十二話 急展開


 ボクらは移動してコンピュータルームのあるビルにたどり着いた。

 外見上は大きなビルだ。あまりに大きいので、てっぺんを見るには眼の視点を変える必要があった。ビルは窓ガラスが多く貼られており、中に様々な物が見えた。しかし、ボクはそれらの物が、どのような物なのか認識しにくかった。それはビルとの距離がまだ多少あるからだろうか。

 そして、そのビル前にいたのは、


「ようこそ」

「ようこそだぜ!」


 左腕の無い有原右助、右腕の無い有原左助、そして喋れない狐面を被った執事――セバスチャン。

 

 お前ら『城』にいるんじゃないのかよ……。


「どうしてここにいるんだ?」涼は言う。「そもそも、だ。お前らは俺たちを監視していたのを今回で――この行動で明らかにした。これは『試験』というものに裏が――裏技でもあるから監視せざるを得ないと、そう思わせるようにしか見えないが、どうなんだ?」


「さあ、どうでしょう」

「さあな、だぜ」


 監視……まあ、それは確かに考えていたけど。ボクたちの先回りをすれば、自明の理――彼らは間違いなくボクらをなんらかの手段で監視している。


「わたくしたちを監視しているのは、少なからず可能性にありましたわ。そして、そこには幾らかの理由がある、そうですわよね?

 例えば、右助様方はわたくしたちが『試験』に『合格』しているか監視している。もしくは、わたくしたちが有原小島における法律ルールを無視しているか把握するための監視。あるいは『ハイスクールの天才』の言った通り裏技のようなものがあるからそれを阻止するための監視、ということになりますわね。当然その三つすべてということも考えられますが、それは今――どうでもいいんでしょうね。

 貴方様方が、こうしてわたくしたちの眼の前に現れたというのは幾つかの考えが浮かびます。わたくしの考えですと、この場所に来ることは『試験』を回答するためにとても重要な場所だということが考えられますわ。合ってますか?」


 数瞬、右助は有無も言わず何か悩んでいたが、すぐににこやかな顔を作る。


「…………素晴らしいです。その通りです、『天才プログラマー』。

 僕たちはこのメインコンピュータルームのビルに既に解答を――模範解答を用意していました。しかし当然、それを見るのはこちらの思惑ではないのです。だからこそ、先回りしてデータを消去しましたけどね。これでは『天才プログラマー』と言えど、見つけるのは不可能でしょう。無くなってしまったものは、見つけ出すことが――できない」


「ここに来る前から、右助様方はそのような行動を取ると思っていましたわ。では、『どうしてみすみすこちらに来たのですか?』と、そのように問われるかもしれませんが、データは跡形もなく消すことは難しいのですのよ?

 だから、わたくしたちはここまで来た。ここまで来た意味がないということは、あり得ませんわ。データが消されようとも、復元なんて簡単なのですから」


 美華はそこまで考えていたのか。凄いな……、ボクはそこまで頭が回らなかった。


「それは……初めて聞いたな。

 …………、うん、そうだね。そこまで考えていたのなら、『天才プログラマー』――このあとの展開を想像してみるといい」


「このあとの展開……ですの?」


「ああ、そうだ。『天才プログラマー』の君なら、分かるかもしれない」


「何をするのぜ? 俺様そのことは聴いていないぜ?」


「緊急だそうだ」


 緊急だそうだ?

 違和感、ボクに違和感が働く。『緊急だそうだ』――その言い方はまるで誰かと連絡を取っているのかのような――

 しかし、その違和感は轟音によって吹っ飛ぶ。


 唖然とした。


 目の前の建物が、コンピュータルームのある、眼前のビルが瓦解していく。爆発音を鳴らしながら、崩れ始める。


「逃げろ!!」


 涼の声が、轟音の中、微かに聞こえた。当然、逃げるのが当たり前だ。

 様々な破片や物が、ボクたちを襲ってきている。言われるまでもなく、逃げるしかない。逃げなきゃ破片に刺されて、物にも当たる。瓦礫も降りかかる。当たりどころが悪ければ死ぬ。

 逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ。

 ……でも。

 でも。

 それでも――そんな状況でもボクは歩美を絶対に助けないといけない。逃げるのはそのあとだ。


 歩美は、この状況でなお、逃げないとボクは知っていた。瓦解しているビルの方を向く。

 やはり、彼女は逃げていない。爆発しているそのビルを見ている。

 

