第229話 グラヌール来訪

 魔素の流れを堰き止める堤防と流れを変える路を作る工事はさながら水害対策のようである。

 水と違って物理的に高いところから低いところへ流れるわけではないので、魔法の素養がある人頼りだ。いや、単に魔法の素質があるだけでは足りない。

 素質があるうえで研ぎ澄まさないと魔素の細かな流れまで見ることができないそうだ。深淵なる魔法の世界を俺も泳いでみたいという気持ちは俺にもある。

 だが……俺にはそんな時間など……。ぐ、ぐうう。

 セコイアや公国の高位魔法使いらが魔素の流れを刻み込むためには詳細な地図がいる。

 彼女らだけでは大工事の道しるべにはならないのだ。

 そこで飛行船が大活躍した。地図と魔素の流れが書きこまれた後は、俺やシャルロットの出番になる。

 人口、産業……その他を考慮し、どのような路にするのかを決めなきゃなんない。毎日毎日寝落ちの日々だったよほんと。

 ついでに他の大規模工事も進めたからな。

 いやほら、公国からでなくレーベンストックからも作業員を派遣してくれたんだよね。

 なので、人的リソースがあるうちにってことで、辺境・公国共にインフラ工事を行なったのだ。


 辺境ではルビコン川の水害対策を優先した。水道橋によって水流の調整ができるようになったが護岸工事もしておいた方がより安全だろう。とのことで、緊急時の遊水路と水道橋から下流へ向けて三キロの範囲に堤防を築く。

 公国は公国で交通網の整備と飛行船の発着場を作っている。飛行船の技術は特に隠すでもなく公国へ提供したのだが、製造に時間を要した。設計図が無いところから作り上げたガラムたちがいかに技術力の高い職人だったか改めて感心することに。

 これだけじゃないんだぞ。普段の政務に加え公国の大臣らともやり取りがあったからな。


 そして、四ヶ月の月日が過ぎる。よく無事でいれたものだよ、俺の体……。

 執務用のカウチに背を預け、大きく息を吐く。途中で記憶がなくなる日々ももうすぐ終わりだ。


「ヨシュア様。グラヌール様が参っております」


 ルンベルクが来客を告げに執務室へ顔を出す。

 新たに設置したもう一つの執務机に座る赤毛のシャルロッテと顔を見合わせる。こちらはまたかよという気持ちなんだけど、彼女はそうではないらしい。

 「お仕事の追加をいただきました」とでも思っているのか、目により力が入っているのが手にとるように分かる。


 そうそう、ローゼンハイムとは飛行船で行き来できるようになったんだ。

 公宮専用の飛行船も一機ある。それからというもの、そいつを使ってグラヌールのようにしょっちゅう公国の文官がやってくるんだよ!

 いや、文官だけじゃないな。武官に聖職者、商人やら職人まで意見を求めにここを訪れている。


「ヨシュア様。ご機嫌麗しゅうございます」

「まあ、座ってくれ。すぐに飲み物を持って来させる」


 部屋に通した壮年の品の良い男――グラヌールが深々と礼をした。

 何やら大きな巻物を小脇に抱えている。


「どうかお気遣い無く。時間も限られております。早速ですが、こちらをご覧になっていただけますでしょうか」


 彼の持ち物を見たシャルロッテが既に移動式の黒板をカウチの前まで運んでいた。

 そこに彼の持ってきた巻物を広げ貼り付ける。

 ほう。公国東北部の地図か。公国でも飛行船が使えるようになったから、これくらいの地図を作るのもお手の物になった。

 飛行船が無くとも空からの観察をできなくはない。帝国から飛竜を借り受けたり、レーベンストックのアールヴ族に頼むのもありだ。

 といっても飛行船ほど手軽にってわけにはいかないけどね。

 

「グラヌールのことだ。もう既に公国東北部の復興計画はできているのだろう?」

「滅相もない。バルデス卿ら大臣と協議を行っている最中でございます」

「急ぐ必要もないさ。退避した領民たちも無事暮らしていけているから」

「辺境国があってのことです」


 立ち上がって胸に手を当て上品な礼をするグラヌール。

 彼が何を思いわざわざここへ足を運んだのか察した。俺と時を同じくしてシャルロッテも気が付いたようで政務の手が止まっている。

 そんな彼女と目があったので、隣に座るよう仕草で促した。

 

「それでグラヌール。本題は俺の去就のことか?」

「ヨシュア様は何もかもお見通しでいらっしゃる」


 再び腰かけたグラヌールは書面を机の上に置く。

 見なくても分かる。俺の追放刑を解除する書類だろう。びっしりと大臣らの署名が記入されており、聖女の印もバッチリ入っていた。

 グラヌールだけじゃなく、シャルロッテまで大きな目を見開きじっとこちらを見つめている。


「もちろん考えている。発表は三週間後に行う」

「承知いたしました。こちらもお納めください」


 グラヌールは懐からもう一通の書簡を取り出し手をこちらに向けた。

 手渡しで受け取った書簡には帝国の蝋印で封がなされている。

 帝国か。こちらもだいたい何が書いてあるのか予想はできるけど……後で確認することにしよう。

 

「発表後、すぐに動けるよう準備をしておくよ。あとその地図はどうする?」

「納めさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

「分かった。受け取っておくよ」

「ありがたき幸せにございます」


 追放刑解除、帝国、そして地図……公国の政治中枢は喜んで俺を迎え入れたい、また激務に戻ってくださいとの意思を表示してきた。

 地図を突っ返して、「俺は知りません」なんてやれないさ。

 特に俺は公国に恨みなんてあるわけじゃないし、公国と辺境は一蓮托生であるからな。

 もう腹は括っている。この判断が俺の隠居を早めてくれるに違いない……たぶん、きっと。そう信じないとやってられんからな!

 後は俺の腕次第、みんなの頑張り次第だ。他力本願はいけないよな。やれるだけやるしかねえ。待っていろよ。ハンモックと枕よ。

 

 ◇◇◇

 

 完成まで三週間はかかると見ていたが、工期が短くなるなんてみんな働き過ぎじゃないのか?

 ちょっと心配になってきた。だけど、現場監督者とアトランダムに選んだ作業員の抜き打ち調査の結果から判断するにちゃんと申し伝えた分の休暇は取っている。

 慣れもあるのかもしれない。

 公国の人たちは一般的な日本人より体力も筋力もある。魔法を使えない人でも体の中の魔素が多少の身体強化を促しているというのが、公国の人の強靭さの原因なのじゃないかな。あとは何かと便利になった現代日本と異なり、歩くことや力作業も日常生活に必須だし……え? 俺? 俺はいいんだよ。は、ははは。

 

「何、黄昏ているのかね? ヨシュアくん。会社が恋しくでもなったのかな?」

「それはない。二度とごめんだ」

「君は会社のこととなると途端に表情が変わる。よほど嫌な思い出でもあったのか。済まないね。茶化してしまって」

「いやいや。こうして日本のネタで話ができるのもペンギンさんとだけだから、全然構わないさ」


 ここは鍛冶場から三分ほど南へ歩いた場所である。

 元々馬車鉄道の試運転のためのスタート地点になっていた場所だ。新しくレールを敷き直し今に至る。

 ペンギンと並んでバルトロらが来るのを待っている最中だ。

 ガタンガタンと遠くからの音が耳に届く。そろそろ来そうだな。

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