第352話 大森林へ向かうのだ

 妄想に華を咲かせていたのも遠い昔のことのようだ。競馬場について議論してからまだ二日しか経過していないってのに。

 俺は今、飛行船に乗っている。 

 部族間問題を相談してきていた国を覚えているだろうか?

 部族間問題となると、国内の権力構造の話だろうなと予想がつく。ホウライは農業問題に対して対策を打つということだったので協力した。共和国も海域の調査だったから同じく。

 しかし、部族間問題は様相が異なるだろ。内政干渉はしたくないし、関わると問題を起こしている対立関係にある両方から恨まれる。

 触れないでおくのが正解だ。決して部族間問題のことを忘れていたわけではない。

 しかしだな、その国は新聖女の件で色々協力してもらったんだよね。新聖女のマルティナがエルフで世界樹を信仰していた。

 エルフで世界樹といえば、部族間問題で相談を受けていた「大森林」である。

 そう。「その国」とは大森林なんだよね。

 大森林は国民の多くがエルフで帝国における聖教のように世界樹が信仰されている。

 聖教とは大きく教義が異なるものの、異教徒を廃絶しようとか、そういった動きを今まで見せたことはない。

 この世界の宗教って、実際に神がいるからかどの宗教もとても平和的である。個人的な考えだけど、「実在する神」というのが、宗教間紛争が起こらない要因なんじゃないかな。

 怪しげな教義に実在しない神を掲げても、信者を集めることができないだろ。そうなると、必然的に平和的になるんじゃないかってね。

 そうそう。神への接触方法は各宗教で異なるのだけど、不勉強なもので詳しくは知らない。

 知っている中で一例をあげるとすれば、神託と予言だな。神託と予言は神の言葉を伝える。

 神から告げられた言葉は聖女や枢機卿を通じて俺たちに伝わるって寸法だ。

 話が逸れてしまったが、マルティナのことで尽力してもらったので、こちらも話だけは聞こうと大森林へ訪問することになったんだ。

 そんなわけで飛行船に乗っているというわけなんだよ。

 乗組員はといえば案内役のエルフの官吏とセコイア、アルル、エリー、ペンギンに操舵手二人となっている。

 部族間は一体何があって紛糾しているのかって官吏に聞いてみたものの、「決して連合国との関係性に影響を与えるものではありません」としか言ってくれない。

 口約束ではあるが、この官吏だけじゃなく以前来たエルフの使者も同じことを言っていた。

 伝言ゲームになって言葉の意味が変わってしまうことを懸念しているのだろうか。それなら、手紙にすればそのままの言葉で伝わる……いや、同じ言葉でも喋る人によってこちらが受け取るニュアンスは変わって来るか。その辺りを懸念して直接聞いて欲しいってことだろうな。

 たとえばさ。セコイアが「腹が減った」と言うのと、ルンベルクが同じことを言うのではこちらの受け取り方が変わるだろ。

 セコイアなら放置するけど、ルンベルクなら深刻な問題かもしれない、と心配する。

 ……たとえが悪かったかもしれない。良くわからなくなってしまった。


 さて、くだんの大森林の官吏ことエルフの青年は窓際に立ったままみじろぎひとつしない。

 セコイアの魔法によって揺れが抑えられてるとは言え、たまによろけるほどの揺れがあるのだが、彼もまた身体バランスに優れているようだった。

 アルルはもちろん、エリーも彼と似た感じでティーセットをお盆に乗せて歩いている時に揺れが来ても危なげなく運ぶ。

 俺だけよろけるとなれば、俺が普通ではないのかと思ってしまうが決してそのようなことはないのだ。

 ハウスキーパーたちは達人揃い、これが標準なわけがないだろ。何しろ足音一つ立てずに走ることができるんだし。

 じゃあ、ペンギンもよろけないだろって? ペンギンは体の構造が人間と異なるのでノーカウントであることは疑いようのない事実である。

 たぶん、マルティナとかリリーなら俺と同じように揺れによって転びそうになるって。

 

