取り留めのない短編集

神崎閼果利

Break a leg

 踵が痛くなった後、前に足を寄せると、今度は爪先の辺りがぎゅっと痛くなる。ヒリヒリ痛む踵には絆創膏を付ける他無くて、時には、ニコニコしながら友達と歩き、話している先輩を見ると恨めしくなる。だから私は、革靴なんて嫌いだった。

 見た目は可愛らしかった上、制服コーデなどが流行っていた秋を思い出すと、ずっと憧れだったガラスの靴のような物だった筈である。しかしそれは、足の一部を切り落とさねば履けないような物であった。私は灰被り姫の姉の様──つまり、履く資格が無いのである。

 踏切待ちをしていると、隣からまた友達同士らしい声が聞こえてきた。話の内容からして同じ新入生らしい。踏切が開けば、新入生達は軽やかに革靴で歩いて行く。

 周りの皆は、灰被り姫なのだ。中学校での努力が報われ、友達も得て素敵な高校生になる。まだ一週間と経っていないのに、朗らかな高校一年生達。私はこんな高校生に憧れていたのだ。しかし、私だけは、中学四年生になってしまったようだ。


「ごめんなさい──」


 人混みにも慣れていない故に、人にぶつかる。私以外の高校生はまるで何度も経験したかのように人混みを歩いて行く。キラキラ輝く灰被り姫達はまだ心が幼い姉が足を切ってガラスの靴を履こうとしてるのを見て、当然の報いだと微笑むのだ。

 学校に辿り着けば、教室の中でも騒ぐ女子に混ざりつつも、何もせずにグループの端っこを掴んでいる惨めな様。皆の話に同調しつつも、ただ単に、「一人で居たくないから付いている」おまけだ。仲良くなれた人は一人しか居ない。

 そもそも、中学生時代はクラスでも一人の友達と付き合っているだけで、勉強ができたことだけが取り柄であるエキストラであった。リーダー格の女子の中に溶け込める筈も無い。「朱に染まれば赤くなる」という言葉などは狂言であるとしか思えなかった。


「ハルカちゃん、次の授業は移動だよね? まだ視聴覚室の場所を憶えられてないよー」

「あ、うん。そうだったね……リンちゃんは休んでたんだっけ?」

「いつ?」

「校内案内の日」

「あぁ! 休んでたね」


 何故、リンも私と同じように灰被り姫の端くれなのだろう。

 見た目だって、他の女子に比べれば何倍も可愛らしく、すらっとした高い背が細さを強調している。肌だって目元だって綺麗で、ブレザーのボタンも開けてスカートも折って──まるで、先輩のような風貌をしているというのに。ただ、足りないのは人と打ち解ける能力だけだ。

 リンは元気で明るい子なのに、人見知りだった。故に、端くれの私に辿り着いたのだ。リンももどかしさを感じていると言う──充分周りと話せるのに。私とは完全に離れた存在であるのに。ガラスの靴は、どんな人間を好むのだろう。


「着いてっていい?」

「え? いいよ」

「マジ? ありがとー」


 廊下で歩いている時も、まだしっかりと標準服を着ている私と、着崩して自分の物にしているリンとは全く違う。一致しているのは、大きな区切りである「人間」という項目と、「女性」という項目、そして「年齢」という項目だけだ。その他の項目は、リンとは全く違う。一方的に話し出し、笑顔になり、普通の女子高生がするような他愛無い話をする。そんな姿はきっと他の人と一緒だというのに。

 廊下で追い越される女子のグループが、また一歩遠くなった気がする。歩幅だってテンポだって、全部灰被り姫独特の歩き方なのだ。その中、私とリンだけは別のテンポで歩いて行く。


「……リンちゃんは、中学校の頃 何してたの?」

「何って?」

「例えば、習い事とか、部活とか……」

「私はね、ソフトテニス部に入ってたよ」

「他に友達はこの高校に居るの?」

「居ない。私一人だよ」

「そうなんだ。私は──」


 思わず口をつぐむ。輝いている先輩達、同級生は、リンと同じように活発に過ごしていて、私とは違うのだ──クラスの端で「地味な子」と認定されて、悪口を散々言われてきた身なのだ。そんなことを告白してしまうには、早過ぎないだろうか。

