの、なんか、用事とかあった?」
沈黙に耐えかねて、篠原アカリがおずおずとそう尋ねてくる。腰の引けている彼女なりに、グループの中の和を取り持とうとしたのだろう。
ううん、と私は首を振ってこたえる。
「ただ、皆楽しそうだったから」
私はただ、穏やかさを装ってそう微笑んだ。私には、ただそうするだけでいいという確信があった。
アカリの発言を契機に、少しずつグループの少女たちは会話を始める。
だけど。その間に流れる空気は、肌にささる緊張感を孕んだままだった。どこか、お互いの腹を探るような、牽制しあうような怪しい雰囲気。
私はと言えば、彼女たちの話に積極的には参加せず、聞き手に回ることに集中していた。
なるべく大袈裟に、彼女たちの虚栄心を刺激するように。何も知らない女のふりをして。
たとえば、駅前にできたというスイパラの話。
「すごーい。行ってみたいなー」
たとえば、彼女たちの元同級生だという、読者モデルのスキャンダル。
「え~、知らなかった~」
そんなとりとめもない話に、一つ一つ相槌を打ち、愛想を振りまく。きっと、本来の彼女たちにとっては癇に触るものでしかない振る舞い。
けれど、彼女たちの話の中心は。いつの間にか私に移っていった。彼女たちの目的が、私にすり替わっていったのだ。
私は一人、内心でほくそ笑む。ああ、簡単すぎる。
わたしの確信は深まっていった。さえない男が夢想する姫君のように。あるいは、コミックの中の夜蝶たちのように。彼女たちの言葉に頷き、驚き、ほほ笑むだけで。
――誘蛾灯の輝きが、彼女たちを灼くだろうという確信が。
「あ、あのさ、さっき言ってたスイパラだけどさ。」
つい先ほどまで饒舌にふるまっていた古城ミヒロが、どもりながら口を開く。饒舌に、と言っても、私に構ってもらうためのつたないアピールに過ぎないのだけれど。
「今日、暇だったら……。み、みんなで!みんなで行ってみない?」
――内心で、私は舌を打つ。お前に許されるとでも思っているのか。そんな、恋に恋する乙女のような振る舞いが、と。
けれど、決して
「ああ、ごめんなさい。」
本当に残念そうに、心から哀しそうに、彼女に伝える。今日は用事があるの、と。決して嘘ではない。今日もまた、私はあの子の病室へと足を運ぶ。
ミヒロの顔に浮かんだのは、戸惑いの表情だった。彼女自身、自分自身のうちに沸き起こった感情が何なのか、はっきりと判別することが難しかったのだろう。
気まぐれに欲し、家柄と美貌で無理やりにでも手に入れてきた女。そんな女が今。心から欲したものを手に入れられない焦燥感。
――混乱する
「でも、とっても嬉しい。きっと、また誘ってね。」
彼女の眼を、少し上目遣いに見つめながら。にっこりとほほ笑んでそう伝える。もごもごと曖昧に言葉を発しながら、抑えきれずに頬が紅潮する彼女を見て、私は再び内心でほくそ笑む。
――そう。彼女の様子だけではない。手を取った瞬間に、周りの女子たちが発した、どこかどす黒い雰囲気に。
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