第32話 帰宅した主の顔は秘密!
――見て、秋津先生。まだロケもしてないのにドラマのプロモーションビデオがアップされてるわ。
みづきが目の前に差し出したパッドの画面には、近日放映『デッド・オア・ラブ』という文字と、神楽の上で抱擁する一組の男女が映し出されていた。僕は一目見た瞬間、うっと叫んで目を逸らした。
――どうしたの?秋津先生。……これって正木亮と神妙寺雪江でしょ?演技とはいえ、こういうの見てたらああ、この二人いい感じだなって思うよね。思わない?
僕が答えかねて口をパクパクさせていると、ふいに画面の中の雪江がこちらを向いて口を動かした。
――隣にいる方は、どなた?
僕は画面に向かって叫ぼうと口を開き、そのまま固まった。正木と雪江が溶けるように崩れ、舞台に吸い込まれるように消えていった。ふと気づくとみづきの気配は消え失せ、目の前が暗幕で遮られたように闇に塗りつぶされた。
※
合宿三日目の朝、遅れて食事を澄ませた後、リビングに顔を出すとすでに朝食を済ませたみづきがぽつんと物思いにふけっていた。
「おはよう、秋津先生」
「おはよう。……ええとこの前、約束した離れの探索だけど」
僕が昨日のどさくさで宙に浮いたままの計画を口にすると、みづきは「ああ、あれ」と気のなさそうな声を寄越した。
「どうしようかな。もう『しかばね』の正体はわかっちゃったし、新しい発見もない気がするけど……」
一昨日とは打って変わった冷めた物言いに呆れつつ、僕は「じゃあ、止めるかい」と同調した。
「行くだけ行ってみましょう。『しかばね』は地下にいるらしいけど、確かに何かいそうな音は聞こえたんだもの」
僕は「正体が動物でも、文句は言わないでくれよ」と釘をさし、身支度をしにリビングを離れた。自室に戻ってクローゼットからアウターを引っ張りだしていると、ふいにドアがノックされみづきが顔を出した。
「秋津先生、やっぱり私、部屋で執筆の続きをすることにしたわ。……実は朝食の時、草野さんから提案があったの」
「提案?どんな?」
「みなさん、この騒動でネタを吟味する余裕もないでしょう。今持っているアイディアで書いて明後日の朝、四人同時に提出しませんかって」
「明後日の朝?そりゃまた急だなあ」
いつも締め切りギリギリまで粘る癖のある僕は、格好悪いとは思いつつ抵抗を試みた。
「私、ちょうど思いついたネタがあるの。もし他の人たちより早く完成したら、ロケを待たずにチェックアウトしちゃおうかなって」
「えっ、合宿を早抜けするつもりかい?神谷先生が来たら呆れるんじゃないかな」
「いいのよ。元々、みんなの都合を無視して入れた企画でしょ。失礼には当たらないわ」
みづきはあっけらかんと言い放つと「離れを調べるならどうぞご自由に。それじゃね」と言い置いて部屋の前から立ち去った。
僕はこれまでにも増して奔放なみづきの振る舞いに呆れながらも、逆に発奮を促された気がして上着を脱がずに一人で玄関へと向かった。
外は昨日のしかばね騒ぎを打ち消すような晴天で、僕は薬草畑を横目に見ながらぶらぶらと散策を楽しんだ。やがて私道を断ち切っている岩が現れると、僕は足を止めて周囲をうかがった。人に見られてもどうということはないのだが、離れに行くことにはまだ、どこか禁を犯すような後ろめたさが伴っていた。
僕は岩の左右に生い茂っている笹薮を手で掻き分けると、岩の裏側に足を踏み入れた。藪が途切れると目の前に前回と同じように突如、朽ちかけた小屋が出現した。恐る恐る歩み寄った僕は、入り口の様子を見てあっと声を上げそうになった。前回、厳重に出入りを阻んでいた南京錠が消え失せていたのだった。
「人が……来たんだ」
僕は吸い寄せられるように扉に近づくと、ぼろぼろの取っ手に手を伸ばした。思い切って引くと湿った音と共に扉が動き、中の様子が露わになった。
「これは……」
単なる物置とばかり思っていた小屋の内部は、整頓された一種の作業スペースだった。
小ぶりの作業机と整理された棚、床には複数のバケツが並び、壁際には染めかけの布らしきものが竿に掛けられたままになっていた。
「誰かがここを工房のようにして使っていたんだな。……しかし誰が?」
最初に浮かんだのは地下室の住人、つまり村長の息子だった。ひょっとして『しかばね』が……まさか。そこまで想像をめぐらせた時だった。突然、背後で扉が閉まる音がして、振り返ると扉越しに施錠を思わせるかちんという音が聞こえた。
「閉じ込められた?まさか」
僕は慌てて扉に飛びつくと、力任せに外に向かって押した。だが、ぼろぼろの扉は意外にもしっかりと戸口に嵌まり、びくともしなかった。
いったい誰が、何の目的で?僕は外から目隠しされた窓に近づくと、僅かに開いた板の隙間から外を見た。すると驚いたことに、窓の傍で周囲をうかがうみづきの姿が見えた。
「迷谷さん!」
そう叫ぼうとした瞬間、みづきの背後から黒い影が忍び寄り、背後から腕を伸ばして何かを顔に押し当てるのが見えた。
「……あっ」
僕が唖然としていると、がくりと項垂れたみづきの陰から人物の容貌がちらりと覗いた。
――西方先生!
村長の息子と同様にうつろな顔をした西方はこちらに背を向けると、力を失ってぐったりとなったみづきをゆっくりとどこかへ連れ去り始めた。
まずい、なんとかしなくちゃ。そう思って窓を破る道具を物色し始めた、その時だった。
どこからかエキゾチックな匂いが漂いはじめ、急に目の前の風景がぼやけて歪み始めた。
――これは……そうだ、都竹シェフの『薬膳カレー』を食べた時の感覚とそっくりだ。
遠のく意識を呼び戻そうする努力もむなしく、やがて僕はがくりと膝から床に崩れた。
――西方さん、なぜ……?
脳裏に『しかばね』となった西方の顔が浮かび、やがて意識が闇に呑みこまれていった。
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