第51話 閑話 エリーとルンベルク
ヨシュアより魚の捕獲を命じ……いや頼まれたエリーとルンベルクはルビコン川のほとりにある鍛冶屋の裏手まで来ていた。
手刀を水面に叩きこむエリーを後ろでそっと見守るルンベルクがおもむろに口を開く。
「エリーゼ。あなたはこのままヨシュア様にお仕えするつもりなのですか?」
「もちろんです! ヨシュア様のお世話をすることこそ、私の喜びでございます」
力強く応じるエリーの足元に宙を舞った魚が落ち、びたんびたんと跳ねる。
再び腕を振り上げた彼女に向け、ルンベルクが眉根を寄せ再び問いかけた。
「ヨシュア様を支えたい。その気持ちは私にも痛いほど理解できます。ですが、この地に来ることがどのような意味を持つか分からぬあなたではないでしょう?」
「重々承知しております。ですが、公都ローゼンハイムに残された我が家もきっと」
「私はヨシュア様にあなたの家のことを伝えておりません。もちろん、事情あってのことですが……。あなたにもニールマン男爵家にも無理を通してしまい申し訳なく思っておりますが」
「今の私はニールマン男爵家の三女であるエリーゼ・ニールマンではありません。ただのエリーです」
再び、魚がエリーの足元でびたんびたんと跳ねる。
彼女は流れる水へ目を落としたまま、ルンベルクに聞こえぬほど小さな声で「ただのエリーでいたいんです」と囁く。
ルンベルクに改めて言われずとも、エリーは自分のおかれた状況を正確に理解していた。
エリーの生家は、公国の「法服貴族」ニールマン男爵家である。法服貴族とは別名「ローブの貴族」とも呼ばれ、主に公宮で仕える貴族についた俗称だ。
公国の貴族は二種類存在する。一つは「封建貴族」で、彼らは公国内に「封土」と呼ばれる領地を持つ。一方で「法服貴族」は領地を持たない貴族で、公国の上級官吏の地位を世襲する。どちらも貴族としての特権を保持しているものの、両貴族は在りようが異なるのだ。
横道に逸れたが、公国の頂点たる公爵家に貴族の娘をメイドや侍女として送り込むことは特異なことではなく、むしろ常日頃から行われていることだった。
何も公爵家だけでなく、高位貴族の元にでも低位貴族の三女、四女が下働きすることも普通に行われている。
目的はその家との繋がりを強めるため。名目は貴族令嬢に「学ばせるため」とされていた。
だが、エリーがヨシュアの元に雇い入れられるとき、ニールマン男爵家の名を出していない。
これは、ニールマン男爵家、エリー本人、ルンベルクの三者が望んだことである。
ルンベルクはハウスキーパーとして貴族令嬢が入ったとなれば、他家からの申し込みも殺到することを憂慮した。
ヨシュアに仕えるハウスキーパーには真の意味での「令嬢」は必要ない。ハウスキーパーとしての能力はもちろんのこと、ヨシュアを魔の手からお救いできる力を持っていることが肝要である。
唯の令嬢ならば、必要ない。たとえそれが、高位貴族の令嬢であったとしてもだ。
一方でニールマン男爵家にとってはヨシュアという将来が有望過ぎる公爵の元へ令嬢を送り込めることに歓喜し、自家の名声を高めたいと考えることが当然だと思うかもしれない。しかし、事実は異なる。
ニールマン男爵家には二人の息子と三人の娘がいた。エリーゼ・ニールマンは四番目の子供で、上に三人の兄姉と下に弟がいる。
伝統あるニールマン男爵家は、厳粛な家庭として知られていた。女子は淑女たらんとすることが求めれ、幼い頃から厳しい躾が行われている。
だが、エリーは異質に過ぎたのだ。彼女の持つギフトがそうさせていたのだが、彼女が自分のギフトを使いこなせるようになったのは、ルンベルクの元で修練に励んでから。
彼女は生まれ持ったギフトが足かせとなり、ニールマン男爵家では腫物に触れるような扱いを受けていた。
そんな中、彼女の資質を見出したルンベルクが男爵家を訪れ、彼女をメイドとして引き取ることになる。
男爵家としては、ヨシュアの元にメイドを出せることは
