血の晩餐

西大寺龍

第1話 血の晩餐

 気が付くと、橋本の腹部をナイフで深く刺していた。うめき声をあげながら地面をのたうち回っていた。地面にはドクドクと血が流れ出していた。

 僕は妙な興奮に包まれていた。村正と呼んでいるナイフにはベッタリと血糊が付いていた。僕は橋本の頸動脈を村正で切ってとどめを刺した。

 ぐったりとして動かなくなった橋本の身体を右足でゴロリと転がすと、僕は返り血を浴びた白いTシャツを脱いで、村正に付いた血をそれできれいに拭き取ると、丸めて紙袋の中に入れた。そして近くに停めてあった車の中に入ると、村正をダッシュボードの中に投げ込み助手席に紙袋を置いた。

 トランクの中から折り畳み式のスコップを取り出すと、近くにあった窪みを掘って細く深い穴を作ると、その中に橋本を埋めたのだった。恐らくこんなところに人が埋められているなんて誰も思わないだろう。

 それから僕はエンジンをかけてアクセルを踏み込んで車を走らせた。タイヤに弾かれた砂利が飛び散る音がしていた。僕はベルディのオペラの『アイーダ』をカーステで選んでかけ始めた。そしてボリュームを大きくすると、いつも人を殺したときに味わうことができる何とも言えない快感に酔いしれた。

 オペラは、人を殺したときのような劇的なシーンにピッタリとくる音楽である。特に『アイーダ』は、ベルディの数あるオペラの中でも特に壮大で気持ちを高揚させてくれるという点で、今の僕の心に一番マッチした。

 

 砂利道を抜けて舗装道路に入ると、アクセルを思い切り踏み込んだ。音楽が感情の高まりを告げるとともに、山道の鋭いカーブが次々と僕を襲ってきた。僕はその全てをギリギリまで踏みとどまって、次々にカーブを切り裂いていった。真夜中なので対向車は一台もなかった。

 山奥の道路の暗闇が醸し出す雰囲気は、僕に言い表すことのできない程の心地よい恐怖心を与えてくれた。僕は車内に流れる音楽と、ハンドル操作を間違えたら深い谷底に落ちてしまうという、生と死の狭間を楽しんでいた。すぐ目の前に死が存在するという快感は、僕を恍惚感にも似た極限の快楽へと導いてくれた。いつものようにしばらくの間ドライブをしながらその快感に僕は身を委ねた。

 それはセックスなどでも得ることのできない、他にかえることのできない程の快感だった。精神的なものだけではなく、肉体的にも久し振りに射精した時よりもずっと強烈に全身に鳥肌が立つ程の胸の鼓動と血が逆流するような全身が沸き立つような感覚であった。自分好みの女を抱く時よりもずっと固く大きくなり、少し痛みさえ感じる程に脈打っている自分のペニスを感じるのであった。

 こんな快感は、他のどんな行為によっても得ることは不可能であった。人間が苦しみながら死んでいくのを見ること、特に真っ赤な血を大量に流しながらのたうち回っているのを見ることは、どんな麻薬や覚せい剤でも恐らく味わうことができないような素晴らしいものだった。

 

 僕は左手でダッシュボードを開けた。そしてその中にあるついさっき生き血を吸ったばかりのナイフの村正の鋭い刃をそっと触ってみた。 

 それはまた先ほどの橋本が苦しみながら死んでいく姿を思い起こさせ、心の中に再びいいようのない恍惚感を呼び起こさせた。

 人が苦しみながら息絶えていく瞬間というのは、なんと美しいものなのであろうか。

 僕はこれまで幾度となく、その光景を目の当たりにしてきたが、いつも新鮮で美しく感じている。

 そして何と言っても美しいのは、真っ赤な血の色とその香りであろう。流れ出る血の色は、どんな自然の生み出す美しさよりも、そして人間に生み出された絵画などよりもはるかに超越している美しさだ。その香りの素晴らしさは、僕がこれまで出会った様々な香水や料理などには到底到達することのできない程に僕の心を酔わせてくれた。

 時にはその新鮮な血の味を試すこともあったが、これもまた格別で胃の中が燃え上がるような、強い酒を飲んだ時のようなそんな気がするのだった。

 