「アルル……いや、エリー」

「はい。お呼びでしょうか。ヨシュア様」


 アルルと並んで控えていたエリーがペコリとお辞儀をしてから俺の席の横に立つ。


「足音を立てないようにする訓練ってどんな感じなの?」

「足音を立てないように歩くのです」


 え、えっと……。

 おうむ返しされた答えに次の言葉が見つからずにいた。

 「足音を立てないようにするにはどうしたらいいですか?」

 という質問に対して、

 「足音を立てないように歩く」と言われても答えになってないじゃないか。

 しかし、答えたのは真面目を絵に描いたようなエリーである。

 冗談で言っているわけではないことは明白だ。それだけに弱ってしまう。

 「いやいや、真面目に答えてよ」と返そうにも彼女は真剣なのだ。

 アルルだと種族として音を立てずに歩くことが自然とできてしまうのでは、と考えエリーに聞いたのだけど……。

 俺が真剣に悩んでいるってのに、俺の膝の上が定位置のセコイアが狐耳をピクピクさせて笑いを堪えているではないか。

 狐耳の先が鼻に当たってムズムズしてきた。

 

「はっくしゅん」

「こらああ!」

「仕方ないだろ。そのふさふさが鼻に」

「唾を飛ばしおってからに」

「笑いを堪えて耳を動かすからだろ……」

「仕方ないじゃろう。面白過ぎるのじゃからな」

「一つも面白いところはないってば」


 抗議するも、急に真面目な顔になって見上げてくるセコイア。


「では。問おう。ヨシュアが足音を立てずに歩こうとすればどうする?」

「そうだなあ……踵からゆっくりと足先をつけるようにしてソロソロと歩く、とかかな。つま先からの方がいいかもしれない」

「もうその時点でダメじゃ」

「ならどうすればいいってばよ」

「なんじゃ、その変な言葉遣い」

「様式美って奴だ。気にするな」


 興が乗ったのかセコイアが俺の膝の上から降り、手招きする。

 ふむ。何か教えてくれるのかな?

 俺も立ち上がると、彼女の講釈が始まった。

 

「良いか。種族や生まれながらの身体能力。これまで培ってきた修練によって『音を立てずに歩く』方法が千差万別になるじゃろ」

「そらまあ、な」

「そこの猫娘なら、特段修練をしなくとも少し気を付けるだけで音を立てずに歩くどころか走ることもできる。多少気を付ければ床がギシギシという脆いものでも音を立てずにスキップできるじゃろうな。君が同じことをしても無理じゃ」

「気を付けるだけでとか想像の外過ぎる」

「ボクならどうすると思う?」

「俺と同じように足先から……」

「その考えから離れた方が良いぞ。ボクならこうじゃ」


 セコイアがその場でジャンプをする。床を踏みしめる音が聞こえた。

 聞こえたか? と目で合図し頷くと、もう一度同じように彼女が飛び上がる。

 着地したが、音がまるで聞こえない。


「動作に違いは見えなかったけど、どうなってんだ」

「魔法じゃよ」

「何それ、汚い」

「音を立てずに、という条件は満たしておるはずじゃ。君が音を立てずに歩くためには君にあった修練が必要じゃな」

「それはそうだけど、俺の場合はどうすりゃいいのか教えてくれそうな人っているの?」

「まずは体のバランスを鍛えることじゃな。危なっかしい歩き方ではどうやっても音が出る。まずは左右の体のバランスを整えることからじゃな」

「なるほど……嫌な予感しかしないから、この辺でやめとく」

「何を言っているのじゃ。今からでも修練を始める、とか言わぬのか。体のバランスくらいじゃったらボクでも分かる。ほれ」

「いや、いいってば。この話はこれでおしまい。ガラガラ」


 全くもう。回りくどいことを言うんだから。

 ほんの興味から聞いただけじゃないか。本気で音を立てずに歩こうなんて考えてないのだ。

 何て会話をしていたら、飛行船が大森林領に入ったようだった。あと1時間もしないうちに大森林の都に到着するはず。

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