女の子、失格

 ショートカットに半袖短パン。いつも泥塗れになって、わたくしに蛙を見せびらかしては、にへらっ、と笑っていた貴方は、まるでやんちゃな男の子みたいでしたの。ですからわたくし、貴方のこと、王子様、って呼んだの。そうしたら貴方、なんて返したと思う?

 わたくしに絵本を見せて、じゃあお前はお姫様だ、なんて言ったんですの。

 まだ幼稚園の頃の話でしたから、わたくしも気分を良くして、わたくしはプリンセスになったつもりで振る舞いましたの。そうしたら貴方、楽しそうにわたくしの執事みたいに振る舞いましたわ。

 貴方はずっとずっとわたくしの王子様でしたわ。小学生になっても、バスケットボールをしている貴方は、相変わらずいつも砂臭くって、肌は真っ黒に焼けていて、他の男子と大差無い見た目をしていましたわ。

 えぇ、わたくしは幼い頃から、可愛いものが好きでしたから、お母さんが作ってくれたお洋服を着ていましたわ。お母さんはフリルやレースが付いたロリィタチックなお洋服を作るのが得意でしたの。わたくしはお母さんの自慢の娘でして、お母さんは、人形にお洋服を着せるようにして、わたくしにお洋服を着せましたわ。

 少し話は逸れるのだけど、わたくしとお母さんは今でも仲良しですわ。えぇ、二十歳になった今もですわ。一度も喧嘩なんてしたことありませんの。お母さんはわたくしの味方ですもの。ですけど、えぇ、お母さんに思うところが無いわけではありませんわ。

 一つ目に、お母さんはわたくしを決まって可愛いお姫様扱いしたことですわ。わたくし、女の子なんだから、という決まり文句を何万回と聞きましたわ。夜遅くまで出かけるのも、重い物を持つのも、わたくしは女の子なのだから、許されないのですわ。お裁縫やお料理が上手にできないと、女の子なのに、と言って、お母さんは何時間もわたくしに練習させたものでしたわ。おかげで、家庭科の点数はとても良かったのよ。

 二つ目に、わたくしは姉妹の姉なのですが、えぇ、歳の離れた妹がいるのですが、妹を孕んでいた頃のお母さんは酷く……酷く、気持ち悪かったのですわ。日に日にお母さんの乳房と腹が大きくなって行きまして、お母さんはわたくしにその腹を触らせたものでしたわ。固いんですのよ、妊婦の腹は。まるで卵の殻みたいでしたわ。ねぇ、あなたのことを呼んでいるよ、なんて言ってわたくしに耳をつけさせたものでしたわ。

 わたくし、そういうとき、吐いてしまいそうなほど気持ち悪くなったものよ。胸と腹が大きいお母さんは、人間とはとても思えませんでしたの。そして、お母さんはわたくしに優しく言いつけるのです、あなたも素敵なお母さんになってね、と。

 嗚呼、想像するだけで腹の底から寒気がしますわ! どうしてあんなに、そう、「アレ」を強要するのかしら? まるで雌牛みたいよ。人々は皆、「アレ」を見ると、おめでとう、だとか、素敵ね、だとか褒めるのだけど、わたくし、ちっともそう思えませんの。あんな、人間の形を崩した奇形の、どこが素敵なのかしら? どこがおめでたいのかしら?

 だって、ねぇ、お姫様の物語の中に、一人でもあんなに腹と胸が肥大化した怪物がいたかしら? お姫様はたいていすらっと細くて、白雪のような素肌をしていますのよ。あんなに丸々としたお姫様、見たことがありませんわ! まるで蛙みたいだと、そう思わないかしら?

 ですから、わたくし、まだ小学生になったばかりは女の子たちと遊んでいたのだけど、五年生にもなる頃には怖くって怖くって仕方無かったのよ。女の子はこの頃になると口々に、初経が来た、だとか、胸が大きくなった、だとか言って盛り上がってるんですもの。腹が押し潰されるような痛みに苦しみだすんですもの。

 えぇ、えぇ、わたくしだって女性ですもの、乳腺は発達したし、初経だって来たものよ。胸にしこりのような物が現れて、触ると酷く痛みをもったものよ。ある日腹痛で目を覚ましたら、下着が血で染まっていたときは、夕飯の中身を吐き戻してしまいそうでしたわ。

 なんて汚らしいのかしら! 幼いわたくしはひた隠しにしまして、保健室の先生にだけ説明したのよ。そしたら保健室の先生、なんて言ったと思う?

 それは、大人の女性になったということよ。何も怖がらなくて良いの。

 まったく、どの口がほざくのかしら! プリンセスの中に、体毛が気になる者はいたかしら? 下着を血で染める者はいたかしら? えぇ、いません。そんなお姫様、いませんわ!