 いつの間にか海岸線を走っていた。カーブもほとんどなくなっていた。国道から幾分細くなっている県道に入ると、再びスピードを出して走っていった。前を行く車も後ろを行く車も対向車も全くなかった。この世に僕ただ一人が車を走らせているような感じだった。

 しばらく車を走らせて、真っ暗闇の中に大きな波の音だけがこだまするさびれた崖の近くで車を停めた。車から降りると橋本の返り血を浴びた白いTシャツの入った紙袋を取り出した。紙袋の中からTシャツを取り出して、近くにあった少し大きな石に包んで再び中に入れた。それから崖のすぐ近くまで歩いて行くと、それをなるべく遠くへと投げたのだった。

 紙袋は真っ暗な虚空の中へと吸い込まれていった。その余韻に少しの間浸ったのち、再び車に戻ってエンジンをかけて走り出していった。

 音楽はパバロッティのオペラのアリア集をかけていた。僕の興奮は少しずつ収まっていったが、橋本が死んでいったシーンを思い出すとまた興奮してしまっていた。

 

 僕は橋本とはそんなに深い知り合いではなかった。それは僕がこれまで殺した人間と同様にちょっとした知り合いという程度であった。ほんの一週間前に、新宿の飲み屋で一人で飲んでいた時に偶然隣り合わせになって彼の話し相手をしてあげただけのそんな関係であった。彼と会ったのは今日で二回目だった。恋人にふられたばかりで少し自暴自棄になっていた彼は、僕にとって格好の獲物だった。

 今日あたりいい獲物がいないかと一人で飲んでいたら、偶然に橋本と再会したのだった。失恋を励ますのでこちらがごちそうすると言って適当に酒を飲ませ、車に乗せてドライブに連れ出したのだった。そして酔い覚ましにと睡眠薬が入ったミネラルウオーターを飲ませて眠り込んだところで車から引きずり下ろして、動けないようにナイフで大腿部の筋肉を切ったのだった。それから激痛で目を覚ました橋本を、まるでオペラの主人公を演じているかのように、楽しみながら殺していったのだった。

 恐怖におののく表情、地面に必死に這いずり回りながら浮かべる苦悶の表情、涙を流しながら命乞いをする表情、地面に溢れ出る真っ赤な生温かい血・・・・・・それらすべてが与えてくれる快感はほかに形容しようがないほど素晴らしいものだった。

 そうして断末魔のシーンを思い出しながら、僕は幾度となく橋本が苦しみ悶えながら死んでいく姿とともにエクスタシーを感じるのだった。

 それとともにアクセルを踏み込んだ車は加速されていき、自分自身が死と直面した空間へと導かれていくのだった。たとえ今そうして事故で死んだとしても、それは僕にとっては腹上死のようなものであった。最高のエクスタシーの瞬間に死ぬことが、僕が幼いころから抱いていた自分の最高の最期の瞬間であったのだ。

 だが運転には結構な自信があり、幸か不幸かそうした瞬間にはまだあったことはなく、ちょっとした事故でさえも起こしたことさえなかったのだった。ただタイヤがスリップする音や、車がカーブで傾いて転倒しそうになる目には幾度となく遭遇していた。

 

 いつの間にか僕は真夜中の国道一号線を走っていた。ものすごいスピードを出しているトラックに挟まれながら、東京方面へと向かっていた。東名高速を使わないのは、少しでも自分の犯罪がばれないようにするためだった。そしていつもこの快楽を享受する時には、どこにでもある白のプリウスを運転することにしていた。普段は勿論ほかの車に乗っているのだが、この時だけはプリウスを運転するだった。それは少しでも自分の完全犯罪を実行するための必須条件の一つだった。

 駐車場も自分のマンションから少し離れたところにわざわざ確保していた。車検証の名義もちょっとした裏技を使って変えていて自分の犯行がばれない工夫をしていた。そんなことは金さえ使えばたやすいことだったのだ。僕は自分の快楽のためには金を惜しむつもりはなかったし、逆にそうすることが快楽を増幅させてくれるような気がしていた。

 午前3時過ぎには初台にある自分のマンションに着いた。駐車場に車を停めると、自分の部屋に戻って熱いシャワーを浴び始めた。何の映画だったろうか、シャワーのお湯が血に変わるシーンがあったがそんなことを想像しながら今晩の悦楽に浸っていた。真っ赤な血の色、血の香り、湧き出す血潮・・・・・・それらは僕の胸の鼓動を高めさせ、何もかもを忘れさせてくれる最高の演出だった。

