第163話 密集すると暑い
逃げられたか……。しかし、他にも家畜は沢山いる。牛や羊なら余裕ですよ。
羊はっと。お、あそこか。
ひょいっと柵を跨いで隣へと思ったけど、ローブの裾が引っかかりそうだったのでやめておいた。
このローブ、絹が混じっててなかなかの高級品なのだ。この世界にも絹はある。
元になるのは蚕ではなく蜘蛛の一種だけどね。絹の元になる蜘蛛……シルクスパイダーは公国北部地域の名産なんだ。今俺が着ているローブとベスト、スカーフは絹と他の繊維を混ぜたもの。
余り高級品に拘る方じゃないのだけど、サイフリーデン伯が「うちの自慢」とかなんとかでわざわざ俺の住む公宮まで持ってきてくれてさ。それでルンベルクに頼んで作ってもらったということなのだよ。諸君。
デザインも全て職人さんにお任せの一品なのである。
そういやセコイアが用意してくれたアラクネーの糸ってのも、蜘蛛の一種なのかな? 俺のファンタジー知識によるとアラクネーというのはモンスターの一種だった。
確か下半身が蜘蛛で上半身がばいんばいんの美女だったっけ? セコイアだったら、そんなお友達もいるかもしれない。
今度聞いてみようか。
「ヨシュア様ー」
「おー、今行く」
柵にはところどころに横開きの扉が用意されていて、そこから一旦ワラビー区画を出て羊区画に入った。
よ、よおし。癒されるぞお。
「きゃー」
「こ、これ。思っていたのと違う」
触れようとしたまではよかったが、柵内にいる羊がこぞって集まり、満員電車の中にいるかのようになってしまった。
さすが羊。冬のお供である羊毛の元になるだけはある……。
「ふかふかー」
「あ、暑い……」
こ、ここは出て、牛で癒されよう。「ふもお」と言う鳴き声は、のんびりしていてそれだけでなんだかスローライフ感を味わえるのだ。
と思ったところで……。
「閣下ー! お伝えしたいことがー!」
う、ううおお。この声はシャルロッテ。
何故ここが。
うん。行き先はルンベルクとエリーに告げて来ているのさ。
彼らはもうそれぞれの仕事のため、外出しているはずだけど。二人のことだ。シャルロッテのために書き置きくらいは残しているよな。
太陽の光に反射する白銀の鎧か妙に眩しい。
だがここで引いてはいけない。まだ戻らんぞ。俺は、俺は、まだ撫でていないのだから。
「シャル。ちょっと用があってな」
「閣下の知謀……是非お聞かせください」
駆けてきたというのに息一つ切らせず片膝をつくシャルロッテに、悠然と語りかける。
「牛乳だ。牛乳が必要だろう」
「閣下! 我が弟にまで気をかけて下さりありがとうございます! まさか、閣下手ずから……」
「そのつもりだけど。あ、アルル。たぶん厩舎に搾乳系の器具が一式あるはず」
「自分も行きます!」
搾乳といっても、桶とかそんなものくらいで機械式の搾乳機なんてものではない。
適当に言い訳して牛に触ろうと思っていたのだが、牛の乳搾り体験をすることになった。
シャルロッテは慣れているだろうし、彼女に聞きながら牧場体験の定番をやってみることにしよう。
ちょうど羊の隣が牛だったので、先に牧場に入っておくことにするか。
厩舎も牧場の中だから、同じ場所といえばそうなんだけど放牧中の牛を彼女らはスルーして走って行ったからな。
開けっ放しになった入口扉をくぐってから、ゆっくりと扉を閉じる。
「うもー」
「ふもー」
のんびりと鳴いている牛に思わず目を細めた。
ホルスタイン柄と茶色、黒色と色とりどりの牛が草を食んでいる。
しかし、俺にとって牛と言えば白と黒のホルスタインなのだ。
じりじりとホルスタイン柄の牛に寄って行き、手を伸ばそうとしたら……。
