第232話 おやすみ
ガタンゴトン、ガタンゴトン――。
ガクッと肩から右側に体が倒れ、むにゅっとした感触が頭に触れ目が覚める。
俺の側頭部が触れていたのはペンギンのお腹だった。
「よく眠っていたね」
「結構ぐっすりだったよ」
「もう間もなくローゼンハイムだね。あれがそうだろう?」
窓からローゼンハイムの城壁が見える。城壁の修復工事も大変だったなあ。睡眠時間とか。子供の体でやるもんじゃなかった。
遠い目になる俺に対しペンギンは、ずっと窓の外を見ている。異世界の風景を楽しんでいるのかな?
この辺りは地球の風景とさほど変わらない。キラープラントなんて植物型モンスターもいないからね。俺が見ていないだけで、騎士団が処理していてくれていたのかもしれないけど。
「あと20分くらいかな」
「そうだね。そう言えばヨシュアくん。ネラックに城壁をとか誰かから聞いたのだが、作るのかね?」
ローゼンハイムの城壁を見たからかペンギンが思い出したようにぺちんとお腹を叩く。
城壁、城壁ねえ……。
「ネラックに来た頃は優先順位が高かったのだけど、今は別に必要ないんじゃないかと思ってる」
「物見で事足りると」
「うん。モンスターや猛獣が心配ではあるけど、物見から警戒できる。避難場所は作っているからいいかなってね」
「ふむ。モンスターの密度にもよるか。レールもそうだ。物見は作った方がよいだろうね」
当初は辺境のイメージから未踏の地が浮かび、猛獣がわんさかいるんじゃないかって思ってたんだよね。
そうしたら、案外パトロールだけで街にモンスターが来襲するなんてこともなかった。
なので周辺の危険度認識レベルを数段階下げたんだ。それでも、特に問題が起こっておらず今に至る。
城壁の必要性はそれほどでもなくなったのだけど、魔石機車を開通させたことで状況が変わった。
「魔石機車にぶつかる危険性があるよな。市街地には安全のために柵が必須だなとも分かった」
「柵なら全線に取り付けるのが最善だね。牧場の柵みたいな簡易的な物でもよい。踏切は難しいだろうが、それでも安全性が格段に増すはずだよ」
「だよなあ。ところどころ渡ることができるように何か工夫しようか」
なんて会話をペンギンと交わしているうちに魔石機車はローゼンハイムに到着する。
ここでも新設した駅舎の周囲に多くの人が詰めかけていた。一定の距離へ近づかないように騎士団が固めている。
これだけの人が暮らしているのだから、やはり柵は急務だな。
魔石機車の本格運用を開始したら、様々な問題点が出てくるだろう。そこは運営スタッフに任せることになっている。
人、貨物共に運賃を取る。それを元手に魔石機車路線を運営するのだ。運賃は赤字にならないギリギリのラインを設定する予定である。
魔石機車で儲けようとは思っていないからね。機車の輸送により、連合国の経済は一変するぞ。ふ、ふふふ。
「そんじゃ。もう一回行ってくるよ」
「ここで待っているよ。君の勇姿はここからでもハッキリと見える」
勇姿って……。
ともあれ、ペンギンと別れ魔石機車の外に出る。
出てきた俺を大歓声が迎えてくれた。
さて、やるぞ!
