4-3 美しき初恋

「リア……? わかんないって、ちゃんと、説明してくれないとさ……」


 何度この台詞を言ったかわからない。だが、これはいつだってセシルの本音だった。

 目の前に瓜二つのうっすらと透ける少女と、石像の少女がいる。


「あなたにちゃんと教えたかったの。フォルトゥーネが一体なんなのかを」


 翼の乙女リアは、ふわりとセシルの目の前に降り立った。


「最初のフォルトゥーネは元々マナストーンを守護する種族だったの。精霊か、神の眷属かはもうわからない。そしてこの城に連れてこられた。世界中に散らばっているマナ。それが長い年月をかけて凝縮されたのがマナストーン。かつて栄えた王国は〈マナの柱〉を集めてしまった。強大な力は恐怖を呼ぶ。だから城と〈マナの柱〉ごと歴史の闇に消えた。さっき、見せてもらったわね」


「最初? 見せてもらった? リアの力じゃないの?」


 少女は首を振った。


「そう。〈運命の魔女〉フォルトゥーネの力。彼女が扱う〈マナの歌〉を引き継ぎ、守護する者。音楽の守護者。モルフェシアの管理者といってもいいかもしれない。彼女の名と力を引き継いだのが、女神としてのフォルトゥーネ。今はわたしがそうよ。さっきは、初代フォルトゥーネが思い出していたのを、一緒に見たの。この〈運命の翼〉にはこれまでのフォルトゥーネたちの記憶や思いが入ってるから」


 リア=フォルトゥーネはそう言って、大きな翼で己を抱きしめた。音も風も起こらない。


「魔女の系譜にはそれぞれ〈地上の翼〉の因子が引き継がれているの。フォルトゥーネになるには、現行の女神から直接〈歌〉を七つ授かる必要があった。そして先代から〈運命の翼〉を引き継ぐと、肉体と魂が分かたれる。残った体はマナストーンになるの。そうじゃないと膨大なマナを操れないから」


 そして細い腕を伸ばして、彫刻を――かつての自分自身の肩をそっと撫でた。

 セシルは戦慄した。


「じゃあ、ここの彫刻って……」


「そう。かつてのフォルトゥーネたち。体だけがここに残された。魂は〈運命の翼〉の中にあるのよ」


 窓辺に腰かけたり床に腰をおろしたり、まるで生きているかのような少女の彫刻群が、本当は何なのかを悟ってしまった。白い壁に背を預け膝を抱えた娘は、絶望ごと俯いたのだろうか。ある娘は泣きじゃくる姿のまま、永遠に凍りついている。

 少年は声を絞り出した。


「……だからリアも、ずっと子どものまんまなの?」


「やだ。若いって言ってよね」


 リアが軽く自嘲しながら、その場でくるりと回って見せた。

 真っ白なドレスと亜麻色の髪は、地上のそれとは違って、空中をたゆたっている。

 よく見れば、他の少女像も皆花嫁衣装を身につけている。

 彼女は腕を背中で組んで、無邪気に部屋中を闊歩した。

 かつて窓ガラスがはまっていただろう窓辺には、緑のカーテンが巻きついている。

 そのアイビーの葉を弄びながら、リアは言った。


「フォルトゥーネになる代償は肉体だけじゃない。力の代償は記憶。音楽の守護者として世界に嫁ぐために、世界の全てからわたしの記憶を奪われるの。だからヴァイオレットお母さんもメアリーお姉ちゃんも、わたしのこと全然覚えていなかったでしょ?」

