第24話 魔王軍2




 同時刻、魔王軍。




「厄介だ。本当に厄介な存在め……」


 天届く程の巨大な魔王城。蝋燭の明かりのみが照らす一室で、魔少将マカルギは顔を歪めていた。

 理由は言わずもがな、聖女と盟友である。


「代々、魔王軍は聖女の存在に悩まされていた。聖女がいれば盟友が増え、人間はその力を増していく。奴らは今どこにいる?」

「は、現在は目立った動きはなく、未だハートレイス城にいるかと思われます」


 マカルギの側には、彼の側近であるフォーテが立っていた。

 彼女は変わらず無表情のまま部屋の隅に直立し、マカルギの問いに淡々と答えている。


「準備ができ次第、ハートレイス城を攻め込みますか?」

「……いや、無意味だろう。兵を集めるにしてもまだ日が必要だ。準備が出来た時にはもう出発しているだろう。聖女がいない城を攻めて、無駄に兵を減らすのは得策ではない」

「拠点を探り、攻め込むのはいかがでしょう?」

「それも難しくなる。人間共のみならともかく、こちらの動きを読みやすい魔物が盟友に堕ちている。しかもアーリマンだ。下手に攻めてどんな影響が及ぶか分からん」


 部屋の中心に置かれた地図を見て、マカルギは思考に耽る。

 視線の先には、ハートレイス城とはかなり離れた雪原があった。


「そもそも、なぜアーリマンはあの地にいたのだ。本来ならば、あれは接触が不可能な遥か遠方にいたはずだというのに」

「アーリマンが、ですか?」

「そうだ。わざわざ魔王に進言し、別件で部隊ごとハートレイス城から離したはずだったのだ。それなのに、あの場にヤツはいた。そのせいで私の計画が……」


 忌々しそうに呟くマカルギを見て、フォーテは頭をかしげる。


 魔物、アーリマン。

 弱小の魔物だというのに、何故か一体しか存在しない種族。

 考えれば考えるほど、謎の多い存在である。


 特出すべき点と言えば、何故か存在する特別な転移魔法のみ。

 発動が早く、準備も比較的容易なため注目されることもあったが、何故か知らぬ間に誰も話をしなくなる。

 それが彼女の知るアーリマンであった。

 それ以上でもなければ、それ以下でもない。


 そんなアーリマンを、なぜ魔少将であるマカルギがあれほど気にするのか。

 フォーテには気になって仕方なかった。


「マカルギ様、なぜアーリマンをそれほど危険視されるのですか?」

「……何が言いたい」

「は、失礼を承知の上で申し上げます。マカルギ様のアーリマンに対する注意はいささか過敏に過ぎるかと愚推致します」

「……」

「マカルギ様の知略に疑う余地がない事は自明の理ではありますが、それでも疑問が残るのです。何故、あの取るに足らないアーリマンをそこまで中止されるのでしょうか、と」


 数秒の沈黙。

 ヒリヒリと痛みすら感じるような重苦しい空気の中、しかし互いに表情は変わっていない。

 睨みあいではなく、ただ互いにお互いの目を見つめ合う。


「……よかろう。貴様にも伝えておかねばならんか」


 沈黙を斬ったのはマカルギであった。


 彼は目を閉じると、近くにあった椅子に座って小さくため息をついた。

 そして体を蠢かせると、中から何か書物を取り出して開く。

 本には「戦線記録」と記されている。

 どうやら、歴代の戦争の記録を記した書物のようだ。


「アーリマンの秘密。ソレはごく僅かの魔物しか知っていない。年代によっては、魔王ですら知らない事だ。他に漏らせば、死以上の苦しみを与える事になる。それを承知したうえで、聞くがいい」