 それからベッドに倒れ込むようにして眠ろうとするのだが、悦楽に浸った日は必ずと言っていいほど眠れることはできなかった。勿論悪夢にうなされるというのではなく、その日に起きたシーンを何度も何度も心の中でリフレインしながら再び胸を高まらせるためだった。そしてほとんど眠らないで仕事に行ったとしても、大抵いつもと同じように仕事をこなせるのだった。それは子供のころからずっと睡眠時間が少なくてすむからだったのかもしれない。

 自分で言うのも何だが、僕は会社の中でもかなりのエリートだった。ストレートで東大の法学部に合格していたし、大学でもトップの成績でいくつもの資格を取得していた。教授や周りの人たちには法曹界に入ることを勧められたが、興味がなかったので民間企業に就職した。また少し古い話にはなるが、駿台の東大模試でもいつでも一番だったし、センター試験も最高得点だった。だが周りの人のように努力はそんなにしていなかったし、そうした結果も自分には何の興奮も歓びも与えてくれなかった。


 僕に初めて人生の楽しみを感じさせてくれたのは、大学3年生の時に半年ほどアメリカのスタンフォード大学に留学した時のことだった。それはそろそろ留学が終わりに近づいた夜のことだった。僕は借りていたアパートメントから、留学中に仲良くなった同じ大学のアメリカ人とビールを買いに車で近所のスーパーまで出かけた時のことだった。僕たちが入ったスーパーは個人経営のそんなに大きくはないスーパーだったが、結構夜遅くまで営業していたので彼とよく買い物に出かけていた。

 その日は僕たちは店内でカートにミラーライトを1ダース入れ、スナックや何やらを物色しながら適当にぶらぶらと店内を歩き回っていた。

 突然銃声がして、悲鳴とともに男の人が血を流しながら床に倒れていた。一人の黒人が銃を構えて、レジの中国系のアメリカ人に金を出すように大声で叫んだ。もう一人の男はほかの店の客をけん制しながら、同じように銃を構えて全員に頭を後ろに回して床にうつ伏せになるように大声で繰り返し命令した。レジの男はゆっくりと金を出して渡していた。僕と友人は二人とも少し離れていたが、丁度二人とも彼らの死角に立っていた。

 友人は外出する時にはいつも銃を携帯していた。本人の話ではテキサスに住む父親に子供のころからそうするように教えられていたらしい。そして彼はレジの方の男に向かってゆっくりと気付かれないように少しずつ近づいて行った。

 僕は肉売り場のすぐ横にいた。そこで刃渡り40センチぐらいの包丁を手に取った。それから手ごろな大きさの缶詰を右手に取ると、ゆっくりと腰をかがめながらもう一人の男に近づいて行った。勿論僕は日本ではこんなことは経験したことはなかったが、妙に気持ちは落ち着いていた。店の中の他の客は、強盗の指示通りに床にうつ伏せになっているのが分かった。閉まっているレジがもう一つあったので、中国系の男は銃を構えた黒人の顔色を見ながらゆっくりとそのレジの中から金を渡していた。

 僕の友人は気付かれずに至近距離まで近づいていた。レジの方にいた黒人の強盗は金をすべて黒いビニール袋の中に入れた瞬間に少し隙ができた。その時すかさず友人は強盗にピストルを2発発射した。その男はその場に倒れ込んだ。

 すぐに店内は悲鳴でパニックになった。もう一人の黒人は友人に向けて銃を発射した。僕は右手に持った缶詰を彼の頭にぶつけると、そのまま一直線によろけた彼の背中に包丁を思い切り刺した。何とも言えない悲鳴とともに、その男はその場にばったりと倒れ込んだ。僕は包丁を抜き取ると、噴き出してくる血の色を見ながら、黒人でも血の色はやはり同じように赤いんだなと妙に冷静に思っていた。

 

 全てがほんの一瞬の出来事だった。

 もう一人の黒人の方は、友人の銃弾で頭を射抜かれていていて、大量の血を流しながら床に倒れ込んでいた。

 僕の友人は銃弾が左腕をかすっていて少し怪我をしていたが,その部分を押さえながら僕の方へ近づいてきて、僕の冷静な行動を賞賛した。

 僕はそんな彼の言葉やほかの客たちの言葉もほとんど頭の中に入っていなかった。ただ自分が殺した黒人の血の流れ出ていく様と、その血潮の香りに何とも言えずにとても興奮していた。