 セシルは、リアが言わんとすることにすぐ気付いた。敢えて名前を言った意図に。


「リアは、じゃあ、本当はオレの……」


「そっ。あなたの叔母さんなの。女神やってるんですって、自慢してくれてもいいんだよ?」


 うふふ、とリアが笑って見せるのが痛々しくて、セシルの心がちくちくした。

 ずっと顔を突き合わせてきた幼なじみだ。彼女の本心は手に取るようにわかった。

 そして、あらゆることが偶然じゃないと、セシルの頭の中でピースがはまりだす。

 幼い日、家族にリアを紹介したときのあの大きな違和感がなんだかわかった。


「どうして、フォルトゥーネになったのさ……。なんで? 母さん泣いてた。きっと、思い出したかったんだ。おばあちゃんだってきっと、辛かった。なのになんで――!」


 少女は、セシルに背を向けた。

 バターの色をした日差しが彼女を溶かしてしまいそうに見える。


「わたしが馬鹿だったの。叶わない夢を持っちゃったからいけなかったの。好きな人がいてね。でもそれは、魔女が恋しちゃいけない王子様だったの。絵に描いたような金髪碧眼の、とっても優しくて素敵な王子様。でも王子様の相手は魔女じゃだめなのよ。お姫様じゃなくっちゃ。だから、何もかも諦めようって。失くしてしまおうって、フォルトゥーネの呼び声に応えた。〈歌い手〉になった」


 そして叶わぬ恋に絶望したリアは、天空の城にただ独り嫁いだ生娘たちに続いたというのか。

 セシルは、淋しげな背中がほうっておけなくて、すぐに少女の元に駆け寄った。

 そっと手を伸ばすも、触れられない。指がリアの体に押し込まれるだけだ。

 せめてもの思いで、隣に並んだ。少女の顔を覗き込む。


「泣かないでよ。オレ、リアがフォルトゥーネになってくれたから、ここまでこれたんだ」


 リアは少年に気付くと、うっすらと浮かんだ涙をぬぐった。


「セシル。あなたが生まれた日のこと、今でも覚えてるわ。びっくりしたのよ。お姉ちゃん、すっかりわたしのことなんて忘れてると思ったのに……」


 けれども、少女の瞳からはぼろぼろと大粒の雫があふれ出した。


「セシルって……。わたしにそっくりの名前……つけて……」


「だから、オレだったの? だから、オレをずっと見守っててくれてたの?」


 リアはこくりと頷いた。赤くなった鼻をすする。


「また、みんなにつらい思いをさせちゃうわね……」


 少年が身を乗り出す。勢い余って浮いた体をくるりと返し、そのまま窓辺に腰を下ろした。


「なんで? ダ・マスケに帰って、オレが真実を話すよ。そしたらきっと、みんな思い出してくれるって――!」


「無理よ! だって、次のフォルトゥーネはあなたなんだもの!」


 セシルは面喰ってしまった。

 リアが激昂に叫ぶのが、初めてだったから。

 それだけではない。

 〈運命の魔女〉に、オレが?

 少年の喉から、乾いた笑いが溢れた。


「はは……。女装も神になれば、ばれないってか……。冗談だろ……?」


「冗談で、魔女の息子をここへは呼ばないわ」


 突然、少女からあどけなさが消えた。ふわふわと掴みどころのなかった声音に、くっきりとした輪郭が現れる。涙は止まったが、ふいにこぼれたりする。


「わたしはあの日、あなたがわたしを見つけた日、無意識に後継者を選んでしまった。フォルトゥーネになる以前の真実の名を教えてしまった。だから全ての〈マナの歌〉を教えた」


