第222話 枢機卿
枢機卿と聞いていたけど、彼の使者だとばかり思っていた。まさかの本人ご登場とは。
枢機卿はルンベルクより少し歳下の穏やかな紳士といった感じだ。
綺麗に髭を剃っており、色が抜け薄い金色になった細い眉とおかっぱ頭をしている。つばのない丸い帽子と法衣から枢機卿の地位を示していた。
正直、聖教の階位は余り詳しくないんだよね。さすがにトップの衣装と紋章は分かりはするけど……。
聖教における最高位は聖女だ。その次が枢機卿になる。聖女は聖教全体で唯一人かつ「神託」のギフトを持つという条件が課せられていた。
対する枢機卿は特別なギフトを持たずとも選出されることがある。各国に一人と聖女より人数も多いのだ。例外は帝国で、帝国は確か枢機卿が二人いた……はず。
公国の枢機卿は「予言」のギフトを持ち、他国の枢機卿からも一目置かれる存在なのだ。他は聖教発祥の地であり、中心地でもある帝国の枢機卿が聖女の次に尊敬されているとか何とか……。
誤解されぬように述べておくが、俺は別に聖教を忌避しているわけではない。そら巨大な組織だから、内部でドロドロしたものもある。
だけど、敬虔な聖教の信者は高い倫理観を持ち、各国の福祉に大きく貢献していた。
もし聖教が無ければ、もっと世の中が殺伐としていたと思う。聖教国家に奴隷制度がないのは聖教の教えからであったり、俺の倫理観に合致するところも多々あるんだ。
枢機卿は指先でひし形を切り、会釈をする。対する俺も彼に対し頭を下げた。
「ヨシュア様、突然の訪問をお許し下さい」
「いえ、遠いところをご足労いただき恐縮です」
なんて杓子定規な挨拶を交わし、お互いに腰掛ける。
タイミング良くエリーがカボチャスイーツと紅茶をテーブルに置き、上品な礼をして後ろに控えた。
「これは、初めて食す味です。柔らかな甘味ですね」
「辺境でとれるカボチャという作物です。色も鮮やかで、早くもネラックでは一般的になりました」
「ヨシュア様の歩みは止まることを知りません。風車には驚かされました。技術だけでなく、食まで。感服いたします」
「いえいえ。枢機卿こそ。ルドン高原まで直接出向いて下さったとか」
「領民が汗をかき未曾有の大災害の克服へ一丸となっております。私にできることはささやかなことに過ぎません」
そう言って枢機卿は慈愛のこもった笑みを浮かべる。
「対策が済むまでは、公国東北部はご心配なさらず。責任をもって管理します」
「ヨシュア様。あなた様はなんと慈悲深いことか。追放刑に処した公国に。決断を下した一人として深く深くお詫びいたします」
「困った時はみんなで協力しなければなりません。それと、追放刑のことは誰に対しても思うことはありません」
彼の真意は俺に直接追放したことを詫びるためだったのかもしれない。
ローゼンハイムで演説した時はすぐに気絶……ではない帰還したからな。あの時教会にいた人以外には会っていない。
追放刑がいつでも解除できる政情になり、ようやく枢機卿も動くことができたってところか。
「ヨシュア様、あなた様の崇高なお心に改めて謝意を。グラヌール卿より伝言を預かっております」
「グラヌールは何と?」
「追放刑を解除することはいつでも可能です。ヨシュア様の指示をお待ちしております、とのことです」
「魔素の流れが解決すれば、連絡いたします。グラヌールによろしくお伝えください」
追放刑のことはグラヌールと俺の間で既に握っている。あえて枢機卿を通じて伝えてくるということは、「早く解除したい」という意思表示に他ならない。
彼としては早く俺に公国へ戻って来て欲しいんだろうな。
俺の心中を読んでではないだろうけど、まさに今考えていたことを枢機卿が口にする。
「追放刑が解除されたあかつきにヨシュア様はローゼンハイムへお戻りになられるのですか?」
「迷っている。いや、迷っていた……と言うべきですね。うまく行くかまだ分かりませんが」
「深いお考えがあられるのですね。楽しみにお待ちしております」
枢機卿はこれ以上突っ込んでこなかった。彼は立場上、政治的な内容についてできうる限り意見を行わないようにしているから。
行われたことについて見解を聞くことはするが、まだ決まっていないことに対してはとても慎重だ。
彼自身に思うところがなくとも、枢機卿という立場で同意するなり反対するなり、相槌を打つなりすると、それだけで政治的に影響を与えてしまう。
聞かざるは彼なりの俺に対する配慮なのである。
「レーベンストックが物資の供給を申し出てくれたのです。既に公国内で物資が足りておりますので別の事に使おうと考えたのです」
「私個人としてはお聞きしたくて仕方がないのですが、今だけは枢機卿の立場が恨めしいですね」
「きっとうまく行きます。私は辺境で大賢者と知己になりました。彼の力を借りればきっと」
「大賢者様ですと! ヨシュア様にそう言わしめる賢人が辺境にいらっしゃるなど驚愕です」
人間じゃあないけどねえ。あえて枢機卿には言わずともいいか。
レーベンストックから供給を受ける物資は鉄なんだ。鉄鉱石の状態じゃなくて、不純物を除いた状態でネラックに運び込まれる予定である。
公国東北部経由で運搬できないことから、ネラックまで届けるのがなかなか大変でさ。
公国東北部を大きく迂回し、帝国領の一部を通り、再び公国に入ってからネラックまで到達するルートなんだ。
なので、思った以上に時間がかかって。鉄鉱石のまま運ぶならもっと早く到着していたかもしれないけどね。
精製した後の方が無駄なものを運ばなくて済むから、運搬ルートが遠大になる状況だとベストだったと俺は思っている。
素材だけじゃなく、労働力も問題ない。
必要なブルーメタルの板は確保したものの、裏側に板を張り付け立てかけるようにする加工も必要だし、現場に設置しに行く作業もいる。
なので、公国東北部に住んでいた領民はまだまだ帰還できないのだ。その間の賃金として労働力を提供してもらおうと思っている。
既にローゼンハイムへ使いを出しているので、そう時間がかからず正式決定される見込みだ。
「彼がいなければ、辺境開発がここまで上手く進みませんでした。ネラックはカガクトシという新しいコンセプトを持っています」
「カガクトシですか。またの機会に詳しく聞かせてください」
その言葉を最後に枢機卿との会談が終了となった。
ペンギンは既に開発を始めている。俺も参加しなきゃなあ……一旦書類の山を片付けてからだけど、ね。
また無心で書類にサインをするお仕事に戻らねば。
俺が休める日はいつになることか。そうだ。書類の山を処理したら、休もう。そうしよう。
やることがあり過ぎて追いついていない状況だけど、たまには休まないと却って効率が悪くなるのだ。
は、ははは。ペンギンも連れてハイキングにでも繰り出そうかな?
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