雨のち青空。時々雷が鳴り、ところにより雪が降るでしょう。

揣 仁希(低浮上)

第一章 雨と青空

雨の日、青空を拾う

第1話 雨、濡れた青空




 朝から少し機嫌の悪そうだった空は、俺が帰る頃には泣き出しそうになっていた。

 愛車を走らせ自宅であるマンションに着く時分、ポツリポツリと降り出していた雨は本降りになって激しくフロントガラスを叩く。


 やれやれ鬱陶しい天気だ、雨に濡れた赤信号を見ながら俺は煙草に火をつけた。


 信号が青になりその先の交差点を曲がり叩きつけるような雨の中、走ること10分。マンションの駐車場に車を停め、エントランスへと向かう。


「くしゅんっ」

「ん?」


 新聞受けを覗いていた俺の耳に入ってきたのは誰かのくしゃみ。

 視線を向けた先のエントランス脇、自動ドアの横に女の子が座り込んでいた。

 急な雨だったからか、びしゃびしゃに濡れて髪がぺったり張り付くようになったその子と目が合う。


 うちの入居者じゃないな。


 それなりに稼いだこともあり、このマンションは俺の所有物だ。

 自分の持ち物だけあって流石に入居者の顔は大体把握している。


「どうした?雨宿りか?」

「は、はい……急に降ってきたから……くしゅんっ!」

「急な雨だからな」


 エントランスから見る外は止む気配のない土砂降りの雨だ。


「くしゅんっ!」

「……うち来るか?」

「え?」

「そんなずぶ濡れだと風邪ひくぞ?別にとって食いやしない」


 俺は返事を待たずに電子ロックを外して中に入り振り返る。


 女の子はどうしたものかと考えている様子だったが……俺の後をついてロビーに入ってきた。




 …………




「着替え、置いとくぞ」

「は、はいっ!?ありがとうございます!」

「うん」


 風呂場に着替えを放り込み、といっても男の一人暮らしだ。女の子用の着替えなどあるわけもなくジャージの上下くらいしかない。


 俺は冷蔵庫から缶ビールを取り出そうとして、ため息ひとつコーヒーにすることにした。

 仕事終わりのビールをお預けにしたのは、あの子を送っていってやらなくてはと思ったからだ。


 風呂場から聞こえるシャワーの音をBGMに俺はソファにもたれて目を閉じる。




「あの……」

「…………」

「あのっ!」

「ん?ああ、上がったのか……」

「はい!ありがとうございましたっ!」

「気にするな。コーヒーでいいか?」

「あっ、はい。ありがとうございます」


 ここのところ久しぶりに忙しかったせいか、ついうとうとしてしまったようだ。

 風呂から上がった女の子にソファを勧めて、キッチンにコーヒーを淹れに行き改めて彼女を見る。


 高校生くらいだろうか?腰あたりまである黒髪が綺麗な端正な顔立ちの女の子だ。

 見た感じスレた印象もないし、受け答えもしっかりしている、俗に言う神待ちみたいなものでもないだろう。


「ありがとうございます」

「うん」


 コーヒーを手渡して俺は女の子の向かいのソファに座る。

 いくら何でも隣に座るわけにはいかないからな。


「とりあえず自己紹介はしとくか?俺は雨宮 千景あまみや ちかげ、キミは?」

「私は藍澤 青空あいざわ はるっていいます」

「"あおぞら"って書いて"はる"か、へぇ〜キラキラネームだな」

「へへっ、よく言われます」


 はにかんだ様に笑う青空。


「で、藍澤さんは家この辺りか?落ち着いたら送ってくけど」

「あ、青空でいいです。藍澤ってちょっと堅苦しいですし……」

「そうか?じゃあ俺も千景でいいぞ」

「ち、千景さん……」

「うん?」

「えと、家はちょっと遠くて……あの、その……」


 何か言いにくそうに俯く青空を見て俺は何となく事情を察した。


「別に深くは聞かないけど、明日か明後日には帰れよ?」

「!?」

「んな顔するなって、どうこうしようなんて思ってないから」

「……ありがとうございます……千景さん」

「それより腹減ってないか?俺は仕事終わりで何も食ってないからな」


 そんな俺の問いに答えたのは、くぅ〜っとなった青空のお腹だった。


「ははは、よしっ!じゃあ何か頼むか?」

「……笑わないで下さい……恥ずかしいじゃないですかっ」


 赤くなってぷくっと頬を膨らませる青空に思わずどきっとしてしまう。

 いかんいかん、何もしないってたった今約束したところじゃないか。

 青空に食べたい物を聞くとピザでいいとのことなので宅配を頼むことにする。


 久しぶりに誰かと囲む食卓は実に楽しいものだった。

 ここ最近、外食ばかりだったしこうして家で誰かと一緒に過ごすのなんていつ以来だろうか?


 そんな食卓で青空は、ピザをかじりながら自分の話をぽつぽつと話してくれた。


 両親は幼い頃に他界しており、今は親戚の家にやっかいになっていること。


 帰るつもりはなく飛び出してきたこと。


 学校は去年辞めたこと。


 行くところもないこと。


 次第に声が震え、嗚咽が混じる。


「もういい、もういいから」

「……千景さ……ん」

「分かったから、もういいんだ」


 俺は身を乗り出して青空を抱きしめた。

 華奢で折れてしまいそうな、小さく震える身体を抱きしめる。


「うん、頑張ったな。うん」

「ち、ちか……ひっく」

「…………」

「うぅぅうわあぁぁぁぁんっ!!」


 青空は俺の胸に顔を埋めて泣いた。

 堰き止めていたものが、全部流れ出した様に青空は子供みたいに泣きじゃくった。



 …………



「すみません……もう、大丈夫で……す」

「そうか?顔洗ってこいよ、酷い顔だぞ」

「はい……」


 洗面室に消えた青空を見送り、俺はさてどうしたものかと考える。

 帰るつもりもなく、行くところもないか……学校も辞めたって言ってたし。


 ここに置いてやってもいいんだが、犬や猫じゃないわけだしなぁ。


「千景さん……」

「ん?さっぱりしたか?あんな顔してるとせっかくの可愛い顔が台無しだからな」

「はい……ふふっ」

「なんだ?」

「千景さんに可愛いって言われました……」

「な、まぁそりゃ、何だ、う……可愛い……だろ?」

「えと?どうして疑問系なんですか?」


 色々と吐き出しちょっとは楽になったのか、青空はいい顔で笑い俺の隣に座る。


「…………」

「…………」


 何だ……この沈黙は?


 駄目だぞ、俺。青空は信用してくれて話してくれたんだ……と思うし、いや、そりゃ俺も男だからちょっとは何だ、期待したり……いやいや、何を考えてるんだ!俺っ!


 次から次へと湧いてくる邪念を頭を振って飛ばそうとした俺の肩に……青空の頭が寄りかかる。


「!?……は、青空……?」

「……すぅすぅ……」

「へ?」


 青空は俺にもたれかかって可愛らしい寝息をたてていた。

 ……うん、まぁそうだよな。

 俺はそっと青空をソファに寝させてシーツをかけてやる。

 シーツを抱き寄せて、くるりと丸まって眠る青空。

 きっと今日1日だけじゃなく今まで色々なことがあったんだろう。


「おやすみ」


 俺は眠る青空に小さな声をかけて自室に戻った。






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