第31話 古い写真の顔は秘密!


 階下についた僕の目に跳びこんできたのは、開け放たれたドアの傍らで呆然としているみづきの姿だった。


「大丈夫か?」


「……しかばねが」


 みづきの口から洩れた言葉は、先ほど泉が発したものと同じだった。


「しかばねが、どうしたんだい?」


「泉さんを連れて玄関ホールの方へ……」  


「なんだって」


 僕はリビングに目をやった。玄関ホールに続くドアは閉ざされ、向こうがどうなっているかはうかがい知れなかった。なんてこった、西方に続いて平坂泉までもが消えてしまったというのか。


 僕がふらつくみづきを支えながらリビングに顔を出すと、騒ぎを聞きつけたのか草野と弓彦が相次いで姿を現した。


「なにがあったんです?」


 僕が今しがた見た状況を包み隠さず話すと、弓彦が「くそっ、またしても『しかばね』か」と忌々し気に吐き捨てた。


「どうします?西方さんの時のように手分けして捜索してみますか」


 草野が不安げな顔つきのまま、そう提案した時だった。ドアが開いて血の気のない顔をしたマーサがリビングに姿を見せた。


「マーサさん、一体何なんなんですか。あの不審者は」


 草野が詰め寄ると、マーサは険しい表情で「詳しいことは存じ上げません」と答えた。


 僕は日中からずっと気になっていたことを、思い切って切りだした。


「マーサさん」


「はい」


「このお屋敷には、地下室がありますね?」


 僕が問いを放った瞬間、マーサの眉がぴくんと動いた。


「なんのことでしょう」


「すみません、実は今日の昼間、興味半分でエレベーターに乗ってみたんです。そしたら箱の内側に変わった形の突起があって、触れたら地下に移動してしまったんです」


「なんだって?……マーサさん、今の話は本当ですか?」


 草野が色をなして詰め寄ると、マーサは白い顔で「確かにおっしゃる通りです。……が、それが何か大きな問題なのでしょうか」と返した。


「あの不審者……『しかばね』は、地下の部屋に閉じ込められていた人物ではないのですか?事情は知りませんが、その人が鍵のかけ忘れか何かでこうして時々、階上に姿を現す……違いますか?」


 僕が畳みかけると意外にもマーサは表情を変えず「想像するのはご自由です。私の口からは、はいともいいえとも申し上げられません」と言った。


「西方先生も、『しかばね』を追いかけて行方がわからなくなったんですよ。本来なら存在を公表して然るべき人物を、そうまでして隠す理由は何です?」


 僕の問いかけにも一切動じず、無言を貫くマーサに草野が詰め寄ろうとした、その時だった。突然、エレベーターが動く音が聞こえ、座が水を打ったように静まり返った。


「家主さんかな」


 弓彦がぽつりと漏らした直後、鉄柵が開く音がして廊下に足音がこだまし始めた。


「家主さんじゃない。車いすなら足音は聞こえないはずだ」


 草野がそう呟いた直後、リビングのドアが開いて一つの小柄な人影が姿を現した。


「……あっ」


 人影の風貌を目にした瞬間、僕とみづきは同時に声を上げていた。


「なぜここに……」


 僕らの前に現れた小柄な人物は、僕とみづきが『魔女』と呼んでいた女性だった。


「――なんだか大勢で顔をつき合わせて、お困りの様子だねえ」


「あなたは……いったい?」


「ふふん、揃いも揃って知りたがりばかりだね、ここの客たちは。好奇心はほどほどにしておかないと、碌なことにならないよ」


 『魔女』はそう言うと指輪をいくつもはめた指で、忌まわしい物を追い払う仕草をした。


「魔女だって?このあたしが?……やれやれ、物書きってのは放っておくとどんな想像をするやらわかったもんじゃないね」


 『魔女』は僕らをひとわたり見回すとふんと鼻を鳴らした。


「あんな人目につかない場所で人知れず暮らしてらっしゃったら、どんな方だろうと想像してしまっても不思議はないのでは」


 僕が恐る恐る言うと、『魔女』は気分を害する風もなく「まあそうだろうね」と返した。


「あたしは奥様のお抱え占い師さ。そもそも客の相手は業務外、姿を見なくて当り前だよ」


 理路整然とした『魔女』の語り口に、僕は思い切ってずっと考えていた事を口にした。


「屋敷の外や宿泊棟で姿をお見かけしない理由は、それだけではないと思います」


 僕が質すと『魔女』は初めて眉を動かし、興味深げに口の両端を吊り上げた。


「あなたが僕たちと遭遇せずにお仕事を続けられたのは、家主さんの部屋と庭のお家との間に『秘密の通路』があったからですね?」


 僕が推理を口にすると『魔女』は目を丸くし、次の瞬間、からからと笑い始めた。


「なにも秘密なものかね。たまたまあんたたちが知らなかっただけで、別に隠しちゃいないよ」


 僕はなるほどと思った。確かに地下空間の存在を知らなければ、想像のしようもない。


 占い師は『魔女の家』から地下の通路を通って直接、エレベーターへと移動したのだ。

 この方法なら屋敷にいる人間に姿を見られることなく、自分の家と宿泊棟の二階を自由に行き来することが可能だ。


「じゃあ、もう一つうかがいます。あの『地下室』はいったい、何のために造られたものなんです?そしてあの『しかばね』はどうして屋敷の地下に閉じ込められているんです?」