 セシルは一瞬ピンとこなかったが、すぐに心当たりに気付いた。


「……オレ、ちっちゃかったからリアの名前が長くて言えなくて……」


 知らないうちに彼女の本当の名前を落としてしまったので、記憶の底から拾い上げた音を並べて。


「どうしても思い出せなくて、リアってことにしたんだ。でも、本当は知ってた……」


 わたしたち、まるでそっくりさんね。


「思い出したよ。君の名前を」


***


 光そのもののような小さな扉をくぐって、どれだけの時間がたったのか。

 パーシィはひたすら、亜麻色の髪の乙女の背中を追い求めた。

 彼女はどんどんとパーシィの先をゆき、セシルなのか、鏡の娘リアなのかは定かではない。

 惰性で足を動かしている。歩く感覚はほとんどない。

 向かう方向すら、既に間違っているのかもしれない。

 上も下もない空間で迷いかけたそのとき、青年の踵が土を踏んだ。

 それに気付いた瞬間、彼を包んでいた光がはじけ飛んだ。

 平衡感覚をすっかり失っていたので、体がうまくバランスをとれない。

 白く平らな床の上のはずなのに。


「ここは……」


 青年がくらんだ目をしばたたかせていると、ふいに名を呼ばれた。


「パーシィ?」


 一瞬、幻かと思った。けれども、声の主が姿を現したので安心した。

 予想以上に肩から力が抜けた。

 美しい少女を装った魔法使いの少年が、窓辺から身を翻した。

 すこしあちこちを汚していたが、怪我は無さそうだった。

 彼はすぐに青年のもとに駆け寄ってくれた。

 すると、青年の後ろからアルプが躍り出て、セシルの胸元に飛び込んだ。


「なんで? 二人して、どうやってここに来られたのさ?」


「わたしがお呼びしたの」


 セシルとよく似た、けれども少年のそれよりもたおやかな声がかぶせられた。

 ソプラノが聴こえた方へ、青年は首をもたげた。

 そこには、セシルと瓜二つの、翼を持った娘が佇んでいた。先程の鏡の娘だ。


「ようこそ、天空城ヘオフォニアへ。コルシェン王国第一王子パルシファル・ソルロス・イージアン・コルネシオ様」


 女装の少年が、顎を下げる。


「貴族じゃないかとは思ってたけど。本物の王子だったのかよ……」


 翼の少女が頷く。


「あなたは〈夢追い人〉に選ばれました。立会人として、願いを叶えましょう」


「君が……」


 典雅な物言いと翼に、彼は娘の正体を悟った。

 数々の少女の彫刻をすり抜け、パーシィは女神のもとへ進んだ。

 そして見上げるセシルの頭を撫ぜると、彼女に告げた。


「女神フォルトゥーネ。招待に感謝する。では願いを叶えて頂こう」


「あっ! そうだ、願い事! リア、頼むよ。パーシィに初恋の人を返してあげて――」


 彼に続いて、セシルも乙女に懇願する。


「パルシファル様。ごめんなさい。それはできません」


 女神が冷たく突き放す。けれども、彼女はパーシィと目を合わせてくれない。

 大人へと整い始めている横顔は、どれだけの時間を見てきたのだろう。


「やはり、君なんだね」


「……はい」


 セシルが見開いた瞳で探偵と女神とを見比べている。


「リアがパーシィの〈記憶の君〉!」


「僕は君との思い出を失くしてしまった。何者かに奪われてしまった。君の真実の名さえ」


 目の前の女神フォルトゥーネが、〈記憶の君〉と同じ声かたちをしているだけかもしれない。

 けれどもパーシィには確信があった。何より彼女は僕の真の名を知っている。

 フォルトゥーネはとつとつと言葉を紡ぐ。


「それは……。それは、永遠に失われるはずだったのです。でも、どうしてパルシファル様が苦しまれているのですか。縁者でもないのに――」


「大切だったから。そしてまだ、愛しているから」


 一陣の風が、床に敷き詰められていた葉を巻き上げてさらってゆく。

 ぐるぐると空間を洗うようにして、パーシィとセシルに吹き付ける。

 だが、女神だけはなににも干渉されず、その場で揺らめくだけだった。

 木の葉の嵐が過ぎ去ったあと、その彼女の瞳には、溢れんばかりの涙が浮かんでいた。

 くちびるを必死に噛んでいるのが、実に少女らしい。

 不思議な懐かしさで心が温かい。前にも、こんな顔を見たんだろうか。

 フォルトゥーネは、涙ごと首を思い切り振った。


「でも、でも! もう無理なんです! わたしはフォルトゥーネになってしまいました。人間には戻れないんです!」


 ぐるりと踵を返した女神の背が、翼ごと大きく上下している。

 やがて、その翼は繭のように少女をふわりと包み込んだ。


「リア……」


 セシルが、そっと彼女に寄り添う。アルプも少年がするように、心配そうにしている。