 マカルギの忠告に恭しく頷くフォーテ。

 その様子を確認したマカルギは数秒沈黙し、意を決したように後に口を開いた。


「遥か過去、二代目魔王が人間と相対していた時代にまでさかのぼる。当時、アーリマンはまだ一個一種族ではなく複数存在していた」

「複数、でございますか?」

「うむ、貴様らは全く聞かなかった事だろう。アーリマンは元々、魔法に特化した種族であった。多くの魔法を開発し、そのほとんどを実践に使えるほどまでに昇華させるほどにな。そして犠牲すらも糧にする、正しく冷徹な存在であった」


 マカルギの口から出る事実を無表情なまま聞き続けるフォーテ。

 しかし、彼女はほんの少し動揺していた。


 フォーテも魔術に特化している。

 故に魔術に関する知識は持ち合わせていた上に、その起源まで調べつくしていた。

 だがその中で、アーリマンの名は一切聞いたことが無かったのである。


 そしてフォーテには二代目魔王、という単語も引っかかっていた。

 二代目の時代。それは魔物側はおろか、人間側の記録すら残っていない完全なブラックボックスである。

 一説によれば、「魔物と人間が手を取り合った唯一の時代」とも言われている時代。

 現在はちょうど百代目の魔王が治めているが、未だ二代目魔王の時代に何が起こったのか明らかになっていない。

 そう、まるで意図して隠されているかのように。


 そんな詳細不明の時に何があったのか。

 フォーテには気になって仕方が無かった。


「その勢いたるや天を翔る竜が如く。誰もがその者を讃え、敬った。魔物の中には、アーリマンこそ次期魔王に相応しいと呼ぶ者さえいたのだ」

「……そこまで、高く評価されていたのですね」

「あぁ、かの種族さえいれば魔法の面ならば人間に劣ることはないと、本気で思われていた。だが、あってはならないことが起きたのだ」


 話しながら、マカルギの口調は次第に荒くなっている。

 その様子は心底残念に思うとともに、薄らと憎しみを帯びているようにも感じられた。


 あってはならないこと。

 それが何であるのか、薄々フォーテには見当がついていた。


「盟友に呼ばれてしまった。でしょうか?」

「……うむ。厚かましくも当時の聖女は召喚したのだ。同じタイミングで死亡した、とあるアーリマンを」

「……」

「召喚されただけならば良かった。だがそのアーリマンは、聖女に感化されてしまったのだ。人間の優しさを植え付けられ、その冷たい感情に熱を受けてしまった」


 マカルギの声が震えている。

 額を手で支え、深い深いため息をついていた。

 フォーテはここまで内を露呈させるマカルギを見たことがない。

 彼女の知る冷徹な魔少将であるマカルギではなく、ただの魔物であるマカルギがアーリマンの説明と共に弱音に近い何かを吐いていた。


「二代目魔王はこの事実を深く受け止めた。魔王軍の魔法技術が人間側に漏えいすれば、今まで均衡だった勢力図が一気に覆される可能性さえ考えられたのだからな。そこで、二代目魔王は早期に手を打つべく策を考えたのだ」

「……なるほど、それで聖女たちは仕留める事が?」

「うむ、盟友のほとんどは死亡。復活も出来ぬままに消滅した。そして聖女も、その身に巨大な刃を受けて屍に果てた。全ては順調、そのままアーリマンを奪還して終了……のはずであった」


 淡々と語り続けるマカルギ。

 しかし彼の口調に若干の変化が生じていた。

 フォーテはソレに気付いたのか、思わず一歩後ろへ下がってしまっている。


 彼の口調に生じた変化。

 敵味方問わず殺しまわる狂神を目にした時のような、底冷えする程の恐怖を印象付ける怒気であった。

 先程まで薄らと感じていただけの憎しみが、一気に表に現れたのである。


「アーリマンは既に人間に、いや聖女に懐柔されていたのだ。故に聖女たちの亡骸を見てヤツは発狂。そして発動させたのだ。忌まわしくも輝かしい、アーリマンの結晶たるあの魔法を」