 僕が『しかばね』の事を口にすると、周囲に「なんだって」というどよめきが起こった。


「やれやれ、面倒な事を一度に聞くねえ。あまりせっかちに事を運ぶと碌なことがないよ」


 占い師は僕らを見てたしなめるように言うと、くっくっと喉の奥で笑った。


「元々この家の地下にはね、収穫物を貯蔵するための大きな空間があったのさ。私の住んでいる『家』も、かつての使用人が使っていた離れの一つを借りているに過ぎないよ」


「では『しかばね』は?」


 僕が畳みかけると占い師はふうと息をつき「いいかい、昔の話だよ」と前置きをした。


「この家が前の持ち主の物だったころ、ごたごたに巻きこまれた可哀想な子がいたんだ。その子は悪意のある何者かに呪いをかけられてね。『しかばね』にされちまったのさ」


「呪いですって?呪いとはなんです?……もしかすると『しかばね』とは、行方不明になったという村長の息子さんのことではないのですか」


「ほう。どうしてそう思ったんだね」


「昼間、村長さんがこちらにいらした際に、あなたの『家』に入ってゆくのを見ました。そしてたまたま午後、地下にある部屋を発見した時に、村長さんと幼い息子さんが写っている写真を目にしたのです」


「どうして会ったことのない子供が、村長の息子だとわかったんだね?」


 占い師の鋭い問いかけに、僕は思い切って真っ向から答えた。


「息子さんの顔が、一瞬だけ見た『しかばね』の顔とどこか似ていたからです。地下室の主が『しかばね』だとして、そこにあの写真があったということは『しかばね』と村長親子の間には浅からぬ関係があるということです。つまり……」


「つまり『しかばね』とは、事故で行方不明になった村長の息子に違いない……そうだね?」


 占い師がぞっとするよう声で放った問いかけに、僕はなかば確信を込めて強く頷いた。


「仮にそうだとしても、あんたたちには関係ないよ。泊り客は泊り客。家主さんにだって色々と事情があるのさ」


「じゃあ昨日の晩、私の部屋に現れたのは?それにもう、二人行方不明になってるんですよ?それでも放っておけっていうの?」


 珍しくみづきが色をなして占い師に詰め寄った。


「そうだよ。下手な詮索などせず、あんたたちは残りの時間を有意義にすごせばいいのさ」


「平坂先生はどうするんです?まさか探すなとでも?」


「探したければ好きにするがいいさ。だけど大人が自分で勝手に姿を消したんだろう?心配するだけ無駄だとあたしは思うね」


「つまり二人が消えた原因は、『しかばね』とは関係がないって事?」


「少なくともあの子は人をさらったり閉じ込めたりするような子じゃないよ。まあ少々周りを手こずらせることはあるかもしれないが、大目に見てやっとくれ」


 占い師は強引に幕を引くと、再びドアの外へと姿を消した。


「……どうしましょう。みんなで手分けして探しますか」


 僕がそう口にすると意外なことに昨日、西方の行方を人一倍気にしていた草野が「でも西方先生も見つからなかったし、もしかすると本当に自分の意思で消えたのかもしれませんよ」と言い放った。


「じゃあ、探さずこのまま知らん顔をしてるってことですか。そんな……」


 僕はリビングにいる顔ぶれを見回すと、思わず全員に質した。


「みなさんはどうです?平坂先生が勝手にチェックアウトした、そうお考えですか?」


「…………」


 僕は絶句した。草野だけではなかった。弓彦もみづきも誰一人として、泉の消息を探しましょうとは言いださなかった。


「確かにお仲間が二人も消えたのは大きな事件です。……でも僕らは作家で警察じゃない」


 弓彦の言葉は筋が通っている分、逆に異様だった。


「じゃあ皆さんは、たとえ最後の一人になっても予定通り課題の作品を仕上げると、そういうおつもりなんですね?」


 それじゃあ人としてあんまりじゃないか、そう言外に滲ませながら問い質すと、草野が駄目押しのように「それ以外に何ができます?」と返した。


「それとも秋津先生お一人で探しに行かれるというのなら、我々は止めません。……ただし、協力はご勘弁ください。そろそろ二日目も終わるし、作品も書かねばならないのでね」


「……わかりました」


 僕は二日前の、合宿に隠された謎を是が非でも解いてやろうという熱気が嘘のように萎んだことに衝撃を受けつつ、リビングを出てゆく他の客たちを無言で見送った。


 がらんと広いリビングに一人残された僕は、耳が痛くなるような静寂の中で「これはいったいどういうことだろう」と考えを巡らせ始めた。


 あの占い師の理屈に勝気ななみづきまでが言いくるめられ、沈黙してしまった。いったい、誰が誰に罠を仕掛けているのだろう。なにもかもが振り出しに戻った気分だった。


 ――ミドリ。こんな時こそ、君の出番じゃないのか。


 お仕着せのモーニングに身を包んだ少女を思い出し、僕はわけもなく寂しい気持ちがこみ上げてくるのを覚えた。



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