 彼はパーシィと少女とを再び見比べてから、口を開いた。


「リアが、人間に戻れればいいんだよね?」


「……セシル?」


 少年が意味することを先に理解したのは、女神のほうだった。

 彼女は真っ赤な顔を上げた。


「だ、だめよ! そんなことしたら、フォルトゥーネが、守護者がいなくなっちゃう! モルフェシアのマナの均衡が崩れちゃう!」


「だからさ。リアが人間になって、オレがフォルトゥーネになればいいんじゃない? さっきリアが言ってたのに、なんでもう忘れるかな」


「それは……!」


「女の子を泣かすなんて、男のすることじゃない。だろ?」


 パーシィには、セシルの言う事が名案かどうかはわからない。

 けれども〈記憶の君〉が神の翼の呪縛から解放されるのは、歓迎だった。


「仮にその願いが叶ったとして、セシルはどうなるんだ?」


「オレ? 今度はオレが世界からいなくなって、新しい神様になる。ってことじゃないかな」


「なんだって!」


 パーシィはカッとなって、あっけらかんと言うセシルの肩を鷲掴んだ。


「君は自分が何を言っているか、わかっているのか? 世界から消える? 説明したまえ!」


 脅すつもりではなかった。けれども、青年の声は想定よりも重たい音をしていた。

 目元がひくつく感じがする。セシルも同じように険しく睨みつけてきた。


「今のリアと同じ状況になるってこと。オレがフォルトゥーネになったらオレに関する記憶がこの世から全部消えて、オレはここで一人ぼっちになる。体はマナストーン。魂に翼が生える、んだろ? そんでパーシィとリアは一緒にいられる。オレ夢ないからさ! オレがフォルトゥーネになれば全部解決す――!」


 ぱしん、と乾いた音があたりに響いた。少女が小さく息を飲む。


「君は、馬鹿だ!」


 セシルは、青年の平手打ちと罵倒をまともに食らってぽかんとした。


「置いていかれるほうの気持ちも知らずに、よくもそう、軽々と言えたものだな!」


「だって、そうしたらリアもパーシィも幸せになれるだろ! もう、誰も泣かないですむ!」


 少年はすかさず噛みついたが、すぐにひるんだ。口元がおぼつかない。

 パーシィは彼の反応を見て、頬に手をあてがった。

 そうしてやっと、自身が涙をこぼしたことに気付いた。

 少女が、音もなくセシルとパーシィの間に入り込んだ。


「パルシファル様。わたしたちのために泣いてくださって、ありがとうございます。けれど、これはわたしたち魔女の系譜の問題。わたしが人間に戻ろうとそうなるまいと、セシルはフォルトゥーネとしてわたしの後を継ぐのです。あなた様は、ご自身の願いを叶えてくださいませ。それが、立会人の権利です。セシルも。ちゃんとさよならをして」


 申し訳なさそうに告げる少女の声は、決然としていた。


「では、僕は……」


 パーシィの頭が、再び軋みだす。


「また、失うのか。君を。そして、セシルを……」


 瓜二つの少年少女は、それぞれに視線を外し、くちびるを噛んだ。

 パーシィはというと、顔を上げた。

 かつての窓枠から差し込む黄金色の光が照らし出すのは、娘たちの彫刻群だ。

 それをとりまくのは青々とした緑と、濁りのない白い壁と床だ。

 きらきらと鮮やかに輝くそれらが、恨めしかった。

 こんな選択をするために、ヘオフォニアに来たかったんじゃない。

 探偵の濁った気持ちが、思考の邪魔をする。

 暖かな日だまりに沈鬱な空気が流れていた、そのときだった。

 銃声が三人に襲いかかった。


「伏せろ!」


 探偵はとっさに少年少女に覆いかぶさりながら倒れ込んだ。

 だがフォルトゥーネは、その性質からその場に立ち尽くしていた。

 外れた弾丸は窓から外を望む娘の彫刻に当たり、彼女の真珠色のポニーテールを根こそぎ奪った。

 女神は低く言った。


「ここで……、魔女たちの褥で暴れて、眠りを妨げないで」


「ふむ。立派になったものだな、小娘よ」


 それは葉や枝を落としてもまだ立ち続ける老木のように、枯れつつあるバスバリトンだった。

 擦れ合う金属音と共に現れたのは、車椅子の男とそれを押す少年、そして長閑な風景に似つかわしくない派手な女だ。


「お久しぶりですね、チャリオット殿。ご健勝にてなによりと存じます」


 パーシィは振り返りながら、子音を立てて極めて慇懃無礼に言った。

 半身が機械に支配された元大公は、くつくつと笑った。


「おまけにコルシェンの王子までいるとは。さては我々の高速艇に忍びこんでいたのかな?」

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