第208話 それぞれの想い
ほう、騎士団長が差配していただけはある。
教会は小高い丘の上に立っているのだけど、今ばかりは教会の周囲を取り囲むように沢山の領民が詰めかけていた。
少しでも前に出ようとぎゅうぎゅう詰めになっている箇所もあるが、腰上辺りにあるロープによって一定以上の距離へ近寄れないように留められている。
等間隔に杭が打たれ、石畳の所は騎士団が直接ロープを持つことで隙間ない仕切りとなっていた。
教会の大きな両開きの扉の前には「演壇」である。
何かもう、俺が演説する時には必ずある気がするぞ。どうも俺とセットになっているようなそうでないような。
辺境に領民が詰めかけてきた初日から演壇はあった。誰が運んできたのか未だに不明だが、あの時の演壇は今もまだネラックで使われているのだ。
噂によると、俺以外は使っていないらしい。
特に俺以外は使うな、なんて指示した覚えはないのだがね……。
ともかく、「こんなものまでキッチリと準備しなくてもいいんだけど」なんて思いつつ俺一人演壇の階段をゆっくりと登る。
この演壇はローゼンハイム公宮特別製かついつの間にか俺専用になっていた曰く付きの……いや、通常の演壇に比べ二段階段の数が多いのと横幅も一回り大きいだけなのだけどね。
大きい分、持ち運びが大変になる。
なんでこうなったのかは調べようともしていないから不明。余談だが、辺境にある演壇は通常サイズである。
「ヨシュア様! ヨシュア様だ!」
「公爵様が。我らの公爵様が!」
「おいおい。今は辺境伯様だってよ」
「どっちだっていいさ。ヨシュア様! 我らのヨシュア様!」
「きゃあああ。ヨシュア様ああああ!」
既にもう大歓声どころじゃあない。絶叫と言っていいほどのレベルにまで盛り上がっていた。
俺が追放中の身ってことは誰もが知るところなのだけどな……。
領民たちは追放刑が解かれたと思ってるのか、そもそも気にしていないのか、どちらにしても不穏な空気は微塵たりとも感じない。
これはこれで少し心配になってくるが、今は幸いと捉えよう。
この分だと、俺の訴えは彼らの耳に届く。
彼らが動いてくれるかどうかは、彼ら次第だ。
しかし、少なくとも情報が耳に入り、どうすべきか考えてくれれば大成功だよ。
演壇の階段を登り切り、右手を外枠に添える。
左手を上にあげると、大歓声が止みシーンと静まり返った。
「公国の諸君。久しぶりにお目にかかる。追放されたこの身であるが、どうしても諸君に一言伝えたく、恥をしのんでここにやって来た次第だ」
領民は押し黙ったまま、俺の次の言葉を待っている。まだどうなるのか反応が分からないが。続けよう。
「ローゼンハイムがモンスターの襲撃を受ける可能性があることを知っているだろうか? 頼りになる公国騎士団が必ずや諸君らを護ってくれる。しかし。諸君ら、空を飛ぶモンスターもいることを知っているか? 騎士団が勇戦し、必ずやモンスターを仕留めてくれる。これは確定的な未来であり事実だ。しかし!」
腕を大きく上にあげ、ググっと拳を握りしめた。
「狡猾なモンスターの一部は「頑強な騎士団では組みし難し」と卑怯にも空を飛び、領民らに襲い掛からないとも限らない。火を吹き、火災を起こそうとするかもしれない。そこで、諸君。私は諸君らに願う。健康で自分で自分の身を守ることのできる者は留まってもいい。しかし、そうではない者。幼い子供たちを抱える者。さまざまな者がいる。どうか、考えて欲しい。安全のために避難するということを。用意はしている。一時的な避難先を」
両手を大きく広げ、真っ直ぐ領民たちを見下ろし力強く宣言する。
「辺境だ。辺境に諸君らの仮宿を用意している。公宮が馬車も手配してくれている。だからどうか、あなた達の愛すべき隣人を守って欲しい。判断をして欲しい。辺境に避難した者はこの私が責任を持つ。だから、安心してくれ。追放された身ではあるが、私はいつまでも諸君らと共にある」
握った拳を降ろし、演壇の枠を掴む。
領民はというと、ぶるりと体を震わせている人は見えるものの、声らしき声は上がっていない。
もしかして、外したか……も。
ウオオオオオオオ!
と思ったところで、大歓声が。万雷の拍手と共に怒号のような声、声、声。
「ヨシュア様! ヨシュア様はこれを見越しておられたのだああああ!」
「やはり我らがヨシュア様!」
「行かせて頂きます! 辺境に! 我らの主はやはりヨシュア様です!」
「ヨシュア様! 慈愛に満ちた賢公!」
「ヨシュア様ああああ」
涙を流し、気絶してしまう人まで出てしまう始末……。
いくらなんでも興奮し過ぎだろう。
は、ははは。
まさか全員が来るってことはないだろ。さすがにローゼンハイムが空になるまでにはなるまい。
神の神託通りに行動することは癪だけど、事ここに至っては自分の身を護ることが困難な人に対して何らかの手段を講じなきゃ。怪我人や死者を出したくないんだ。
救うことのできる人は救いたい。
ローゼンハイムにモンスターが侵入するなんてことを、させたくない。その為に準備をしてきた。
だけど、完全に安全だと言い切ることはできないんだ。
過剰に心配し過ぎと言われることだろう。だけど、こと人の命に関しては石橋を叩き過ぎて困ることなんてないと俺は思う。
興奮鳴りやまないまま、演壇を降りアリシアにふんわりとした笑顔を向ける。
彼女は聖女の微笑みを湛えまま浅く頷き、演壇を登って行く。
聖女たるアリシアが公衆の面前に出ることがあっても、目立つ位置に立つなんてことはこれまで無かった。
群衆の目は先ほどまでの興奮もどこへやら、一心に聖女の姿に対し固唾を飲んで見守っている。
アリシアが右手の指先でひし形を切り、聖女らしく口元に僅かな微笑みを湛えた。
「生きとし生ける全ての方へ。わたくしは祈ります。安寧を。これからを案じて大聖堂で誰も見えぬところではなく。生きている方々の前で、生きている方々に向け、祈ります」
両膝をつき、胸の前で両手を組み目を閉じるアリシア。
彼女の体からぼんやりとした暖かな光が沸きだし、間もなく光がすううっと霧散する。
これは普段、領民の前で見せる祈りではない。
大聖堂の前で誰にも見られることなく、一心に祈りを捧げる時のものか。
俺も初めて見たよ。
これほど神々しい静粛な祈りを。
唯一人、神の前でだけ見せていた最高の祈りを領民のため、彼らの安寧を願い、聖女アリシアは祈りを捧げた。
生きとし生ける人の眼前で。
敬虔な聖教徒ではない俺でも彼女に心が動かされた。
実際にこの祈りを見た人はどれほど勇気つけられるか。
「聖女様……」
「神がここに降りたかのようです」
言葉が出る人もいたが、殆どの人は両膝をつき目を瞑ってアリシアと同じように祈りを捧げていた。
両目からとめどなく涙を流し、彼女の祈りに勇気つけられている。
伝統や歴史というものには、やはりかなわないな。
これほど心を揺さぶられることなんてそうそうない。
静々と演壇から降りてきたアリシアは俺にだけに柔らかな笑顔を向けた。
彼女本来の笑みを。
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