 しばらくすると、パトカーのサイレンとともに警察がやってきた。店員や客たちの証言によって、僕たちはまるでヒーローのように語られたが、僕と友人とレジの中国系の男と立ち会わせた客の一人が事情聴取のためにパトカーで警察署まで連れていかれた。

 その時のことは今はもうあまり記憶に残っていないので、詳しく語ることはできないが、事情聴取の後には弁護士が来てすぐに僕たちを家に帰してくれた。

 黒人の二人は強盗をこれまでも繰り返しており、警察も追っていたそうだ。その日別の場所で二人殺して金を奪っていて、スーパーでは警備員を撃っていた。警備員はまだ息があって病院に運ばれていた。

 こうしたことはアメリカでは日常なのだ。

 僕が鮮明に覚えているのは、自分が着ていた白いTシャツが殺した黒人の返り血をたくさん浴びていることを警察官に知らされた時の言いようのない興奮だけだった。

 

 何よりもこの事件が、僕が生まれてから経験した唯一の興奮であり、生を初めて感じた出来事だった。その時の妙な悦楽感が、帰国後もずっと忘れられなかった。そしてそれはスポーツでも、芸術でも、セックスでも、そして留学中に試してみたマリファナでも、そのほかありとあらゆることを試してみたも、どれもそれに代わるような悦楽は見つけることはできなかった。

 僕は経済的にはかなり恵まれている家庭に育っていたので、金でできることなら大抵のことはできた。だから非日常の興奮を味わえると言われたものはすべて試してみた。スポーツならスキューバも、スカイダイビングも、どれも僕の心を満たしはしなかった。母親譲りの端正な容姿や、東大法学部という学歴のブランドに惹かれて言い寄ってくる女はいくらでもいたが、誰も僕の心を捉えることはできなかったし、彼女たちのセックスもほんの一瞬の快楽にはなったが、ただそれだけであった。

 

 ナイフで人間を刺す瞬間の興奮、肉の中に突き刺さっていく時の感覚、抜いた時に溢れ出る血の色、血の香り・・・・・・苦痛にのたうち回る姿、断末魔の叫び、最後の瞬間・・・・・・それらに代わり得るものなど全くなかったのだ。

 

 僕は苦悩した。眠れぬ日々が続き、不眠症の治療も行った。だが根本的な解決には程遠かった。

 どうしてもまた人を殺したかった。人が大量の赤い血を流して、もがき苦しみながら死んでいく様を見たかった。そうして心の興奮と生の証を得たかった。

 

 長い間考えた末に、完全犯罪による殺人で悦楽を得るという方法にたどり着いた。

 相手は男でも女でも構わない。若くても歳を取っていても構わない。

 とにかく自分に全く関係がなく、点と線が結ばれることのない相手を選ぶことが最も肝要だった。そして初めて会う相手か、多くても2度目の相手を選ぶ。犯行は勿論人目に付かないところで行い、犯行には日本で現在一番多いと思われる白のプリウスを使う。高速は絶対に使わずにナイフ以外の証拠品は毎回違った場所に埋めるか捨てる。そしてターゲットはあまり世間で騒がれないような人間にする。つまり突然蒸発や失踪したとしても誰も気に留めないような人間を選ぶのだ。

 子供は対象にはしない。

 それは親が騒いで犯行の発覚の恐れがあるためもあったが、僕が大好きな血があまり出ないという点でそうすることにした。また子供を殺してもつまらないという気がしていたのも事実だった。罪悪感という点では、むしろ子供のうちに殺しておいてあげたほうがこんな世の中を生きていくよりもずっといいと思っていたので、そういう意味ではまったくありはしなかった。

 また中年よりも歳を取った老人も対象からは外していた。それは老人の血の色は若者のように鮮やかではなかったし、その香りも僕の心を満たすものではなかったからだ。例えドラッグやセックスに溺れていた人間だったとしても、若者の血の色と香りには格別なものがあった。特に若い女の血は、特別気にいれぱナイフに付いたものを少し舐めるようにして味わうこともあった。

 