 大人になったのね、良かったわね、そう言って取り囲む女の子の顔が、だんだん薄気味悪い雌牛に見えてきて、わたくしは笑顔で感謝を返しながら、心の中で何度も何度も口から出てきそうな心臓を握り潰して留めたものよ。

 そう、そんなときでも、貴方は相変わらず男の子みたいに傷だらけだったわね。でも、知らなかったわけではないのよ。貴方はわたくしなんかよりずっと前に初潮を迎えていたし、胸だってもっと大きくなっていたこと。スポーツブラジャーをするようになったこと。体育のある日、キャミソールを着ない貴方は、白い体操着からそれが透けて見えてましたもの。

 修学旅行の夜なんて酷かったわ。女子は皆で大浴場に入りましょう、なんて言って、一斉に服を脱ぎ出しましたの。恥ずかしくないのかしら? 惨めったらしく膨れたその腹と胸を晒して、それを指摘し合って、何が面白いのかしら? わたくしは嫌になって、適当な言い訳をして一人でシャワーに入ったのよ。貴方とも離れて、ね。貴方は大浴場で裸で泳いでいたそうじゃない、まったく、今の貴方が聞いたらどんな顔をするかしら?

 中学生になって、女子はスカートを、男子はスラックスを履くようになりましたわ。それからはさらに、わたくしはわたくし自身を、「アレ」と同じだと全身で示さなくてはならなくなったのよ。

 いいえ、わたくし、スカートは大好きですのよ。そうでなくっちゃ、今だってゴシックロリィタに身を包んでいないでしょう? でも、同じくらいスラックスだって好きよ。だって、直線的なラインがとってもクールだもの。

 いつも短パンだった貴方は、スカートを履くことを恥ずかしがっていたかしら。足元がすーすーして気持ち悪い、だなんて言っていたわ。ですから、普段から下には半ズボンを履いていたかしら。でも、それくらい、他の女子だってしていたのよ。

 この頃になると、女子の間ではスクールメイクが流行りましたわ。えぇ、わたくしも喜んで参加したものよ。だって、可愛いお人形さんになりたいって願いは、何もおかしくないでしょう? 貴方はそういうの、嫌っていたみたいだけど。

 わたくしはとても可愛らしい女の子でしたわ。えぇ、過言ではありません。お母さんが教えてくれたヘアアレンジを施して、いつもつやつやの黒い髪で、整った顔立ちで。わたくしはたくさんの男子に告白されたものよ。そのせいで女子に疎まれたこともありましたわ。

 でもわたくし、猿ったらしい男子のこと、「アレ」と同じように嫌いでしたの。同時に、「アレ」に成り果てつつある女子のことも大っ嫌いだったわ。貴方はそんなことも知らないで、わたくしが虐められているのを助けてくれたわね。

 だって、お前は俺のお姫様だから。いくつになってもそんなこと言うのね、貴方、と思ったものよ。だけど、とっても嬉しかったわ。女子バスケットボール部に入ってエースを勝ち取った貴方のこと、本当に王子様だと思っていたのよ。貴方が抱きしめてキスをしてくれたの、本当に嬉しかった。わたくしのファーストキスだったのよ。お姫様と王子様のキスは、一回きり。

 だけれど、男女の体の違いとは酷く残酷で。昔は男の子と殴り合って喧嘩で勝っていた貴方も、もう取っ組み合いの喧嘩なんてしなくなったわ。だって、勝てないんだもの。時々女子バスケットボール部と男子バスケットボール部の合同練習を見ていたけれど、女子はあっという間に男子にボールを取られてしまうの。筋肉のついた背中が跳んで、スリーポイントシュートを決めたときなんか、関係無いわたくしまで落ち込んでしまったわ。

 でも、貴方はそんなとき、その背中に見惚れていたのよね。わたくし、気がつかなかったの。いいえ、気がつきたくなかったの。

 そうやって社会が、女性は「アレ」であるべきで、男性は「ソレ」であるべきだと決め始めてから、貴方は変わってしまったわね。部活を辞めたら貴方、髪の毛を伸ばし始めたじゃない。それから、不ッ細工なメイクをし始めたわね。極め付けは三年生のバレンタインデーで、貴方、男子バスケットボール部の部長に告白したじゃない?

 ねぇ、貴方、王子様じゃなかったの? その伸びた黒髪を揺らして、タイツだけを履いてスカートを揺らして、赤い頬でチョコレートを差し出すって、貴方、どうしてそんなことをするの? ねぇ、どうして白いワイシャツの第一ボタンを開けるの? そこから貴方のみっともない胸が見えるのよ。気持ち悪いのよ!