「まさか、その魔法というのは!?」

「……マールム・インクティオ。無力な魔物でも戦力に出来る、まさしく我ら魔王軍に相応しい魔法だ」


 マールム・インクティオ。

 今ではその出所は一切分からず、遥か昔から禁術の一つとされている魔法。

 実力を重んじ、弱い存在は塵芥に等しい扱いを受けて当然の魔王界にて何故この魔法が禁術とされていたのか。

 その謎が、フォーテの中で明らかになりつつあった。


「聖女や盟友を取り込んだアーリマンは強大であった。その力はもはや魔物の手に負えず、同じく被害が出ていた人間共と共同戦線を張るほどに」

「人間との協力。ただの一説では無かったのですね」

「あぁ、忌々しことにな。だがそれから数年、些細な争いから大きな戦乱が生じ、再び魔物と人間は道を違えることとなった。今はその延長線という事だ」

「なるほど……しかし、なぜマールム・インクティオは禁術になったのですか? アーリマンが忌避される理由も未だ分かりかねます」


 フォーテは丁寧に、しかしハッキリと話の続きを催促する。

 未知の魔法に関する知識に興奮しているのか、無表情であっても若干の早口になってしまっていた。


「……アーリマンが討伐された後、かの種族には妙な力が宿ったのだ」

「力、でございますか?」

「うむ。ソレは言うなれば、聖女の残滓。聖女の想い、聖女の倫理、そして聖女の言語。ありとあらゆる聖女を形作っていたソレが、歪んだ形でアーリマンという種族に憑りついたのだ。そしてソレは忌々しくも、他の魔物にも伝播していった」

「……」

「魔物たちに、聖女の想いが広がる。それは致命的であった。人間の心を宿した魔物たちが反乱を起こし、当代の魔王軍を壊滅させてしまうほどに。マールム・インクティオもだ。あの魔法にも聖女の残滓が宿っている。発動すると生じた肉塊は術者の操作から外れ、自らが心から望んだ何かを果たそうとするのだ」


 マールム・インクティオにも宿る聖女の残滓。

 現代のアーリマンの部下たちにもソレは例外なく作用し、彼らは信頼するアーリマンのもとに戻る事のみを存在理由とする肉塊になっていた。

 そしてその事実を知っているからこそ、フォーテは納得せざるを得ない。


「以上がアーリマンに関する秘密。魔王軍上層部が隠す忌まわしき歴史だ。貴様が気にしていた転移魔法も、聖女の残滓による影響なのだ」

「……ならば、なぜアーリマンを滅ぼそうとしないのですか? いくら聖女の残滓が宿っていたとしても、滅ぼしてしまえば……」

「そんなこと、とうの昔に実行しておる。言ったであろう、アーリマンには聖女の全てが歪んで混ざったと。その中には聖女が盟友を復活させる絶技も入っていたのだ。アーリマン自身が使うことは出来ないようだが、どれだけ滅ぼそうとも新たなアーリマンが復活する。故に魔王軍は、ヤツが聖女たちと関わることのないよう手を打っていたのだ」

「なるほど、それでアーリマンを雪原にまで送っていたのですね」


 フォーテの中で全てが繋がった。

 アーリマンの種族、聖女の残滓。

 彼女の中で欠けていたピースが組み込まれ、マカルギがここまでアーリマンを危惧する理由がようやく理解できたのだ。


「だが、もう遅い。アーリマンは今一度盟友となり、聖女の下へ行った。下手に刺激すれば何が起きるか分からぬだろう。今は静観し、機を待つしかあるまい」

「……承知致しました」

「うむ……少し疲れた。食事を用意しろ」


 そう言い終えると、マカルギは口を閉じた。

 もう伝えることは何もないのだろう。


 その様子を見て、フォーテは一礼すると部屋の外へ出ていった。

 マカルギのみとなった部屋。

 相変わらずジメジメとした陰鬱な部屋で、マカルギは呟く。


「……アーリマン、貴方の怨念は今代で終わらせよう」


 そのつぶやきを聞く者は何もなく、ただ部屋を照らす蝋燭が揺れるのみであった。


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