 帰国してから、大学時代に殺した人間の数は7人だった。自分で言うのも何だが、どの殺人も完璧に僕の犯罪だと思わせるような痕跡や、人間的なつながりは少しも残さなかった。衝動的な殺人とは違っていたし、ましてや恨みや憎しみを持った殺人とは全く違っていた。

 僕の人生の楽しみのためであり、快楽のためであり、他の何物でも得ることのできないエクスタシーのためであり、生への証であったからだ。

 

 学生時代には、一人で夜遅く渋谷や六本木などに行って、かなり酔っている女の子に声をかけて車に乗せて山までドライブに行き、そこで車から降ろしてお気に入りのナイフの村正で刺し殺したりしていた。ただ同じ場所で殺すことや、同じ町で生贄をみつけることは決してしなかった。そこまで入念に犯罪を計画していた。

 いや、僕の場合は犯罪ではなく、ゲームであり、人生そのものであったので、それが失われることは即ち死を意味していた。だから石橋を叩いて渡るような綿密な計画を企てるのだった。だがひとまずゲームが開始されれば、全身全霊で心から楽しむのであった。僕が何物よりも愛する生き血は言うまでもなく、のたうち回る姿、死の恐怖におののく顔、苦痛に歪んだ表情、口から吐き出す呪いの言葉、それらすべては何とも言えない歓びを僕に与えてくれた。

 

 特に若い女を殺すことは格別に楽しかった。世の中の馬鹿な男たちをその色香で騙してろくなことしかしないで生きている女でも、僕に最高の悦楽を与えてくれるのだった。外国人のように髪の毛を金髪や茶色に染め、男たちから貢がせた似合いもしないブランド品で身を飾り、日に焼けた肌をわざと露出してまた男たちを誘惑するような女たちであっても、僕にとっては最高の獲物だった。

 そういう女たちに限って、死というものを異常に恐れ、大量の赤い血を溢れさせながら地面をのたうち回るのだった。そして不思議なことに、そういう女たちの血の色はまじめに生きているごく普通の女たちに比べて、鮮やかで美しくその香りも格別だった。動脈から流れ出る鮮血は、僕に吸血鬼の気持ちを理解させてくれたし、またそのようになりたいとも感じさせた。

 そのような女たちは、今まで逆に男たちの生き血を吸って生きてきたし、数知れぬ程餌食になった男たちはいたはずだ。彼女たちのこれまでの悪行も、僕の目の前で流す大量の自分たちの血によって、ほんの少しだけ罪が洗い流されて浄化されるような気がしていた。別に僕は自分の行動を正当化しようとは少しも思っていなかったが、彼女たちにとってはこうした最期が贖罪になるとも感じられたし、それがふさわしい死に方だと思っていた。


 朝になって目が覚めると、僕はいつもの見せかけのエリートの自分の姿に戻るのだった。熱いシャワーを浴び、スーツを着てネクタイを締め、朝食を自分で簡単に作って食べて慌ただしく出かけるのだった。右手にはいつものロエベのバッグを抱え、エレベーターで一階まで下がり駅まで早足で歩いて行くのだった。車で通勤することも許されてはいたが、渋滞に巻き込まれる可能性と、犯行に使用しているプリウスとは違う車であったが何かの拍子でほころびが出てしまうことを恐れて電車通勤にしていた。電車は毎日勿論ラッシュで大変混雑していたが、もうそんなことには慣れてしまっていた。

 そうして満員電車に揺られながら、会社のある大手町に着くのだった。通勤時間は都心に近いマンションから通っているせいもあって、そんなにかからなかった。出社すると、新入社員や女性の若手社員などは出社していたが、その他では自分の部署では僕がいつも一番早く来ていた。みんなに朝の挨拶を軽くして席につくと、日経やNYタイムズ、フィナンシャルタイムズなどの新聞に目を通し、すぐに昨晩やり残した仕事の続きに取り掛かるのだった。

 

 仕事に取り掛かれば、本当に戦場の兵士そのもののようであった。自分で言うのも何だが、他の誰よりも猛烈に仕事をこなしていったし、その結果も完璧に近いものだった。30歳を前にしてサブマネージャーになったのは、同期の中では僕だけだったし、実力主義を標榜するわが社のこれまでの歴史の中でも異例の出世だった。自分より入社が先輩の部下も何人かいた。まあ自分でもそうした待遇を受けるだけの仕事をしていると自負していたし、また周囲のほとんど誰もがそう認めていた。