特製の演壇に足をかけ、ゆっくりと登って行く。
◇◇◇
「ふう……さすがに疲れたな」
ネラックに戻り、執務室には寄らずそのまま自室に入る。
ご飯と風呂はちゃんと済ませてきたぞ。
カウチに頭を預け、目線を上に向ける。ぼんやりとした灯りが天井を照らしていた。
この屋敷はポツンと一軒家状態だったわけなのだけど、それなり、いや、かなりの設備が備え付けられていたのだ。
今思うと、神託により辺境に行かざるを得なくなってしまった俺に対し、文官らが配慮してくれたのだなと分かる。
天井一面を光らせるタイプの魔道具は結構なお値段がするんだよ。それに、このカウチだって、上質な革を使っているだけじゃなく柔らかく滑らかな肌ざわりとするため丁寧に加工されている一級品だ。
……物の価値に詳しい方じゃないんじゃないかって? その通りだけど、そんな俺でも分かるほどのものだってことだ。
ローゼンハイムでの演説もネラックと同様に大いに盛り上がった。
公国と辺境国が一つになり連合国となる、って国の根幹を揺るがす大きな決定事項だろ。
にも関わらず、殆どの領民は俺の演説まで連合国になるなんてことを露ほども知らなかった。今頃、大きな街では「連合国の件」が掲示されているはず。
事前のネゴシエーションなんて領民にはまるで無し。
公国の大臣らと軍幹部、一部の貴族、そして辺境国の主要なメンバーとやり取りを行い連合国となることが決まった。
超少数が国の根幹を決めていく。それが現在の連合国の政治形態だ。
極論すると、俺以外の合議で決まった事項であっても俺が否定すれば否決される。
まさに独裁体制そのものなわけだけど、こうした政治形態を持つ国の方がこの世界では一般的だった。
いいとか悪いとかは判断に苦しむところだが、俺はこの政治体制を変えたいと思っている。といっても、選挙による代表の選出……まで極端なことをしようとしているわけじゃない。
持論ではあるが、国の政治形態というのはその国の生産力、情報伝達速度によって変わってくるものだと考えている。
地球の歴史を例に出すと、転換点はいくつもあった。古くは封建制社会と呼ばれ、地方ごとに貴族や豪族が取り仕切り、王はそのまとめ役に過ぎなかったのだ。
それが、経済が発展し始め物の流通が増えてくると王による一極集中体制が出来上がった。それも、更に生産力が増してくると市民らに富が集まり、産業革命が起こって議会が発展していく。
此度は魔石機車と飛行船の導入によって、大きな転換点を迎えようとしている。
俺の時代では合議制……三部会のような初期の議会制度くらいまで行ければ丁度いいんじゃないかとね。
コンコン――。
思考の海に潜っていた俺を扉の音が浮かび上がらせる。
「どうぞー」
「エリーです。お飲み物をお持ちしました」
エリーはもう夜も更けてきたというのにいつものメイド服姿で、髪の毛から足先に至るまで一切の乱れがない。
彼女はお盆に乗せたタピオカミルクティーを慣れた仕草で音を立てずにテーブルの上に置く。
「エリー。寝よう」
「え。は、はい。不束者ですが……」
何を思ったのか俺のベッドに向かう彼女にハッとなる。
言葉が足らなさ過ぎた。
「すまん。俺にお茶を持ってくるためだけに、夜まで仕事着にさせてしまったと思ったんだ」
「エリーの喜びはヨシュア様にお仕えすることです」
「そう言ってくれるのは素直に嬉しい。だけど、ちゃんと休まないと。お茶を持ってきてくれたことはありがたく思っているよ」
「ヨシュア様はいつも朝早くから夜遅くまで。こうして自室にいらっしゃるときでも領民のため身を粉にしておられます。比べることはおこがましいですが、ヨシュア様に比べればさして働いてなどいません」
健気に首を振るエリーに近寄り、ポンと手の平を彼女の頭の上に乗せる。
子供扱いするつもりはなかったのだけど、彼女はそうとってしまったようだった。
かああっと彼女の頬が赤くなりうつむいてしまう。主人である俺には文句も言えないよな。
尊重してくれるのは嬉しい。だけど、こういう時、少し寂しくも思う。
贅沢なことだと自分でも分かっているさ。公爵という恵まれた家に生まれ、ハードワーク過ぎたけど不自由なく暮らしてこれたものな。
「エリー。俺も休むから、君もそろそろ休んでくれ」
「は、はい」
にこやかに微笑みかけると、顔をあげてくれたエリーが大きな目を見開いたまま固まってしまった。
うあちゃあ。また変なことをしてしまったか?
彼女の頭から手を離し、再びカウチへ腰かける。微妙な空気を誤魔化す為にタピオカミルクティーを飲むことも忘れない。
エリーが部屋を辞した後、残ったタピオカミルクティーを飲み干しベッドに寝転がる。
窓の外にぶらさがった狐耳の姿が見えたが、見えなかったことにして愛しの枕に頬ずりする俺であった。
明日から大公としての日々が始まる。
しかし、初っ端から事件が起こるなんてこの時の俺はまだ知らない。
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