有村小春と旧校舎の幽霊

鶴丸ひろ

幽霊のうわさ

 旧校舎には幽霊が出るらしい。


 そんな噂を米園よねぞの英梨華えりかが聞いたのは、夏休み直前、7月の昼休みのことだった。


「誰もいないはずの旧校舎の二階に、赤い人魂がゆらゆらと漂っているのを見たそうなんです」


 次期生徒会長の有村ありむら小春こはるが、手元の資料を読み上げるようにして事情を説明した。


 ことの発端は先月の初め、帰宅しようとした一年生の女生徒が旧校舎から女性の悲鳴を聞いたのだという。旧校舎は周知の通り、老朽化のため来年の春休みに取り壊しが決定して、一般生徒は立ち入り禁止になっている。女生徒は不思議に思ったが、旧校舎は学生から『学校の怪談』と呼ばれるほど不気味な佇まいをしていて、辺りも暗く、一人で訪れる勇気が出なかった。


「だから、その日はそのまま帰ったみたいです。でも、」


 家に帰っても、ずっとそのことが頭から離れなかった女生徒は、翌日、日が高いうちに旧校舎を訪れたらしい。


 木造の正門の取っ手は鎖で巻かれ、どでかい南京錠がかけられている。女生徒は旧校舎の中に入ることはあきらめ、窓から中を覗き込んだり、周囲を観察してみたりした。

 しかし、あたりは相変わらず閑散としているだけで、誰かがいるようにも思えなかった。しばらく周囲をうろついたものの、何も起きなかったので、きっと気のせいだったのだろうと女生徒は思い、帰ろうと旧校舎に背中を向けた。


「そうしたら、背後から、誰かに呼ばれたみたいです」

「呼ばれた?」

「はい」


 女生徒が振り返ると、先ほどまで南京錠がかけられていた入り口が開いている。

 その後のことは、まるで夢でも見ているかのようだったという。

 自分の意思とは関係なく、女生徒はまるで自分の足ではないようなフワフワとした感覚で、旧校舎の中に入った。


 つんとした異臭が鼻をついた。何かが腐敗したような臭いだった。

 

 自分を呼ぶ声を頼りに、女生徒は旧校舎の階段を上がり、廊下を歩いた。目的地なんてわからない。けれど、自分を呼ぶ声は一番奥の教室からだと、なぜか確信していた。一歩進む毎に、床の軋む音が廊下に響いた。


 教室の前まできて、女生徒はゆっくりと、扉を開いた。ぎいい、と朽ちた木造の引き戸が、まるで悲鳴のようだった。


 そして女生徒は見た。

 目を血走らせ、髪を振り乱した少女の亡霊を。


「そして彼女は旧校舎から逃げ、それ以降勉強にも集中できず悩んでいるそうです」


 以上です、と有村は言い、そのまま英梨華の前の席にすとんと座った。


「いや、それで?」


 生徒会室。『生徒会長』のプレートが置かれた席に米園英梨華は座り、机に両肘をつき、手を組んだまま、うんざりしたような口調で、


「我々にどうしろと?」


 有村が座っている席には『次期生徒会長』のプレートが置かれている。持っていた資料を机におき、有村がうなずいた。


「とりあえず、旧校舎に出向く必要があるかと思います」

「幽霊がいるかどうかを確認するために?」

「はい。生徒からの苦情が出ている以上、生徒会としては放っておく訳にはいかないと思います」


 英梨華は頭を抱えた。昼休みにわざわざ生徒会室に呼び出されたから何事かと思ったら、まさか幽霊退治をしろだなんて。有村が血相変えていたから、お弁当も後回しにしてきたというのに。


「――放っておけばいいでしょう。幽霊がいるからなんとかしろ? 何を言っているのですかその生徒は」


 有村は心外だと言わんばかりに、


「そ、そんな。それはできませんよ生徒会長。困った生徒を見捨てるってことですか?」

「見捨てるもなにも、その方が勝手に旧校舎に入り込んで、勝手に怖がっているだけではありませんか。幽霊がいるかどうかを確認しろだなんて、生徒会を便利屋か何かと勘違いしているのではありませんか。私たちも忙しいのです。あなたもよく知っているでしょう」

「でも、会長!」


 有村がクリップボードに挟んだ『生徒会にひとこと』のメモを掲げた。


「こうして生徒会に悩み相談が来ている以上、我々生徒会がその声に応えるのは当然のことです。この学校の生徒から助けを求められたら、必ず手を差し伸ばせと会長は私におっしゃったではありませんか」

「言いましたけどね、有村さん。それは勉強や部活、友人関係、そういう学校生活の中で悩んでいる人に対してなるべく傍らで寄り添えるような生徒会であれと言っているのであって、今回の件は全くの別ですわ。馬鹿にしています。高校生にもなって、幽霊だなんて。よく考えて下さい、有村さん。幽霊やオカルトといったものが本当に存在するとでも思ってらっしゃるのですか?」

「いるかもしれませんし、いないかもしれません。そんなことはどうでも良いのです。この相談者が、冗談でこれを送ったのかどうか、この書面だけでは分かりません。本気で悩んでいる可能性だってあるわけです。内容にかかわらず、私たちがこのメッセージに対して何らかの行動を取るということが大事なんです。いないと思うのであれば、何かしら行動して、いなかったと証明をするべきだと思います」


 毅然とした態度で言う有村を見て、こいつもなかなか口が立つようになったと英梨華は思った。ちょっと前までは自信がなさそうなところもあったのに。


 英梨華はため息をついた。


「行くにしても、いつ行くおつもりですか?」

「今日の放課後です。会長、そろそろ新生徒会の引き継ぎ期間も終了です。最後に一緒に行きましょう」

「本気でおっしゃっているのですか?」

「私は本気です」


 有村が毅然とした態度で答えた。


「……そうですか」


 まあいいか、と英梨華は思った。


 受験勉強の息抜きがてら、旧校舎を散歩するというのも悪くないかもしれない。ここのところ勉強と生徒会雑務の繰り返しだった。訪れたことの無い場所に行って、いろいろ見て回るのも、いい気分転換になるかもしれない。すこし見て回って、異常は何も無かったと言えばその苦情を出した生徒も納得するだろう。


「では、今日の五時間目の授業が終わったら、生徒会室に集合と言うことで。旧校舎のカギは私が借りておきます。よろしいですね、会長」

「ええ。分かりました」

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