 僕が仕事面でエリートであり、容姿もかなり整っているところ、実家が資産家である点などそういったことが同期や後輩の女性社員をはじめとして、取引先など仕事で知り合った女性たちからのアプローチはうんざりするほどあった。そうした女にアバンチュールを求めて手を出すことは簡単だったが、したたかに結婚を画策しているものもいるので、そういった女の罠に陥ることのないように、決して一線を越えることはしなかった。社内で噂されるようになることは避けたかった。ただ学生時代の友人などに紹介された女であれば、そういった心配はそれほど高くはないので、適当に軽く付き合ったりはしたが、僕が恋愛にのめり込むことなどなかったし、また性的な快楽も決して満足させてくれることはなかったからほとんどが長続きはしない付き合いであった。


 僕を満足させる唯一のものは、ナイフであり、殺人であり、流れ出る血の色と香りだけであった。そのためには僕は結婚などするつもりは毛頭なかったし、たとえば出世にせよ家族にせよ財産にせよ、犠牲にしなければならないのなら、少しもためらわずに犠牲にするつもりであった。

 会社の重役や取引先の重役の娘だとか、あるいは両親や親族からの見合いの話も多くあったが、もちろんすべて断っていた。それは当然僕の人生の唯一の生きている証を味わうという楽しみを阻害する恐れがあるからだった。それが自分の出世の妨げになることも十分承知はしていたが、そんなことは僕には何の満足も与えてくれなかったし、いざとなれば会社を辞めて自分の能力でどこでもやっていく自信があったからだった。

 僕の楽しみのためには、一人で暮らしていくことが何よりも重要であったし、特定の恋人を作らないことも重要なポイントだった。僕の私生活の中に入ってくることは絶対に許されないし、当然自分の部屋の中には誰も入れたことはなかった。ただたとえ誰かが入ってきたとしても、自分の犯罪にかかわるようなものも、雰囲気さえも全く感じさせることはないという確信はあった。ただ誰も入らないように細心の注意を払うことが、少しでも自分の楽しみを継続させることになると考えていたのでそれは守っていた。

 

 万が一僕の犯罪が発覚したら、それは僕の人生の終わりを意味していたが、自分としてはそれはそれでいいと思っていた。逮捕されて裁判にかけられて死刑になるのも、自殺して果てるのも、どちらでも僕はよかった。死んで行く人を何人も見てきたが、死が何だというのだろう。人はいつか必ず死ぬのだ。今生きている人間の全てが数十年先にはみんな消えてなくなるのだ。

 ただ僕の犯罪が発覚するという、そんな日が訪れることなど恐らくありはしないと思っていた。それだけ自分に自信があったし、このゲームがずっと繰り返されると感じていた。

 

 仕事は大抵は夜遅くまでかかっていた。だが僕はそれをそんなに苦には思わなかった。特に前日の晩に自分の最高の悦楽を得た日はそうだった。自分の部下たちも結構仕事のできる人間が多かったので、僕のチームは社内でもかなり注目を浴びるほどの業績があった。そのため部長や役員にもかなり会う機会も多かった。忙しい時は家に帰るのは必ずタクシーになってしまっていたが、部下たちの中から不満を漏らすものはいなかった。

 また商社なので当然ながら出張が多かった。特に飛び込みで行く海外出張などはかなり多かった。一人で行くことが多かったが、部下や上司と行くことも時々あった。出張はかなりハードなものが大半であったが、それでも海外に行くということは仕事とはいえ、精神的には息抜きになった。また例えば中南米やアフリカなどの治安の悪い国に行くときなど、自分の快楽ゲームが楽しめるのではないかというひそかな期待感が心の隅にあった。

 どんなに昼間の仕事がハードで疲れていても、夜の町中を徘徊したりして町のチンピラや犯罪者連中に出会うことを期待していた。夜の街の娼婦でもいい。そうした人間たちがたとえ殺されたとしても、現地の警察は大して調べはしないだろうし、誰も困りはしない。