 リンが不思議そうに此方を見つめる。その目が一瞬だけ、私を弾いてきた女子達の目と重なった。

 そして、私の口は嘘をこぼした。しかし、それもまた「地味な子」が言いそうなものである。


「帰宅部だったんだ」

「へぇ。何か習い事をしてたの?」

「うん……途中まで」

「そっか。帰宅部って忙しいってイメージあるからさぁ」

「皆は運動できるけどさ、私なんか、運動音痴だから」

「皆、運動できてびっくりしたよ。なんか私だけ恥ずかしかったなぁ」

「えっ?」


 リンが私から目を逸らした。そして、私の疑問から出た声を無視して、次の話を始めた。

 私は自分のことを語ろうとする癖が有る為、喋ろうとして慌てて口を閉じることを繰り返していた。故に、リンにほとんど話させてしまっているかのようだった。リンも話題を次々に変えて、休み時間を有意義に変えようとしていてくれる。

 いつもの笑顔が少し申し訳無くて、一生懸命に自分の声を殺した。

 チャイムが鳴る。リンは慌てて手を振りつつ着席した。私も慌てて座る。私とリンの間に、数人が座って、私の頼りは灰被り姫の笑い声と共に遮られてしまった。



 リンは前から夢だったという演劇部に入りたいらしいが、迷っていると言っていた。リンも「地味な子」認定を恐れているらしい。

 「私も昔はそうだった」と言った瞬間に、リンは自分の身を守る為に私を切り離すであろう。私はまだ灰被り姫の姉という役から抜け出せないままだ。

 「地味な子」は、灰被り姫のガラスの靴の魅力を磨く姉となる。「皆、人生の主人公!」などという謳い文句は、幼い子向けの小説か何かにだけ使えるのであろう。

 実際は、スポットライトが当たる白銀のドレスを着た灰被り姫が居れば、その灰被り姫を引き立てる地味な姉も居るのだ。

 自分を変えようと、運動部を柵の向こうから覗くも、運動経験の無い私には酷なものであった。舞踏会で踊る術を少しだけ知っている姉よりも、王子様に手を引かれくるくると上品に回る無知な灰被り姫の方が美しく、輝いていることを知っている。


「何してるの?」

「えっ、いや、何でも有りませんっ」


 恐らく部員であろう、先輩が私の顔を覗き込む。慌てて通りすがりの高校生を装った。懸命に練習している先輩達が眩し過ぎて、目を背けたくもなる。

 同クラスの女子達が仲良く話しつつ、先輩達の声に輝いた声で受け答えをしている。私が辿り着いた部活は有り触れた文化部で、小説で語られる灰被り姫には到底届かない場所だ。


「あれ、ハルカちゃん……?」

「え、リンちゃん? 見学に来てたの?」


 とぼとぼ下を向き、できるだけ私が一人であることを隠すようにしていたが、リンにはバレバレらしい。演劇部の目の前で止まってしまった私とリンは、部室から出てきた先輩に捕まってしまった。

 部室内は衣装と台本でいっぱいで、此処で練習をするわけではないことは見るだけで分かる。数人の男女の部員が、キラキラと目を輝かせて、まるでパンダを初めて目の前で見た幼稚園児のようになっていた。笑顔が眩しくて、思わず目線を地面にやる。


「部活、見学に来たの?」

「はい!」

「は、はい」

「やったー、初めての見学者だよ!」


 部長らしき女子生徒が口元を三日月型にしてにっこり微笑む。リンは少し物怖じしつつも部長をしっかりと見据え、部長に積極的に話しかけていた。私はその隣で、何も言えずにリンを見つめることしかできない。故に、部長も此方に話しかけることは無かった。

 他の部員はと見回してみれば、彼方此方でマニアックなアニメや漫画の話が飛び交う。私が知っているのも有れば、知らないのも有り、どうもついていけなさそうな雰囲気だ。そもそも、テレビを点けたら流れている程度で、私は能動的に見ているのではない。


「じゃあ、普段練習してる体育館に案内するね。もう校内は憶えた?」

「まだです……」

「この高校はとても広いからね。憶えるのにも精一杯でしょう?」

「そうですね……でもとても楽しそうです」


 リンと先輩の話を片耳で聞きつつ、小さく溜め息を吐いた。特に好きなアイドルも、漫画も、アニメも、俳優も居ない。強いて言えば、絵を描くことが好きなだけだ。普段は流行りでもなければアーティストが固定もされてないバラバラな曲を幾つも聴いて、テレビを見て──あまりにも無駄に毎日を過ごしている。