男爵家でも御多分に漏れず、若き公子ヨシュアのことを尊敬し、彼の元公国は大繁栄していくと信じていた。
ヨシュアのためならば、家のことを抜きにしても協力したい。だが、男爵家としての外聞もある。
そのため、男爵家は自身の家のことを秘密にすることを望んだ。
エリーはエリーで、自分の男爵家での立場を分かっており、それでも尚、自分にも愛情を注いでくれた男爵家に感謝をしていた。
だから、自分が男爵家に迷惑をかけたくないと願う。
黙々と手刀を振るうエリーにルンベルクは柔和な笑みを浮かべ、問いかける。
「あなたはもう力を使いこなすことができています。男爵家の令嬢として恥じぬ振舞いができるはずです。それに、ヨシュア様が公都にいた時と今では事情が異なります。ニールマン男爵もさぞあなたのことを案じておられるのでは?」
「お父様には、いずれ必ずお会いしようと思っております。ですが、今はまだ……」
「悩みをお聞きすることくらいしかできませんが、何でもご相談くださいね。事情を知っている者同士、何か力になれるかもしれません」
「ありがとうございます。ルンベルク様には私にギフトの使い方をご教授いただいただけでなく、これまで多大なるご支援を受けております。私はヨシュア様にこうしてお仕えできて至上の喜びを感じております!」
「そうですか、ヨシュア様に男爵家のことを打ち明けるおつもりはないのですか? 先ほども申し上げましたが、ニールマン男爵も今のあなたでしたら何ら問題なく男爵家の令嬢として後押ししてくださいますよ」
「それは……少し、怖いです。ヨシュア様の私を見る目が変わらないか心配で……」
「あのお方は、そのようなことで気心が変わるようなことはありませんよ。私たちの『裏』も折を見てヨシュア様にお話せねばと思っております。先代アルフレート公より賜った『裏の仕事』のこともこの地にヨシュア様が追放された今となっては、明かす方がよいのではと」
裏というのは、ルンベルクら四人の戦闘能力のことである。
ヨシュアを不届き者の手から護るため、ルンベルクは随一の実力を持つ者、素質のある者を雇い入れた。
アルフレート公よりヨシュアを「影ながら支えてやってくれ」と命じれていたルンベルクは、公の言葉を守り、ヨシュアを文字通り「影ながら」護っている。
「私の『超筋力』のことも?」
「いえ、明かすとしても私とバルトロのことに留めるつもりです。メイドの二人はこれまで通りですよ」
「その時は私もちゃんと打ち明けます。アルルもそれを望むでしょう」
「そうですか。その時が来れば、みなで謝罪し、打ち明けましょうか」
「はい!」
手を止めず、顔だけをルンベルクの方へ向けはにかむエリー。
対するルンベルクは優し気な目で彼女を見やり、ゆっくりと頷きを返す。
「エリー。もう一つ。あなたはヨシュア様と。いえ、無粋な話でしたね」
「な、ななな、何でしょうか。いえ、決して期待などしておりません。ヨシュア様があの奇怪なペンギンなる生物と語り合い、そのまま眠るなんて……その後、今日はアルルではなく、私の番だなんて、そんな不埒なことは考えておりません。わ、私は膝枕なんてそんな畏れ多いことは、で、できませんんん」
顔を真っ赤にしてたとたどしく語るエリーへルンベルクはふうと肩を竦める。
エリーの様子を見た彼は「もう一つ」のことについて、心の中に留めておくことにした。
その内容はこのような感じである。
「男爵家の令嬢として」ならば、家格は高くないものの貴族である。ならば、正妻は無理にしても結婚はできるかもしれませんよ、と。
「とまあ、今はそっとしておいてあげた方がよいでしょう」
「な、ななな。違います! 違います! ルンベルク様、私ならば、ヨシュア様を寝室にまでお運びしますぅ!」
エリーの絶叫が響くルビコン川に虚しい風が吹き抜けるのだった。
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