ぺしんぺしんと牛が尻尾を振って威嚇してくる。
「ぬ、ぬおお」
「閣下。尻尾を振るのは虫を払っているんです」
こいつめと思っていたら、向かいから歩いてくるシャルロッテに声をかけられた。
彼女とアルルはそれぞれ桶を手に持っている。
「この牛の乳を搾るの?」
「そうですね。この子は」
シャルロッテが牛の前でしゃがみ込み、様子を確かめコクリと頷く。
「問題ありません。どうぞ、閣下」
「お、おう」
前世ではあるが一度だけ牛の乳しぼりをやったことがある。
シャルロッテと並ぶように膝を落とし、そっと牛の乳首を掴む。
あったけえ。少し力を入れるだけでぶしゅーっと牛乳が出てきた。
ささっとシャルロッテが桶で牛乳を受け止める。
ほ、ほおほお。
こいつは楽しい。右左と交互に握るとどんどん牛乳が出てくるじゃあないか。
「アルル、交代しよう」
「はい!」
反対側からアルルが手を伸ばしリズミカルに手を動かす。
彼女と交代で乳しぼりをすると、すぐに桶一杯に牛乳が溜まった。
「思ったよりずっと楽しかった。ありがとう。シャル、アルル」
「いえ。閣下の搾乳の様子。堪能させていただきました。ではさっそく、殺菌を行いましょうか」
「お?」
「そこに小屋があるのですが、牛乳瓶と炊事場があるのです」
へえ。シャルロッテに連れられ彼女の作業小屋に向かう。
いや、彼女専用なのかは不明だけど……。
小屋の前まできてある事実に気が付く。
搾乳に夢中で結局なでなでしてなかったぞ!
ま、まあいいか。乳しぼりは楽しかったし。
◇◇◇
――三十分後
大鍋でぐつぐつと……までいかないように注意しつつぐるぐると牛乳を混ぜ続けること三十分。
アラーム付きの時計がジリジリと音を立てる。こういったちょっとした魔道具も生活必需品の一つだ。
ティモタら魔道具職人が日夜頑張って作ってくれているんだなあ……と鐘の音を聞きながらしんみりした。
いや、この時計はシャルロッテが故郷から持ち込んだもので間違いないのだけど。
しかし、生活必需品を全て持ってきた人は少ないだろうし、道具とは壊れるものだ。
なので道具の供給は必須である。
まだまだ街に住む領民が増え続けているし、作っても作っても供給が追い付かないだろう。
だけど、そう遠くないうちに商店街に道具が溢れ、いろんなデザインの生活必需品が並ぶはずだ。
その時俺は、テラスで昼間っから寝そべりだらけている……と思う。
「これで完了です。あとは十分ほどさましてから牛乳瓶に詰めるであります」
「おおー」
シャルロッテがタイマーをセットし、しばし休息する。
外の家畜たちを眺めていたらすぐに時間が過ぎた。
牛乳瓶にできたての牛乳を注ぎ、蓋を閉める。
15本目でちょうど牛乳が無くなった。牛乳瓶はたぶん250ミリリットルくらいだから3.7リットルくらい搾乳してきたわけか。
「閣下。まだです。お届けする前に冷たくするのです」
「毎朝、冷やしてから持ってきてくれているんだな」
「はい。冷えている方が目が覚め、沢山働くことができますので」
「そ、そうか……」
俺、冷えてなくてもいいよ。は、ははは。
シャルロッテの指示を受け、テーブル上に牛乳瓶を一塊になるように並べる。
「行きます。シャルロッテの名において願う。コールドフォース」
目を閉じ、呪文らしき言葉を呟くシャルロッテ。
彼女が口を閉じるや否や、彼女の両手からスカイブルーの光が漏れ出し牛乳瓶を包み込む。
お、おお。
牛乳瓶に霜が降りているじゃないか。
指先で触れてみると、キンキンに冷えていることが分かった。
すげえ。魔法すげえ。
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