 リンは流行に敏感で、好きなアーティストも好きなドラマも有り、皆と盛り上がっている。また、アニメや漫画も少しは知っているようで、先輩達に喜ばれていた。


「じゃあ、これからとっても有名な劇をするね。原題は『灰被り姫』っていうんだけど、何だと思う?」

「灰だらけのエラ、で、シンデレラですよね」

「よく知ってるね!」


 「流石ハルカちゃん」と耳打ちするリンに、ほんの少し微笑んでステージを見つめた。舞台の上で鮮やかに舞い、演じる先輩達に、ゆっくり、ゆっくりとのめり込んでいく。

 シンデレラが悲しむ姿は、本当に涙を流してしまいそうだった。シンデレラらしく、声を上げたりせず、ゆっくり崩れていく。口を押さえて泣く姿が現実味を帯びていて、まるで本当の世界のようだった。

 継母や姉の演技にも息を呑んだ。高貴でありつつ品の無い手口、けたたましく笑う悪意。一つ々々の仕草が私と重なって、自己嫌悪を深めていくばかりである。情けなさに呆れざるを得ない。ドレスも綺麗にセットされた髪もまるで偽物であるかのようだ。

 ぶんぶんと振られ、乱され、ただの布切れやウィッグに変貌していく。さっきまでは高貴さ、誇り高さを示していたのに──反対に、シンデレラの美しさは益々際立ち、ただのボロボロの布切れは目を奪われる程の美しさ溢れる高級な布にさえ見えてきた。


「魔法を唱えましょう」


 魔法使いの魔法は最早蛇足であろう。内面の美しさは魔術要らずのものだ。あっという間に変わったその姿は眩い貴さを抱えたシンデレラそのものに変わりは無い。美しいドレスよりも、ガラスの靴よりも、笑顔を浮かべるシンデレラ自身の美しさが、まざまざと表現されていた。

 シンデレラは着飾って王子様に惚れられたのではなく、元々の美しさ、清らかさで王子様を魅了したのだと、私にはしっかり伝わってきた。それは役者の姿というわけではなく、演技そのものから伝わってくるのだ。それ程にも、演劇部のパフォーマンスは目を見張るものである。

 最後のシーンまで目が話せなかった。僅か三十分程度の演技なのに、まるで数十年の歴史を魅せられているような衝撃を覚えた。

 リンを見やれば、まるでリンも舞台に乗ったかのような、登場人物のような、そんな美しさを秘めていた。リンの頭上にはスポットライトが有るのだ。リンこそが、演劇部に必要で、マッチした人であると私は確信した。



「行ってきます」


 小さな声でボソッとこぼすと、目の前にはガラスの靴──革靴が在った。私のような意地悪な姉には合わない、癖の有る靴。必ず私の足に傷をつけていく様は、姉がガラスの靴に合わせて足を切ったことを思い出させる。

 ぎゅっと締め付けられ、親指と小指が圧され、他の指の爪がその隣の指を傷つける。踵に貼った絆創膏はヒリヒリ痛む踵を守ってはくれない。歩く度に擦れては切れ、私を拒むのだ。「お前はこれを履くべき人間ではない」と。私は所詮、灰被り姫を引き立てる脇役なのだと再確認させられた。

 授業中は、声を上げたいが目立ちたくないジレンマに駆られ、面白いことも言えるような人間でないことも知ってる故に、何もかもに受け身だった。そして端っこに掴まって、皆の話に曖昧な笑顔で言葉を返す。

 そして興味を失ったクラスメイトは、私の元を離れ、私はそれについて行くリンに置いてかれる。慌てて近づけど、廊下に四人横並びで歩くクラスメイトの後ろをとぼとぼついて行く形になっていた。


「リンちゃん、移動教室だね」

「行こうか! ハルカちゃん、教室憶えてないから教えてー」

「えっ……やっぱり憶えてないの?」

「私、校則も平気で破るし、むしろそれが楽しかったし、教室に時間通りに着いたことあんまり無いし。憶えようという気が無いんだよね」

「そ、そうなんだ」


 リンは軽くそう言うと、地味で奇妙な私を連れ、短いスカートを揺らして歩き始めた。私はその後ろを慌ててついて行き、隣を歩こうとするも、やはり少し私が遅くて、また端を掴んだような姿になっている。

