1-1 遠い伝言(3)
みんな、オレのことをお客さん扱いしたまんま。
少年のため息を合図にして、景色を流れていた黒い鉄柵がカフェや雑貨店の看板に変わった。
湿気てくすんだ色合いは雪の名残だ。春風が埃っぽさを拭ってくれるまではずっとこの調子だろう。ダ・マスケなら、そろそろ春祭りの支度で華やぐのに。
碧の視線を天へやると、背の高い建物の隙間を縫うようにして青空がちらついた。
あんなに近くに感じていた空なのに。セシルは寂しく思った。ちっちゃくなっちゃって。
彼の視界を、急に馬車の車輪が邪魔した。しかしそれも一瞬のこと。
執事の運転する自動車は最新式だったので、ご機嫌な唸り声を上げて勝利を宣言した。
セシルの送迎をも担当する初老の執事ナズレは、灰色の世界を颯爽と走り抜けてグウェンドソン邸へ戻ってきた。
執事はいつも、一度車を降りてホルガー通りに面した門を開けて再び車を動かすという手間をかけて、セシルを玄関まで運んでくれる。一度ならず断ったことがあるが、彼はそれが自分の職務であると頑として譲らなかった。だから少年も車庫からナズレが戻ってくるまで待った。それが通したい礼儀だった。
『グレインジャー探偵事務所』という看板の打ちつけられた玄関の前で待つこと数分。
戻ってきた執事が開いてくれた戸口をぴょこんとくぐる。
「おかえりなさいませ、セシルさま」
「今日もありがとう、ナズレさん。パーシィは?」
執事は改めて少年の荷物を置き、そつない動きでコートを脱がせてくれた。
少年も合わせて袖を抜く。これもこの三カ月で慣れたことの一つだった。
「ご在宅です。十五時からお約束のお客様と面会中でいらっしゃいます」
絨毯敷きの階段を上がりながら、執事が滔々と状況を教えてくれる。
「どうか――」
「わかってる。着替えでしょ。ちゃんとするって」
「お茶のご希望はおありですか?」
「なんでもいいや」
セシルは自室の扉の前で執事に軽く手を振った。これが自分なりの感謝の表現だった。
がちゃりと扉を閉じきり、上品な笑顔を外へ追い出す。これでやっと一人になれる。
「おかえりなさいませ、セシル様」
セシルのため息と同時に、部屋の中にいたメイドが振り返った。彼女は既に控えていた。
「ただいま、フィリナさん」
彼女――フィリナ・ミスクスはセシルを認めると、ふんわりと頬を持ち上げて膝を曲げた。
だよね。予想通り。
そう、つまりこれもまた新しい生活のルールなのだった。理由は後になればわかるよ。
一つに結い上げた飴色の髪、真っ直ぐに切り揃えている前髪。濃紺のお仕着せに真っ白なエプロンを身に着けた几帳面で清楚な彼女の瞳は、泉に映った葉末の碧色をしていて甘く可憐に垂れている。
この白百合のように素敵な女性は、グウェンドソン邸のメイド・オブ・オールワークだ。
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