 フラれた貴方は、意気消沈してわたくしにその経緯を話したわね。わたくし、なんて言ったのかしらね。とにかく、世界が終わってしまったかのようで、真っ逆さまに落ちていってしまうかのようだったのよ。顔がさあっと青くなったの。

 家に帰って散々戻して、お母さんがわたくしのことを心配していたわ。無理やり吐いたから、慣れないことをして疲れたのかしら、熱を出して寝込んだもの。でも、お母さんは知らないけれど、今もこうして吐き癖は残っているわ。わたくしがどうしていつも黒い手袋をしているのだと思う? この下には、変色した吐きダコがあるからよ。

 頭の悪かった貴方は底辺校に、わたくしはエリート校に進学したわ。それからは貴方とはあまり会わなくなったわね。会うたびに、どうしてそんなに細いの、ちゃんと食べなよ、と言ったわね。わたくし、食べるのって好きじゃないの。

 貴方、バラエティ番組は見るかしら? 見るわよね。四十歳近くの女性が下着姿になるシーンを見たことあるかしら? 女性が全身タイツになる姿を見たことあるかしら? 大抵そういう奴らは腹がぶっくり膨れて乳がどっぷり垂れているのよ。わたくし、「アレ」を見るたび不快で不快で仕方無いのよ。しかも、男性はああいうのを指差してゲラゲラ笑うの。嗚呼、あなたたち、やっぱり安産型の体つきに心惹かれるのね。胸が大きくって、お尻が大きくって。

 だから、わたくしは食事は少なくするし、運動は欠かしていないの。死んでもあんな体つきになりたくないわ。あんな惨めな乳牛になるくらいなら、死んだ方がマシよ!

 高校に入ってからのわたくしは、あまり深い関わりをしなくなったわ。一年仲良くなって、ハイ、おしまい。長く付き合うほど、嫌な関係を聞くものよ。マセた関係を聞くたびに、胃がひっくり返りそうになったものね。

 わたくしは絶対に裸の付き合いはしない。深窓のお嬢様でいたかったの。だって肌色の獣がまぐわるさま、吐き気がするでしょう? なぁにアレ、人間じゃないみたいよ。人間じゃなくなることが良いのかしら。えぇ、わたくしはお人形ですから、あんな破廉恥なことはいたしませんし、わたくしがそういう対象として見られるのは屈辱的だわ。わたくし、男のためのラブドールじゃないのよ?

 大学生になって、わたくしは婦人科に通うようになりましたわ。あまりにも食べないので、月経が止まってしまったのよ。婦人科って行ったことあるかしら、貴方、いいえ、無いでしょうね。あそこは惨めな汚物の行くところよ。でっぷり太った豚が診察室へ入っていくのをよく見るわ。子供が欲しくって仕方無いのね。

 初診のとき、わたくしはいきなり、その場で脱ぐよう言われたわ。内視鏡検査よ。股を開いて、膣の中にエコーを入れるの。ねぇ、貴方、人前で裸で股を開ける? 貴方ならできるかもしれないわね、彼氏の前でしてるわけだし。体の中に異物が入ってきて、泣きそうになったわ。

 嗚呼、今のわたくしは、一人の女性でしかないんだ、って。

 それから、お尻に注射を打たれるの。このままじゃ、赤ちゃんを産めないよ、って優しく窘められるの。もちろん、女性ホルモンは骨粗しょう症にならないために大切なものよ。だとしても、ねぇ、こんな辱め、どうしてわたくしが受けなければならないの?

 貴方みたいに、今の貴方みたいに、露出の多いイマドキな服を着ている貴方なんかには、全く分からないでしょうね。わたくしがいつも黒い服で身を包む理由が。それでも欲情する男は欲情するのよ、それが女だ、って。わたくし、何度も変質者の被害に遭ったもの。痴漢もされたもの。

 ねぇ、どうして、王子様を名乗った貴方が、今はみすぼらしい男と一緒に手を繋いで熱を分け合って歩いているの? どうしてお姫様になった私が、こうして一人怯えて置き去りにされているの?

 半袖短パンだった貴方がどうして、髪も茶色に染めて、露出の高い服を着て、女としての人生を謳歌して、フリルの付いたスカートを履いていたわたくしがどうして、こんなに女でいられないの? どうして貴方は、「アレ」と「ソレ」を肯定して生きていけるの?

 子宮なんて誰にでもあげるわ。乳房なんて切り落として差し上げるわ。わたくし、要らないもの、こんな物! ねぇ!

 大学にも行かないで働き始めた貴方の隣には、高校生の頃に知り合った惨めな男がいる。モテたいわけじゃないよ、女っぽくないし、私……そう言っていたけれど、貴方は何度も告白されたことを嬉しそうに伝えてきたじゃない!

 本当はずっと女の子でいたかったのでしょう? そうでしょう? 貴方が持つべきは蛙じゃなくてティアラだったのよ。貴方はずっとわたくしを騙していたのよ。貴方はもう、わたくしの知っている貴方じゃない。そんな汚れた布切れ、触りたくも無いわ! わたくしに触れた熟れた唇で別の猿に口付けするなんて最低よ。

 だから、貴方の結婚式には、ゴシックロリィタを着ていくわ。ウェディングドレスに身を包んで幸せそうに笑っている貴方は、腹を引き絞られ、胸と尻を突き出した、醜いアヒルのよう。それを賛辞する会に、わたくしは出席しなくてはならないのよ。そういうところには、大抵貴方より着飾らないようにと、質素でフォーマルなドレスを着ていくものよね。

 ケダモノから女になれた貴方がウェディングドレスを着るなら、女になれなかったわたくしは喪服を着るわ。そしてもう二度と会わないの。妊婦になった貴方の姿、見たくないもの。

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