 見回せば、この僅かな期間に友好関係を築き、狭い廊下を二人以上で並んで歩いて、仲良く話に花を咲かせている生徒だらけだ。私は実質一人で歩いている。周りにも誰も居ない。前にはリンが居るが、一緒に行ってるようには見えない。リンが話しかけてきたのに返すのに精一杯で、近づくことさえできなかった。

 革靴で擦った踵がヒリヒリと痛む。上履きさえまともに履きこなせない私は、相変わらず「友好関係を築く」という必修科目をこなせない劣等生だ。



 ふと思い出せば、SNSで回ってきた「地味な子」の基準を見てから、私は無理して笑顔を作るようになっていた。友達思いで話していて楽しい人が人気者らしい。

 それに比べて、私は基準に書いてあったように「校則に違反しない、勉強ばかりする、運動神経が悪い」に全て引っかかるという典型的な「地味な子」だった。真面目などという取って付けたような言葉で表現してみても、現代の女子高校生からしたら虚しいだけである。


「ハルカちゃん! ちょっと待っててね!」


 元気に此方に手を振りつつ、箒を手にして掃除に参加するリンは、まだどうも周りに馴染まない。笑顔と口調は同じなのに、水と油のように、混じり合わない女子達を見ていると、安心したと同時に、自分がさらに嫌いになった。

 しかし、リンから隔絶しているわけではないようだ。リンは徐々にだが、女子達の扱いに慣れ、話せるようになってきている。まだ固定されない縄張りに、どんどん踏み込んで行く。未完全なだけで、後少しで馴染めてしまうのだろう。

 リンは履き慣れないガラスの靴で、しっかり地面を捉えている。


「終わったよ、ハルカちゃん。今日はどの部活に行くの?」

「特に予定は……」

「じゃあ、また昨日行った体育館に行こうよ」


 他のクラスメイトはそれぞれ適した部活を探しに、煌めくオーラを振り撒いて教室から出て行く。残された私とリンは、戸締まりのされてない窓の近くで空を見ていた。ふわりと膨らむカーテンが涼しげだ。

 リンはとてもよく似合った紫のリュックサックを背負い、教室を出る準備をしている。私はただただ放課後の青空に黄昏ていた。


「演劇部に行くの? でも、なんか地味なオタクばっかりだったよね」

「私もそう思うんだけど。でもさ、先輩達、とっても演技上手かったじゃん! やりたいことができるから、仕方無いなぁって。それに、話してみたら案外何とかなるかもよ? 新入生だってたくさん来る筈だし!」

「で、でも、やっぱり此処の学校の演劇部は、地味だよ」


 「地味」という言葉を吐く度、ブーメランが私の喉に刺さっていく。きっとリンは先輩達の芝居で満足するだろうが、最初のうちはクラスメイトからの風当たりが強過ぎるだろう。やりたいことと居たい立場が違い過ぎるのだ。

 けれども、リンはそんなことをぐだぐだと考えている私を置いて、昨日の芝居について話し始めている。私はまた呑み込んでおきたい言葉をゆっくり口に出して、また自分の心に言葉を突き刺していく。


「リンちゃんは、大丈夫なの? クラスの皆にも言わなきゃなんだよ?」

「大丈夫!」


 振り返ったリンの顔が、傾き始めたように見える太陽の逆光で暗い筈なのに、とても煌めいて見えた。ぶわっと柔らかい光が、リンの顔を一層煌めかせる。そして、リンが喋るのを待ってたように、カーテンが大きく膨らんだ。


「クラスメイトに、打ち勝てばいいじゃない!」


 リンの声が、青空の向こうに飛んでいきそうな程に澄んでいた。私はただただ灰被り姫の如く純粋な光を放つリンに圧倒されていた。

 これこそが、少女漫画に有りそうな嘘臭い謳い文句の正体なのである。今、勇気を出したリンは、スポットライトの下に居るのだ。エラの美しさも、リンの美しさも清らかさも、飾り物ではなく、素材そのものから溢れ出している。一瞬の筈なのに、私はその瞬間に数十年の世界を見た。

 リンがまた綺麗に笑う。ヒリヒリと痛み、指を詰め寄せ、革靴を拒む足から痛みが消えたような気がした。

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