第207話 魔力密度の話はよすのだ

「グラヌールさん。この場で署名をいたします。ペンを」

「大聖堂までお連れせずともよろしいのですか……?」

「はい。神は否とおっしゃっておりません」

 

 あっけにとられた様子のグラヌールにふむと頷く。

 神に一番近い場所は大聖堂の祭壇である。

 察するにアリシアは祭壇で書類にサインをしていたのかな。

 まじか。

 床に膝をつく彼女の姿にギョッとする。

 扉口は外からチリや砂が入ってきていて、定期的に掃除がなされているとはいえ、大聖堂と異なり汚れているんだ。

 俺の服ならともかく、彼女のように純白の聖衣では汚れが付着するかもしれない。


 びっくりしたのは俺だけじゃなかったようで、グラヌールと騎士団長も目を見開き彼女を凝視していた。

 一方、セコイアだけは腕を組んだままで特に変わった様子がない。

 さすがの貫禄である。彼女の場合、聖教や公国の習慣とは異なる理の中で生きているからな。

 だからこそ、彼女とこれまで深い付き合いをしてきたのかもしれない。

 公国の習慣は前世日本の慣習とまるで異なるからな。

 こう、世間の常識に囚われない人と接しているとホッとするんだよ。

 今は同郷のペンギンもいるので、習慣の違いに一人悩むこともなくなった。

 こういった面でもセコイアやペンギンには感謝している。

 

 さて、膝を付いた聖女が両目を瞑り祈りを捧げると、羽ペンが浮き上がり、グラヌールが掲げた書類に彼女の署名が描かれていく。

 すげえ、これはカッコいいんじゃないか。

 むうんと指先を動かすと、ペンが動き、ヨシュアマークが描かれる。

 いいねえ。是非、俺もやってみたい。

 期待を込めセコイアに目をやる。しかし、眉間に皺を寄せられ、ぶんぶんと力一杯、首を左右に振られてしまった。

 俺にはできないの?

 羽ペンを動かすくらいなら、魔力の少ない俺でもできそうなものだけど。


「無理じゃ。魔力密度2」

「少し、いやかなり違うな。二倍以上だ」

 

 2に2をかけると4だろ。ははは。そんなことも分からないのか。

 ああああ。そんな顔をするんじゃない。

 まるで、俺が残念すぎる子みたいじゃないか。

 気を取り直し、書類を改めていたグラヌールへ視線を移す。


「書類はこれにて承認が下りました。聖女様、心より感謝いたします」

「神は否とおっしゃっておりません」


 深々と頭を下げるグラヌールと敬礼をする騎士団長。

 ん、騎士団長と目があった。

 何か言いたいことがあるのかな?


「どうした?」

「魔力密度とは? 此度の災禍に関わりがあるのでしょうか」

「鋭いな。『魔力密度』という表現は一般的じゃないものだ。俺が定義した魔力の濃淡を計測する規格のことなんだよ」

「ほう。ヨシュア様らしい。定量的……でしたかな、数字に置き換え測るのでしたな」

「うん。公国北東部の魔力密度は異常な数値になっている。そこは皆の知るところだ。俺たちは魔力密度という基準を使って数値化しているだけさ」

「魔力密度2というのも、その一環というわけですな」


 えっと、それは違うんだけど。

 こら、セコイア!


「あはははは。2じゃと、のう、ヨシュア! 笑いが止まらん」

「5だよ! そこのところちゃんとしとけよ」

「どっちも変わらん! あはははは」


 全くもう。

 笑い過ぎて涎が駄々洩れになっているぞ。相変わらず口元が緩い。


「セコイア」

「なんじゃ。魔力密度を増やしたいのかの?」

「増やそうとして増やせるもんなのか?」

「多少ならのお。まずは体力作りからじゃな」

「えええ。それはちょっと……」

「ヨシュアはもう少し、体を鍛えた方が良いと思うぞ。そんなひょろひょろじゃ」

「そんなことないわい!」

「そうかのお。宗次郎を抱え上げようとしてやめておったじゃろ」


 しっかり見ていたのかよ。

 しかし、ペンギンが重たくてやめたのではない。

 他にやることがあったのだ。いや違う、アルルが「ペンたん」とか言って彼女が抱っこしてくれたんだっけ。

 いやいや、エリーだったか。

 

「思い出してみてくれ。こういう出来事があった」

「どんな出来事じゃ?」

「覚えていないのか? ほら、セコイアとアルルを次々に肩車してさっそうと歩く俺を」

「腰は平気じゃったか?」

「余裕だよ。ははは。どうだ」

「……猫娘はお主に負荷がかからぬようしていたがの」

「それでも、ペンギンさんよりは」


 大仰な仕草で額に手をあてたセコイアがはあと息を吐きながら顔をあげる。


「そもそもじゃ。ヨシュア」

「ん?」

「そこは張り合うところじゃない。毎朝、宗次郎を十回持ち上げるとか、何かするとよいぞ」

「えー」

「それか、走るかの?」

「ジョギングは肺が痛くなるだろ」

「情けなさ過ぎてもう何も言えんわ……」


 俺だって全く運動をしないと言っているわけじゃあないんだぞ。

 激務続きで、ノンビリとジョギングなどする時間がないのだ。

 セコイアには「肺が」とか言ったが、本心から言ったわけじゃあない。

 ほら、正直に言うと彼女が心配してしまうだろ。え? 本音と建て前が逆になっただろって。

 それは気のせいだ。気のせいに違いない。

 

「そう言えばセコイア」

「ん? なんじゃ。魔力を流し込んで欲しいのかの?」

「それをしたら、風船が破裂するようにぱーんとなるんだろ」

「覚えておったのか。鍛えれば(魔力が)多少は入るかもしれんぞ」

「まあ、前向きに善処するってことで」

「して、何じゃ? そう言えばとは」

「うん。みんなを待たせている、そろそろ動いた方がいいかなとね」

「確かにの。キミの首から上は首から下と正反対じゃからの」


 言い方が可愛くないぞ。

 これから使うのは彼女の言う通り、首から上だがね。

 言いたかったことは待たせているから「そろそろ行こうぜ」なんだけどさ。

 皮肉たっぷりに返されてしまった。

 

「すまん。グラヌール、騎士団長。聖女も」

「いえ。セコイア様とこれほど砕けて会話されるのはヨシュア様以外にはおられますまい」


 代表してグラヌールがすっと頭を下げる。

 かしこまった彼に向け苦笑し、手をヒラヒラと振るう。


「そうでもないんだけど。辺境で賢者に出会ってさ。彼もセコイアと普通に喋るよ」

「そのような偉大なお方が。世界はまだまだ広いのですね。ヨシュア様という賢人に加え、賢者まで」


 科学知識に関しては、俺なんて足もとにも及ばないさ。

 ペンギンだけど。

 

「宗次郎の知識、知性は素晴らしいのお」

「うんうん」

「嫉妬しなくともよいぞ。ボクが愛すのはキミじゃからな」

「あ、うん」


 ペンギンと恋敵になんぞなった覚えはないぞ。

 言うまでも無いが、俺もペンギンもセコイアに恋をした覚えはこれっぽっちもない。

 冗談はこれくらいにして、行くとしますかね。

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