第60話 ひゅんとした件
セコイアから「心配するな」と言われても、ソワソワしてしまうのが俺である。
「やっぱり、見に行く。しっかりとロープを持っていてくれよ」
「だから待てと言うに。キミが行けば確実に落ちる。岩肌に掴まっておれぬからの」
ええい。離せ。離すのだ。
ぐいぐい後ろから引っ張ってくるセコイアを振り切ろうと体を揺する。
セコイアの掴んでいる場所が悪かった。なんと俺のズボンがずれてきてしまう……。
何事も無かったかのようにズボンをずりずりと元の位置に戻しながら、コホンと咳を一つ。
「下を覗き込むだけなら落ちないって」
「乗り出しすぎて落ちる。落ちたら猫娘がキミを助けようとするじゃろう。ロープに掴まっていたとしても」
岩壁から手を滑らせ宙吊りになった自分が容易に想像できた。
ぶらーんと揺れるロープ。それを支えるセコイアがうおらあああと引っ張ると、ぬううんと一本釣りにされた魚のように宙を舞う俺。
俺にしがみつくアルルの姿まで幻視してしまった。
あ、あかんわこれ。
あちゃーと頭を抱えた俺へセコイアがしたり顔でぽんぽんと俺の腰辺りを叩く。
「のう、ヨシュアよ」
うわあ。にやにやと嫌らしい顔をしやがって。そんな顔、幼女には似合わないぞ。
「ち、ちくしょう。俺がダメなのは分かった。断腸の思いで崖へ踏み出すことは諦めよう。だけど、アルルが心配なのはどうにもこうにもできん」
「ヨシュア様! アルル呼んだ?」
「ぬお。アルル!」
アルルが崖から顔だけを出し、ぴこぴこと耳を動かす。
「あ」
顔が崖下に消えた。
や、やべえと思う暇もなく、アルルのしなやかな脚が翻り、宙がえりをした彼女は地面にしゅたっと着地する。
今日は薄紫か。
何がとは言わないが。
あれ、俺、結構余裕ある感じ? 呑気に人の下着をチェックしているのだから……。
いやいや、そんなわけないぞ。自分が落ちることなんて想像もできないほど焦っていて、崖下に行こうとしたほどなんだからな。
「見たじゃろ?」
「いやいや、見てない見てないさ。ってセコイアか」
ドキッとしただろうに。
アルルから咎められたのかと思ったよ。
ぶすーっと頬を膨らましたセコイアが何を思ったのか、自分のスカートに手をかける。
しかし、もじもじとして頬を朱に染めたままそれ以上手が動くことが無かった。
紳士な俺は無言で彼女の手に自分の手を重ね、首を左右に振る。
「ヨシュア?」
「恥ずかしいのに無理して対抗しなくてもいいだろ」
「たまには男らしい言葉も吐くのじゃの」
「ははは。俺はいつも男らしいのさ。ふふん」
良かった。言い方を変えて。
もう少しで、「別にセコイアのパンツなんて見たくねえ」と言いそうになった。
って、ロリ狐と戯れている場合じゃねえ。
「アルル。心配したんだぞ」
「わたし。平気です。猫族だから」
にまーと満面の笑みを浮かべたアルルがスカートの端を両手の指先で摘まみお辞儀をする。
「それでも、やっぱり崖の下なんかにいきなり行かれたら、俺は見にもいけないしさ」
「ごめんなさい。ヨシュア様」
「いや、一言断ってから動いてくれたらいいだけだから。無事でよかった」
「うん! ヨシュア様。あのね。アルル」
「焦らずゆっくりでいいんだ。急いで喋る必要なんてないんだぞ」
「はい! 上の方に一つ。下の方に二つ。洞窟? 穴? があったよ!」
「お、おお! すごいじゃないか、アルル」
「えへへ」
あ、俺も甘いな、もう。
アルルに無謀なことを止めて欲しいと諭したつもりが、手のひらを返したように褒めちゃったよ。
「ヨシュア、猫娘。洞穴に行ってみようではないか」
静かに横で俺とアルルの会話を聞いていたセコイアが唐突に宣言する。
「いやいや待て。猫族のアルルならば横穴まで行くことができるだろう。だけど、セコイア……はともかく俺は無理だろ? さっきセコイアもそう言ったじゃないか」
我、身の程を知る、だ。
セコイアはなんかこう、長年生きている狐だし、いろいろ魔法で何とかしてしまいそうだ。
しかし、俺は違う。セコイアに諭され、ようやく理解した……いや思い知らされた。俺に岩壁を伝って降りることなど不可能なんだってな。
ははは。伊達に懸垂が一回もできないわけじゃあないぞ。
俺の貧弱さは相当なものだ。
「問題ない。これがあるじゃろ」
セコイアは先ほど俺が持たせたロープをくいくいっとこちらに見せつける。
「いやいや、待て。すとーんと落ちるだけだって」
「キミにしては頭が回っておらぬのお。自分が岩壁を伝って降りれないことで思考停止しておるのか? 横穴は行き止まりとは限らぬじゃろ?」
「……意図は分かった。確かに行ってみる価値はある」
「じゃろ?」
セコイアの意図は分かったし、理にかなっていることも理解できる。
壁に穴ができているってことは、長い時間をかけたか唐突に地震やらで開いたか、大型の生物か何かの影響か、その辺りだ。
長い時間をかけた、またはプレートテクトニクスの影響で地形に影響を受けた、のどちらかであれば横穴が地上のどこかに繋がっている可能性も高い。
長い時間の例としては水の浸食とかさ。
だけど、それとこれとは別だ。
「落ちるから、それ以前の問題だろ?」
「キミが単独なら、100回やっても100回落ちるじゃろうな。それも一メートルも降りる前に」
「いくらなんでももう少し行けるだろ!」
「無理じゃ。一メートルでも盛り過ぎたと思っておる」
「……いくらなんでも、いや、せめて、二歩くらいは」
「そこでプルプルと腕にきて、そのままストーンじゃろ」
「……まあ、間違ってない。ダメだってことをちゃんと分かっているじゃないか。ははは」
「キミ一人ならの。ここには猫娘とボクがいる。そして、ロープもある」
え、ちょっと。待って。
タラリと額から汗が流れ落ちる。俺の態度なんて構いもせず、セコイアがぐいっとロープを引っ張った。
腰に力がかかった瞬間、俺の身体が浮き上がりストンと彼女の小さな体に吸い込まれる。
抱き―っと俺の腰に手を回したセコイアはひょいっと俺を持ち上げ、自分の背に俺の身体を乗っけてしまった。
「猫娘。縛るのじゃ」
「ヨシュア様は。わたしが」
「キミに先導してもらわねばならぬじゃろ?」
「うー」
あっさりとセコイアに説得されたアルルが、セコイアの手に握られたロープの端を俺の体ごとセコイアの腰に巻き付けぎゅーっと縛る。
ロープの様子を確かめるように小さな指先で撫でたセコイアがうむうむと納得したように頷く。
「さて、行くぞ。ヨシュア」
「え、えええ……」
「ボクと猫娘しか見ておらぬ。誰にも言わんよ。のう、アルル?」
「はい! お口チャック!」
アルルは口元に指先を当て、ぶんぶんと首を横に振った。
あ、あああ。持ち上げられるうう。
ぐううおお。いきなり行くのか、行くのかああ。
「おううううおおお。高い高い高い」
「黙っとれ。気が散る」
セコイアにしっしとされ呆れられたが、下が見える、見えるんだ。
ひゅんとする。どことは言わないがひゅんとして縮みあがるううおう。
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