 何度もそうした機会をうかがっていたお陰で、中米のエルサルバドルで一度血の晩餐を楽しむことができた。相手は麻薬の売人であり娼婦であった。生きていたとしても、世の中にあだなすだけの女であったが、血の色と香りは僕を楽しませてくれた。勿論僕の犯罪になる証拠は残しはしなかったが、現地の警察は案の定ろくに調べもしなかった。帰国する時に空港のラウンジでテレビをニュースを確認したが、死体が見つかったというとても短いニュースすら流されもしなかった。

 

 当然のことだが、仕事の方は万全にこなしていた。会社が期待している以上のことを必ず成果として残していった。商社というのは自分にとっても結構いい職場であった。それは例えば相手の国の高官を金などで抱き込んで、環境破壊であろうが、民衆を搾取することなろうが、会社の利益のためになるのならどんなことでもすすめていくことができる非人間的なところが自分にピッタリ合っていた。仕事が自分の心を満たすことはまったくなかったが、利潤追求のためにどんな犠牲も厭わないというところは、社会や人々のためになるような仕事に比べて、ずっと楽しくて冷酷な自分にあっているようだった。


 小学生のころから、ずっと親友と呼べるような友人はいなかったが、自分自身でも欲しいと思ったことなど一度もなかった。勿論ただの友人はいたが、それは僕が勉強ができることや、スポーツもほとんど何でもこなすことや、実家が名家で金持ちであったために、自然と集まってくる偽物の友人であった。そんなことは僕自身でも十分承知していたが、別に彼らを拒否する理由もなかったので、そのまま彼らが僕の周りに取り巻くことは勝手にさせていた。

 そして僕は子供のころから全く他人とは違った感性と感覚を持っていることは、十分に認識していた。精神的に周りの人間たちとは全く違っており、虫を殺すのがとても好きだったし、ゲームも戦闘ゲームだけを好んで行っていたし、映画などもホラーやサスペンスなど残酷なシーンがあるものを好んでいた。小学低学年の時にはすでに普通の少年が抱くような高校生以上の厭世観を持っていた。

 

 性に対する興味も人一倍強かったため、初体験は中学一年生の時だった。それから今までに100人以上の女を抱いてきたが、刹那的な肉体の快楽以外は何も自分にもたらしはしなかった。そうはいっても今までずっと相手だけは切らさないでいるようにしていた。それは勿論自分の心を満足させるわけではなかったが、そう度々殺人を犯すこともできなかったので、少しの瞬間でも僕の心を紛らわせるにはそれしかなかったのだ。今も当然相手をする女は何人かいた。

 彼女たちとの情事は自分の部屋では決して行いはしなかった。相手の部屋かあるいはホテルなどで行っていた。ただ僕に愛情を抱いて部屋まで押しかけようとするような女もいたが、部屋の中には断固として入れやしなかったし、そういった態度を取ったり、そうしたニュアンスを持った態度を出した場合は、すぐに別れた。

 僕は彼女たちを、単に肉体的快楽の道具としてしか見ていなかったし、そういう扱いしかしなかった。僕にとっては金で割り切れる関係の方が都合がよかった。相手としては同じように肉体的快楽を求めるような女しか必要なかった。学生時代からのセフレ、一度きりの関係を求める淫乱女、一夜限りのナンパした尻軽女・・・・・・そういった女たちが僕の相手だった。

 

 普段の僕の生活は、ハードな仕事とセックスと過去に行った血が沸き立つような殺人のシーンを思い出すことで、過ぎ去っていた。その日常の繰り返しが大体数か月ほど続くのが通常であった。しかし再びどうしようもないくらい血の悦楽に心の底から浸りたいという、狂おしいほどの願望が急に沸き起こってくるのだった。そしてそれは一度沸き起こると、決して止めることはできなかった。僕はまた次の血の晩餐へ招待する人間を探し、晩餐の計画を立てることになるのだった。そうしてそれはこれまで必ず実行されたのだった。 

 時には首都圏のちょっと地方の都市にまで足を延ばすこともあった。新宿・渋谷・池袋・六本木・銀座といった繁華街は別として、いつも違った町で招待客を見つけることが、晩餐の完全遂行の必要条件だと考えていた。

 僕は次の招待客を探すのは多摩地区の町にしようと考えていた。八王子や立川や府中などで探すつもりでいた。この辺の町には僕は学生時代に一二回行ったことがあるだけで、特に何の印象もなかったが、それなりに人もいて栄えてはいるので、きっと対象となる人間が見つかるであろうと思っていた。

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