 でも、それはボクが思っていた歩美の表情とは合致しなかった。


 彼女は笑顔を見せながら、笑いながら、その光景を見ていた。集中しているときの表情とはまるで違う。あの真剣なときの表情とは、また別のもの。

 その彼女の表情は――人が目の前で死んだときに見せる目と、変わらない眼だ。瞳が笑って狂っていた。狂気と狂喜が混じっている瞳。恐ろしく、悍ましい。ビルが壊れていく様を、人間が壊れていく様と錯覚されたのだろうか? いや! 今、そんなことはどうでもいい!

 ボクは急いで歩美のもとに駆け寄り、歩美を両手で抱いて、ビルから距離を取る。


「ぐッ……」


 左肩にガラス破片が刺さった。

 左肩に力が入りにくくなる。歩美を落としそうだ。いっそ、落とせればどれだけラクかと思ったが、その考えは捨てろ、と、ボクは思いなおす。

 火事場の馬鹿力というのはこのときに出るのだろうか?

 異常に体が軽く感じた。

 いつもより速く、迅く走れる。

 体重が消え、速さだけが残った感覚。

 それは自身を風だと錯覚したように、軽い感覚と速さ。

 そしてボクは――ボクたち四人は逃げきった。目の前に涼も、美華もいる。歩美も当然抱いたまま、無事だ。まあ、もう安全だと思ったので、ボクはゆっくりと歩美を解放したけど。


 しかしそれだけ。この四人だけ。ボクの視野に入っていたのはこの四人のみ。

 他の三人――有原右助、有原左助、セバスチャン、彼らはいなかった。


 まさか…………あり得ないだろう。彼らが死ぬなんて。

 ボクは崩壊したビルと、その崩壊したビルの下敷きになった彼らを見――、


「いやあ、俺様たちマジで死ぬところだったんじゃねえの、右助兄?」


「大丈夫だよ。十全と問題ない」


「…………」


 生きていた。ビルの下敷きになっていなかった。

 彼らはある物に守られていた。

 それを的確に説明するのは難しい。イメージとしては巨大なスライム――そのようなものが、ビルの破片や物体を受けきっていた。そして、彼らはその下にいた。だから、まったくもってケガをしていない。

 こんな物体は見たことがない。自律的に、いや、プログラム通りに動いたのだろうか? 有原財団お得意の機械やらプログラムによるボクたちがまだ見たことのない人工物なのだろうか?


 彼ら三人は、歩き出してボクたちの方へ来た。いや、ボクの目の前で止まった。


「ケガをさせるつもりはなかった。すまない」


「……別に、大丈夫ですよ」


 本当は、大丈夫ではない。左肩の痛さが今、ピークに向かい痛みが暴れ狂っている。でも、それは何度も体験したこと。不幸なボクが何度も散々否が応にもケガをしてきた中では最高の痛さではない。だから、強がれる。こうやって、強がって見せている。しかし、右助はボクのケガを心配したのか、


「ケガを治してあげよう」


 右助がそう言うと、ガラス破片を抜かれ、セバスチャンのバックから、ガラス瓶を取り出した。

 そのガラス瓶には、液体のようなものが入っていて、それをボクに塗った。恐らく塗り薬だろう。

 痛みはすぐに引いた。

 …………、いや、いやいや、おかしくないか、痛みがすぐ引くなんて? そんな異常なことがあり得るのか?

 いや、そもそも、


「右助さん。止血とかは……」


「これは止血しなくても、この程度のケガなら、薬の効果でものの十秒で治るよ」


 …………。ボクは、異世界にでも迷い込んだのか?

 現代の日本でそんな薬があるなんて、聞いたことがない。あまりにも、異常だ。


 そして、ボクは遅れて気づく。

 未だ、歩美は狂い笑っていた。声を出して笑ってなど、いない。しかし、瞳が笑って、瞳が狂って、表情が笑って、表情が狂っているようにしか見えないから、狂い笑っているという表現しかできない。歩美が見ている方向は倒壊したビルだった。

 ボクは、眼を凝らして見る。

 人が十人以上、ビルの瓦礫に埋もれて死んでいた。

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