1-1 遠い伝言(5)

 ワンピースに着替えたセシルは、フィリナの微笑みを背に応接間に向かった。

 アカデミーの制服よりも幾分ゆったりとしていてその分下着の隙間がすうすうする。

 一階の応接間、その扉の前には執事が立っていた。彼は少年を認めると静かに扉を叩いた。


「旦那様、セシル様が戻られました」


 くぐもりやすいバスバリトンは必要なだけくっきりとしていた。


「入りなさい」


 若さがありつつも堂々としたテノールが帰ってくる。この家の主のものだった。

 セシルは執事が音もたてずに開けた扉をくぐった。

 ソファの蜂蜜色の髪の紳士――パーシィは肩越し振り向いて、ほんの少し口を横に引いた。

 それが彼の笑みだとわかるのは、セシルと使用人ぐらいだった。音もなく扉が閉まる。


「おかえり、セシル。掛けなさい」


「ただいま、パーシィ」


 少年が紳士の隣に腰かけようとすると、正面に座っていた男が急に立ち上がった。


「そちらが! 魔女様ですか! わたし、ワイルダーと申します! この度は!」


 彼はセシルに向かって手を差し出してきた。

 男は緊張症なのかまばたきは多いし、顔中に脂汗が光っている。


「ま、魔女だなんて……」


 手を握れば肯定することになる。セシルが魔女の末裔であることは徹底して否定しなければならない。ただ、パーシィの仕事ぶりが良すぎること、また傍らに少女を置いていることから、噂が噂を呼んでいるのも確かだった。「グレインジャー探偵事務所には魔女がいる。すべての事件をたちどころに解明するのはそのためだ」と。

 固まるセシルに助け船が出る。


「どうぞワイルダーさん、楽になさってください。この娘はただの助手です。会った人は魔法にかけられたように思いますが、それは愛らしさのせいでしょう」


 パーシィは流暢に述べると、その流れでセシルの手を取って、自らの隣に座らせた。セシルは気まずさにうつむくほかできなかった。けれども「ただの助手」扱いをしたことは忘れまいと心のノートに書き留めた。せめて、優秀な、とか言ってくれたらいいのに。


「セシルです」


「そ、そうですね! 実に愛らしい助手さんで!」


 客があわてて腰を下ろすと、パーシィは彼から視線を外さぬまま、セシルに万年筆と書類を手渡した。目を通せということだった。


「ところで、話の続きを聞かせてもらえませんか、ワイルダーさん」


「あ、ハイ」


 セシルは書類に瞳を下ろす。走り書きでも、パーシィの筆記はいつもとても読みやすい。

 碧の瞳で、駆け足で綴りをなぞる。

 依頼人の名は、サミュエル・ワイルダー。年齢は三一。職業は学生。ってことは博士課程の人、かな。相談内容は、幽霊から手紙が毎日届くこと。

 幽霊? セシルは噴出しそうなところを腹筋で堪えぬいた。良い大人が幽霊って!


「見てもらえればわかるのですが……」

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